松本光索 / KOSAKUが設計した、大阪・茨木市の住戸改修「うちの遊び場」です。
大きな庭を持つ物件を改修する計画です。建築家は、新たな暮らしを受容する“公園の様な大らかさ”を求め、ワンルームに“機能的要素”と“余白”がフラットに存在する構成を考案しました。そして、“過去と未来の途中にある媒体”として空間を設える事が意図されました。合わせて、現代芸術史を専門とする鯉沼晴悠のテキストも掲載します。
若い夫婦と子供1人のためのマンションリノベーションプロジェクト。
物件探しから関わることとなった本プロジェクトで購入したのは、70m2の室内に対して半分の35m2の専用庭がある少し特殊なレイアウトの物件だった。マンションはいわゆるベッドタウンに位置しており、その近辺には徒歩圏内に大小さまざまな公園が点在していて、子育てを始める夫婦にはとてもいい周辺環境であるように思えたのもこの物件を購入する決め手のひとつとなった。
設計を進めるにあたり、既存の3LDKの間取りのように決められた枠の中に彼らの生活を押し込んでいくような空間の提案は、新しい家族としての生活がスタートしたばかりの彼らにとって、空間が未来の行き先を制限しまうようでそぐわないように感じていた。
むしろ、庭を含めた住居全体が、周囲に多く存在する公園のように、おおらかな場所としてそこにあり、変化してゆく彼らの暮らしを受け止められることが重要だと考えた。
公園には遊具(機能)で遊ぶ子供、グランド(余白)で走り回る子供、それを見守る親たちなど、様々なアクティビティが同時に存在できるルーズさがある。その状況を参考に、空間全体を大きなワンルームとしてしつらえ、水回りや家具、WICなどの固定される機能的要素と、それ以外の空間としての余白が主従関係なくフラットなスケールで存在するよう、配置のバランスを丁寧に行った。
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以下、建築家によるテキストです。
若い夫婦と子供1人のためのマンションリノベーションプロジェクト。
物件探しから関わることとなった本プロジェクトで購入したのは、70m2の室内に対して半分の35m2の専用庭がある少し特殊なレイアウトの物件だった。マンションはいわゆるベッドタウンに位置しており、その近辺には徒歩圏内に大小さまざまな公園が点在していて、子育てを始める夫婦にはとてもいい周辺環境であるように思えたのもこの物件を購入する決め手のひとつとなった。
設計を進めるにあたり、既存の3LDKの間取りのように決められた枠の中に彼らの生活を押し込んでいくような空間の提案は、新しい家族としての生活がスタートしたばかりの彼らにとって、空間が未来の行き先を制限しまうようでそぐわないように感じていた。
むしろ、庭を含めた住居全体が、周囲に多く存在する公園のように、おおらかな場所としてそこにあり、変化してゆく彼らの暮らしを受け止められることが重要だと考えた。
公園には遊具(機能)で遊ぶ子供、グランド(余白)で走り回る子供、それを見守る親たちなど、様々なアクティビティが同時に存在できるルーズさがある。その状況を参考に、空間全体を大きなワンルームとしてしつらえ、水回りや家具、WICなどの固定される機能的要素と、それ以外の空間としての余白が主従関係なくフラットなスケールで存在するよう、配置のバランスを丁寧に行った。
小さなカウンターのある少し広めの廊下や、壁面に残る接着剤の痕跡を利用して取り付けたタイルなどは、あえて使用用途が明確にならないようなスケールや抽象度にとどめ、機能と余白の中間的な要素として、使用者が日常の変化の中でその用途を考えることができる余地を残した。
また、既存の専用庭は塀が低く、外部や隣人から覗かれていると感じてしまうような、あまり心地のよくない場所だった。ここには既存塀の内側にメッシュ状の境界線を新たに設けることで、専用庭と外部の距離感を調整、フィルタリングし、中途半端な立ち位置にあった庭を彼ら自身の所有空間として感じられるようにした。
このプロジェクトにおいては、今だけを切り取らず、過去と未来の途中にある媒体として現在の空間を設えることが、家族と住まいが常に成長し続けるために必要だと感じた。機能と余白の間を行き来しながら、時と共に進み続ける彼ら独自の住まいでの遊び方を、これから並走しながら見守っていきたい。
