SHARE 坂茂の間仕切りプロジェクトなどが報告されたトークイベント「ADcafe.311 vol.01」のレポート
AD cafe3.11 vol.1 REPORT
去る7月18日、菅刈公園内の和館においてADcafe3.11の第一回が行われた。ADは「Around Design」の略で、今回の東日本大震災を受けて、建築に限らず隣接する分野である土木やランドスケープをはじめ、さまざまな分野で復興支援に携わっている人たちが自分たちの活動をプレゼンテーションすることによって、それぞれが持っている知識や経験を共有し新たなつながりをつくりだして、今後の支援に役立てていこうとするものである。夏らしく日差しの強いよく晴れた日に和室で畳の上に座布団に座って行われたこの会は、「復興支援」という言葉がどうしても思い起こさせてしまいがちな堅苦しさから抜けだして、穏やかな雰囲気の中で行なわれた。
最初の発表者は、坂茂氏が代表を務めるVAN(ボランタリー建築家機構)が行っている避難所内での間仕切り活動に参加している、慶応大学大学院の土井亘さん。これまでも震災復興支援に深く携わってきた坂氏の行動は、今回の震災に際しても対応がとても早く、発生から10日後には実際に現地に足を運んでいたという。
興味深かったのは、訪れた避難所ごとに雰囲気がかなり違い、設営に対してとても協力的なところもあれば、あまり好意的ではないところもあり、当初想定したグリッドに基づき区画整理をかねてそのまま設置することもあれば、設置前の被災者の仕切りを踏襲してそれに合わせてひとつずつ寸法を調整していくこともあって、ひとくちに間仕切りといってもその設置までの経緯はケースバイケースであるということだった。避難所によって住民間の関係もさまざまで、それによっても作業は左右されていたようだ。また、設置するまでに行政や避難所との微妙な思惑のズレなど、間仕切りを設置する過程においてもその背後にあるさまざまな問題に対処していかなければならないということが理解できた。例えば、震災後ある程度の時間が経過した後になると、行政としてはできるだけ早く仮設住宅に移って欲しいという思いがあり、むやみに避難所の環境をよくしたくはないという思慮があるなど、複雑な事情がいろいろとあったようだ。
そしてなにより印象的だったのは、彼らが設置作業をしているうちに避難所で生活している人たちがその作業を手伝い始め、その後自分たちの使いたいように自らカスタマイズしていくということがあって、中には作業を手伝われるのを拒否して自分だけの手で完成させることにこだわる人さえいたようだ。また、残していった資材で後日現地の人たちが自主的に交番やFM局が作られていたという例もある。特に蚊帳が導入されてからは、それぞれの住戸の特徴がかなり際立ってきていて、ただ画一的に間仕切りがならんでいるよりもはるかに豊かな光景だった。たとえ短期間であっても、少しでもよい環境で生活を送ることができるような支援は、どれだけでも労力が注がれてよいと思うし、それがただ一方的に与えるだけではなくて、あくまでも住民が自分たちの場所を自らの手で作っていく手助けになっていければ何よりだと思う。
二番目の発表者、BHIstudio代表のアサノコウタさんは、福島在住で、自らが被災地にとどまって活動を行っている。震災発生直後は、「コドモノイエ」と題して子どもが描いた絵をコラージュして平面作品を作り、ネット上で発表していた。絵を描くというとてもプリミティブな行為を発展させてひとつの作品に落とし込み、それを発表するという行為は、震災直後テレビやネットでのニュースを見てただ呆然とするしかなかった被災地から遠く離れた人たちにも勇気を与えたのではないかと思う。
そしてその後、彼は「コドモノエガクマチ」という、被災地の子どもたちが考える未来の街をワークショップ形式で模型にするというプロジェクトを開始する。今度はただ絵を描くということからもう少し進んで、これから先のヴィジョンを子どもたちと一緒に立体的なかたちにしてみようという試みで、それを通じて子どもたちもこれから先どんなことが可能であるかを自分なりに考えてみるきっかけとなる。それはもちろんそのまま実現可能なものではないけれど、実際に何らかのかたちにしてみることで、彼らが具体的に想像を働かせるためのきっかけとなるのではないかと思う。
それから次に彼が関わり始めたのは、「こどもの隠れ家」という、女性用下着のための伸縮性のある素材を使った家型のオブジェで、子どもたちはその中や周りを走り回ったり、布の特性をいかして顔をうずめてみたりする。こういったフィジカルな遊びができるきっかけを作るのは、特に放射性物質が問題となっていて、なかなか外で遊ぶ機会ができない福島のようなところにおいてはとても有意義ではないかと思う。彼の場合は、外からの支援とはまた違ったかたちで活動していて、住人との信頼関係を時間をかけて作り上げ、よりキメの細かいケアを行うことができる。また、ときには外からやってくる人間との橋渡しをしたりもしている。
彼の一連の活動において興味深いのは、ずっと同じ場所に対して時間の経過に応じてプロジェクトを変えながら関わっているという点で、それは地元民である彼のような人間だからこそできるのであると思うし、このような活動がコミュニケーションのきっかけとなって、コミュニティが作られていくことにもつながる可能性を秘めている。
