ひとともり と 小田真平事務所による、奈良・生駒市の店舗「Many Cacaos, Many Minds」。焙煎から製造も行うチョコレート店。工程の“可視化”と売手と買手が“混ざり合う”場を求め、各用途をカウンターで仕切るだけの一体的な空間を考案。カウンターは商品の要素から着想し様々な素材を組合わせて作る
ひとともり と 小田真平事務所による、奈良・生駒市の店舗「Many Cacaos, Many Minds」。焙煎から製造も行うチョコレート店。工程の“可視化”と売手と買手が“混ざり合う”場を求め、各用途をカウンターで仕切るだけの一体的な空間を考案。カウンターは商品の要素から着想し様々な素材を組合わせて作るショップスペースよりオープンキッチンスペースを見る。 photo©河田弘樹
ひとともり と 小田真平事務所による、奈良・生駒市の店舗「Many Cacaos, Many Minds」。焙煎から製造も行うチョコレート店。工程の“可視化”と売手と買手が“混ざり合う”場を求め、各用途をカウンターで仕切るだけの一体的な空間を考案。カウンターは商品の要素から着想し様々な素材を組合わせて作るカフェスペース photo©河田弘樹
ひとともり と 小田真平事務所による、奈良・生駒市の店舗「Many Cacaos, Many Minds」。焙煎から製造も行うチョコレート店。工程の“可視化”と売手と買手が“混ざり合う”場を求め、各用途をカウンターで仕切るだけの一体的な空間を考案。カウンターは商品の要素から着想し様々な素材を組合わせて作るオープンキッチンスペース側よりカフェスペースを見る。 photo©河田弘樹

長坂純明 / ひとともり小田真平建築設計事務所が設計した、奈良・生駒市の店舗「Many Cacaos, Many Minds」です。
焙煎から製造も行うチョコレート店です。建築家は、工程の“可視化”と売手と買手が“混ざり合う”場を求め、各用途をカウンターで仕切るだけの一体的な空間を考案しました。そして、カウンターは商品の要素から着想し様々な素材を組合わせて作りました。店舗の場所はこちら(Google Map)。

カカオ豆の焙煎からチョコレートの製造までを手がける「Bean to Bar」のインテリアデザインである。

カカオ豆からチョコレートの原材料(カカオマス、ココアパウダーなど)を作る工程(一次加工)と、製品としてのチョコレートを作る工程(二次加工)は分かれているのが一般的であるが、カカオ豆(bean)を加工して板チョコ(bar)を作り、販売するまでの全てを1人のショコラティエ、または単一メーカーが、一貫して携わる。

建築家によるテキストより

「Bean to Bar」らしく、カカオ豆の保存から選定、焙煎、チョコレートバーのラッピングまで全ての工程を可視化し、カカオの匂いと製造機械の音、パッケージ、提供するスタッフと購入者が一体となり、混ざり合う空間を提供できないかと考えた。

建築家によるテキストより

「サプライチェーン」を意識し、作り手から買い手、買い手から作り手の存在を認識できるよう、厨房とショップ、カフェをカウンターで仕切るだけの一体的な空間を提案した。

少し高めに設定されたカウンターから見える厨房は舞台のようにも見え、厨房機器は舞台装置のようでもある。
チョコレートのような滑らかな曲面が空間を作り出し、アクセントを与える。

カウンターを構成する木、人造石研ぎ出し、モルタルが取り合う部分にチリ(段差)を設けずツラ合わせとした。
型を作って流し込むチョコレートの製造工程で出来上がったかのような納まり、チョコチップのようなテラゾー、銀紙のようなアルミの冷ややかさをもった照明器具など、チョコレートから連続できる様々な要素の集積が、この店に相応しいデザインとなっている。

建築家によるテキストより
倉俣史朗の京都国立近代美術館での展覧会「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」の入場チケットをプレゼント。没後30年を超えた今も国内外で評価され続けるデザイナーの回顧展。会場構成は“西澤徹夫建築事務所”が手掛ける
倉俣史朗の京都国立近代美術館での展覧会「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」の入場チケットをプレゼント。没後30年を超えた今も国内外で評価され続けるデザイナーの回顧展。会場構成は“西澤徹夫建築事務所”が手掛ける京都会場の展覧会メインビジュアル(デザイン:菊地敦己)

倉俣史朗の京都国立近代美術館での展覧会「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」の入場チケットを抽選でプレゼントいたします。
没後30年を超えた今も国内外で評価され続けるデザイナーの回顧展です。また、会場構成は“西澤徹夫建築事務所”が手掛けました。会期は、2024年8月18日まで。展覧会の公式サイトはこちら。入場チケットプレゼント企画の応募締切は、2024年7月1日(月)13時まで(お申込みにはGoogleアカウントが必要になります)。こちらのフォームからご応募ください。厳正な抽選を行い当選された方にはメールにてご連絡いたします(メール送付を当選発表にかえさせていただきます)。

2024年6月11日(火)~8月18日(日)の期間、京都国立近代美術館にて「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」を開催いたします。

京都国立近代美術館で「倉俣史朗の世界」展が開催されたのは、1999年のこと。1991年に56歳という若さで倉俣史朗が急逝した後、没後5年に企画され、東京、メキシコシティ、サンフランシスコ、ニューヨーク、パリ、ウィーンなど世界各地を巡回した展覧会でした。それから25年を経て、再び京都に倉俣史朗の代表作が帰ってきます。東京・富山を巡回した本展は、京都会場で幕を閉じます。