(松本光索)
公園───解釈連鎖の場として
2023年1月、友人である松本光索氏の近作を案内してもらえることになった。小さな子供が一人いる若い夫婦のためにマンションの一室を改修したこの建築で彼は、和室を二つ、洋室を一つ備えた3LDK の壁を取り払い、「公園」のようなワンルームを計画したという。
身近にいる建築家の多くは、普段から住居や店舗などのリノベーションを数多く行っている。かたや誰もが知るスター建築家もまた、銀行や工場を商業施設や美術館などにすることで名声を博してきた。予算や規模、使用用途の差こそあれ、リノベーションは建築家の主たる実践の場であり、この建築的営みの手つきは、敷地や既存建築が持つ時間性に対する身振りに終始すると言える。
とりわけ現在、現代の素材や構造によって既存部との「対比」を作り出す方向性は、リノベーションにおける一つの一般解として様々に確認できる。しかし、新旧の「対比」が、現在と過去を断絶する歴史認識の上に行われていることに気づいたとき、私たちは新たな方向性を模索する必要に駆られてしまう。
かつてアーサー・C・ダントーは、この世の全ての事象を記述することのできる「理想的編年史」を仮設することで、逆説的に歴史の本質的構造へと接近した*1。歴史とは、コンテクストの中で編まれるひとつの物語であると。いくらテレビの全録の如く全てを記述したとて、コンテクストを欠くそれらはあくまで物語の素材に過ぎない。
躯体に残る傷や接着剤、天井から顔を出す設備のホース・・・。
過去の痕跡が浮遊し、蔓延する空間に対して松本が行った操作はシンプルだった。
かつてリビングと各部屋を分けていた梁に貼られた透明のフィルムは、周囲の環境を反射し、その堅牢さを忘れ去せる。一方、押し入れを解体して現れた粘着面には、青白いタイルが貼られ、コンクリートの壁面が露呈する室内全体における最大のアイポイントを作り出した。
空間に潜在する過去は、特定のコンテクストに基づき、取捨選択、拡大/縮小されることで再び活性化する*2。こうした建築家の手つきは、さながら歴史家のそれである。物語化のプロセスを、リノベーションにおける「設計」と言ったら大袈裟だろうか。
松本が用意したコンテクストは「公園」というメタファーだった。私なりに理解するところによれば、彼の言う「公園」は、ワンルームに配された箱や家具間の命名不可能な余白、空間内の様々な設えの可変性から構成されている。
たとえば、かつての廊下部は、壁面が微妙に異なった白色に塗装されている。これにより、廊下の内壁は、ウォークインクローゼットと水回りをそれぞれ格納した箱の外壁として認識されることとなった。やや広すぎる感もあるこの余白の機能は現在、廊下であり、ちょっとした作業スペースであり、遊び場である。しかし、機能が明示されない空間は、使用者による解釈次第で如何様にも変容する。遠くない未来、カウンターは延長され、私がいる間ずっと走り回っていた小さな子供の勉強スペースになるかもしれない。そして、先にも触れた壁面の一部にだけ貼られたタイルは、それ自体は「なぜここだけ?」という違和感を残しながらも、のちに部屋のレイアウトを変更する際のきっかけになる可能性を秘めている。
「公園」というメタファーは、過去を組織化・再活性化するためのコンテクストであった。
しかし、その「公園」の上に松本もまた、決定保留という形で自身の痕跡を残していった。
それは、使用者、あるいは未来の建築家によって再び現前することになるだろう。解釈連鎖の場であるこの建築で、過去は何度でも生き始めるのである。
(鯉沼晴悠)
*1 アーサー・C・ダントー、河本英夫訳『物語としての歴史―歴史の分析哲学』(1989年、国文社)
*2 野家啓一『物語の哲学』(2005年、岩波書店)
鯉沼晴悠
1996年生まれ。現在、京都工芸繊維大学大学院博士後期課程及び同大学美術工芸資料館技術補佐員。専門は現代芸術史、特に戦後日本の美術と建築。
■建築概要
題名:うちの遊び場
所在地:大阪府茨木市
設計:松本光索 / KOSAKU
施工:株式会社 嵩倉建設
金物製作:Atelier tuareg
造園:園園
カーテン:fabricscape
構造:RC造(改修)
延床面積: 72m2+専用庭36m2
設計期間:2021年8月~2021年12月
施工期間:2022年1月~2022年4月
竣工:2022年4月
写真:衣笠名津美