ArchTank / 林恭正+熊谷和+小島慎平が設計した、広島・呉市の「明法寺三聲苑 二尊堂」です。
歴史ある寺の境内に造られた合祀墓です。建築家は、社会状況に応える“新しい墓の形式”を目指し、既存の庭に“木造の小さな屋根”を架けて“庭全体を墓に見立てる”合祀墓を考案しました。また、残された人々の日常の先にある存在として作りました。
墓とは一体なんだろう。
日本の墓は、土葬や風葬からはじまり、薄葬令(646年)による規模の規制化、平安仏教の普及による小規模化、江戸時代の寺請制度による個人から一族単位への変化、墓地埋葬法(1948年)による都市計画化など、時代背景によって様々な変容を遂げてきた。現代においても、納骨堂の登場など核家族化をはじめとする社会的な家族形態の変容や宗教への考え方の変化に伴い、求められる墓の形式も変わってきている。こういった多様化する社会状況に対して新しい墓の形式が求められているのである。
広島県呉市で400余年続く浄土真宗本願寺派明法寺。
明法寺の境内に、楓をはじめとする四季折々の風情を魅せる「三聲苑」という枯山水がある。
この計画はその庭の中に分骨したお骨を一時的に安置できる木造の小さな屋根をかけ、庭全体を墓として見立てる合祀墓の提案である。
元来、仏教建築とは分厚く深い屋根によって構成される。本堂、庫裡、鐘楼、経蔵など、様々な形や大きさを持つ明法寺の伽藍のルーフスケープの中に溶け込むよう、庭の中に小さな屋根「二尊堂」を建築することにした。
庭に4本の柱を建て、幅のある横架材を掛け渡し屋根架構を構築する。余計な斜材を設けず、格子グリッドのみで外乱に抵抗できる立体嵌合接合形式とすることで、屋根構造の中には“間(ま)”が生まれ、その“間”は分骨したお骨を合祀前に一時的に置くための“空間”となる。
つまり、この屋根はお骨が土に還る前の仮住まいのための“間”であり、残された人が故人を偲ぶための“しるし”なのである。