※このテキストは青木が「三次市民ホール」の竣工にあたり関係者に送った案内を一部抜粋したものです。
そこに記されている内容には、非常に心動かされるものがありました。
アーキテクチャーフォトでは皆様にも是非読んでいただきたく、弊サイト掲載の許可を頂き、ご紹介しています。
text:青木淳
三次(みよし)は、広島県の、瀬戸内海からも日本海からも同じだけ離れた、中国地方のへそに位置する町ですが、3つの河が合流するその盆地の町に、1000人規模のホール、「三次市民ホール きりり」を設計しました。
この建物の設計には、なんと言っても、東日本大震災の体験が大きく影響をあたえています。
95年の阪神淡路大震災のときも、被災地を見て回りました。
そして、その帰りの新幹線で東京駅に入線するとき、「ぼくたちは実は、すでに壊れてしまっている環境に生きているのではないか、壊れてしまってバラバラになっているものが、なにかマジックのような接着力で一瞬だけかたちを保っているだけなのではないか」という気持ちに、襲われました。
もちろん、ぼくの事務所は東京にあるので、東日本大震災においてもまた、客観的には、当事者とは言えないかもしれません。
でも、95年に襲われた気持ちが、今度は、以降ずっとぼくの奥底に置かれることになったという意味では、東日本大震災は自分の体験でもあったと思っています。