両者を比較してみてとてもおもしろいのが、かたや機能的なものでかたや特定の機能のないもの、かたや来るまで東北各地を動き回り、かたや福島にとどまって活動しているなど、ほとんど対極だと思える要素が多々あるということだ。もちろんそれでどちらかが正しくてどちらかが間違っているということではない。ひとくちに建築家の支援といっても、さまざまなかたちがありうるわけで、そのことを具体的に示してくれた両者のプレゼンテーションは大変示唆に富んだものだった。
続いては主催者の二人、谷口景一朗さんと森弘子さんによるプレゼンテーション。
谷口氏の活動の中で特に印象的だったのは、組織設計という組織としての体力を生かし、震災直後に東北の学生をオープンデスクとして受け入れ、少し離れたところから自分たちが住む被災地を客観的に分析して、現状を捉えるような状況を作ったことで、震災直後の混乱した状態、あるいは感情的な議論が先走ってしまう中で、彼らに異なる環境を用意することができたのはとても意味のあることだと思う。また、東北の学生と東京の学生とのつながりができることで、この問題をより広い範囲で考える契機にもなったのではないか。
一方森さんの活動においては、震災直後における避難所でのボランティアの話が印象に残った。ひとつひとつの行為はとるに足らないもののように聞こえるかもしれないけれど、温かい飲み物の重要さなどは実は想像できないほど切実なものだったりする。建築をはじめモノ作りに携わる人は、どうしてもすぐに何かを作ることに目が向いてしまいがちで、もちろん自分の職能を生かした支援というのが理想的ではあるけど、必ずしもそうではなくてもいろんなかたちで有効な支援は可能であるはずで、状況に応じて何をするのがいいかをじっくりと見極めて判断していかなくてはいけない。
最後の発表者は、東京大学大学院の飯田晶子さん。彼女は宮城県岩沼市での塩トマトを栽培するプロジェクトを紹介していたのだけど、ランドスケープならではの、建築とは違ったおおらかな時間を想起させるもので、種を植えるというきわめて具体的な行為から、それを手入れして収穫するまでの過程、そしてそういった地道な積み重ねのむこうにある10年後、20年後のまちの風景を見すえたビジョンを提示していこうという態度は、他のどの活動とも異なっていて、また違った角度から復興支援活動を考えることができた。
すべての発表が終わったあと、今度は来場者を含めて会場全員でのトークセッションがおこなわれた。まず議論となったのが、被災地の内と外とのギャップで、地元の人たちと支援に訪れる人たちとの細かいズレは否が応にも生じてしまい、それをどうやってうめていくことができるかということの可能性を探っていく必要がある。例えばアサノさんの場合は実際に地元で活動している人間であるので、話を進めやすいようにも思えるのだけど、実際に内と外との橋渡しをするのにはさまざまな苦労があったそうだ。まずは人としてうまく関係を作らなければ、たとえプロジェクトそのものが優れていたとしてもそれは受け入れてもらえない。ただ今回の発表者のように、顔の見える個人同士がきちんと向き合い、時間をかけて少しずつ関係を築き上げていく努力を惜しんではならないし、すぐに結果が出なくても何かが動いていくのだろうと信じて続けていく必要がある。
また、これまでの活動をどうやってこれからにつなげていくのかということも議論の対象になった。震災から4カ月以上経って、被災者は避難所から仮設住宅に移っていっている。今後これまでとは違った問題が起こってくるのは間違いない。それらを予防、もしくは最低でも早めに解決できるような支援のかたちを考えていなくてはならない。そのためには建築的な提案はもちろんのこと、同じ仮設住宅に入った人同士がどのようにコミュニティを作り上げていくかなど、ソフトの面も考慮していく必要がある。坂茂氏はコンテナを用いた仮設住宅を女川に建設中で、アサノさんは今後「こどもの隠れ家」を仮設住宅にも持ち込んでワークショップを計画中だという。これから支援のかたちもますます多岐にわたってくるであろう。
これらの比較的小さな復興支援活動がたくさんあるような状況において、それぞれが何をしているかを共有する場というのは案外少なくて、今回たとえ規模が小さかったとしてもとても有意義なものであったのではないかと思う。ひとつひとつの活動は小さく、社会に与える影響は微々たるものかもしれないけれど、こういった活動がいろんなかたちで起こり、それらがつながりを持ち始めれば、また新たな可能性が生まれてくるのかもしれない。ただ、必ずしも誰もがなにかすぐに行動を起こさなければならないというプレッシャーを感じる必要はなくて、それよりもまずは、こういった活動を知ることで、今までよりももう少し被災地のことを身近に感じることができればよいのではないかと思う。一番大切なことは、何よりもまず被災地について思いをめぐらし、考え続けるのをやめないということなのだ。
この会に参加した人たちが、新たなつながりを作り、それがよりよい支援へとつながっていくことを期待したい。
■次回の「ADcafe.311」は2011年8月27日開催予定とのことです。