倉俣史朗(1934–1991、東京生まれ)は、銀座のランドマークとなる商業施設「三愛ドリームセンター」の店内設計で注目を集め、1965年にはクラマタデザイン事務所を設立して独立します。高度経済成長とともに変化し続ける都市を舞台に、インテリアデザイナーという、当時はまだ曖昧な認識しかなかった領域で活躍します。透明なアクリルを使用して、まるで商品が浮いているようにみえる棚、光そのものに形を与えたかのようなショーケース。華やかで移り変わりの激しい商業空間を、倉俣は永続性のない幕間劇にたとえました。

一方で、商品化を前提とせず、自主的に制作した家具を発表しています。遊び心を感じさせる変型の引出し、板硝子を貼り合わせ最小限の構造を突き詰めた椅子、造花のバラが浮遊するアクリルブロックの椅子。1981年にエットレ・ソットサスに誘われて、イタリアのデザイン運動「メンフィス」に参加すると、一躍国際的な評価を高めました。倉俣が「言葉で語れない部分を形で言おう」とした家具たちは、大切に保管されて受け継がれ、今なお能弁なまでに魅力的です。

当時の雑誌には、毎月のように倉俣のインテリアや家具、そしてその時々の言葉が紹介されていました。彼の話は、デザインと一見関係のないような、幼少期の思い出や、夢に見たことにまで広がっていきます。本展では、こうした倉俣自身の言葉を辿りながら、創作の源泉ともいえる夢日記などの資料とともに、彼のデザインが語りかけるメッセージに耳を傾けます。

リリーステキストより

以下に、詳細な情報を掲載します。

森田悠紀建築設計事務所による、東京の「春日の家」。見晴らしの良い坂道沿いの敷地。“この場所ならでは”の存在を求め、街特有の空間体験に通じる上階に登った先に“眺望が開ける”建築を考案。“必要な線を適切に存在させる”設計で地域の親密さとの繋がりも作る
森田悠紀建築設計事務所による、東京の「春日の家」。見晴らしの良い坂道沿いの敷地。“この場所ならでは”の存在を求め、街特有の空間体験に通じる上階に登った先に“眺望が開ける”建築を考案。“必要な線を適切に存在させる”設計で地域の親密さとの繋がりも作る外観、南側より見る。 photo©西川公朗
森田悠紀建築設計事務所による、東京の「春日の家」。見晴らしの良い坂道沿いの敷地。“この場所ならでは”の存在を求め、街特有の空間体験に通じる上階に登った先に“眺望が開ける”建築を考案。“必要な線を適切に存在させる”設計で地域の親密さとの繋がりも作る2階、階段からダイニングルームを見る。 photo©西川公朗
森田悠紀建築設計事務所による、東京の「春日の家」。見晴らしの良い坂道沿いの敷地。“この場所ならでは”の存在を求め、街特有の空間体験に通じる上階に登った先に“眺望が開ける”建築を考案。“必要な線を適切に存在させる”設計で地域の親密さとの繋がりも作る3階、ベッドルーム、テラス側からを見る。 photo©西川公朗

森田悠紀建築設計事務所が設計した、東京の「春日の家」です。
見晴らしの良い坂道沿いの敷地での計画です。建築家は、“この場所ならでは”の存在を求め、街特有の空間体験に通じる上階に登った先に“眺望が開ける”建築を考案しました。また、“必要な線を適切に存在させる”設計で地域の親密さとの繋がりも作りました。

神田川から小石川台地へと上る長い坂道の中腹に計画地はある。北側隣地は敷地より3m高く、南側隣地は敷地より3m低い雛壇状の場所である。建主からは眺望の良さを活かした家にしたいとの要望があった。

周辺には高低差が作る特徴的な街並みが散見され、擁壁に沿った坂道や階段を登り切ると、新たな視点や眺望が開けるという空間体験が印象的であった。ここでの課題は、がけ条例によって必要とされるRC造の高さ3mの擁壁や、コンパクトな敷地にかかる3方向からの斜線制限という厳しい条件の中で必要面積をどう成立させるか、そしてどの様にこの場所ならではの建築を作ることが出来るかということであった。

建築家によるテキストより

がけ条例に対しては、基礎の一部を3mの高基礎として擁壁の機能を兼ねる形とし、外断熱とすることで室内に擁壁のコンクリートを表した。これは擁壁本来の目的である住まいを守るという役割を室内側に示したものである。ただ、通常の打ち放し仕上げでは大味になりすぎるため、型枠に布を貼って打設することで、繊細で湿度感のある土壁の様な素材感とした。

1階に水回りと寝室、2階に居間と食堂、3階に子供室を計画し、階段は斜線制限を避ける様に配置し、螺旋状に上階へと上る空間構成とした。2階へはRCの擁壁に沿うように階段を上り、その後方向を変え3階へ上がり切ると、眼下に街の風景が広がる。敷地の条件に向き合った結果、この街特有の空間体験を内部のシークエンスとして取り入れる形となった。

建築家によるテキストより

コンパクトな各階の面積に対して、この街の路地に見られる小規模な木造住宅の表情が作る、小さな空間に高い密度感が存在する親密な空気感を室内でも実現したいと考えた。同時に、端正なディテールやプロポーションは建主家族の雰囲気に合うだろうとも感じた。羽目板やフローリングなどの素材の単位を細分化し、ディテールを構成する要素も徒に線を消さず、むしろ必要な線を適切な形で存在させることで、この街の空気感と違和感なく繋がりを持った密実な空間を目指した。

建築家によるテキストより

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