ArchTankによる、広島・呉市の「明法寺三聲苑 二尊堂」。歴史ある寺の境内に造られた合祀墓。社会状況に応える“新しい墓の形式”を目指し、既存の庭に“木造の小さな屋根”を架けて“庭全体を墓に見立てる”合祀墓を考案。残された人々の日常の先にある存在として作る
ArchTankによる、広島・呉市の「明法寺三聲苑 二尊堂」。歴史ある寺の境内に造られた合祀墓。社会状況に応える“新しい墓の形式”を目指し、既存の庭に“木造の小さな屋根”を架けて“庭全体を墓に見立てる”合祀墓を考案。残された人々の日常の先にある存在として作る俯瞰、西側より見る。 photo©西本晋太朗
ArchTankによる、広島・呉市の「明法寺三聲苑 二尊堂」。歴史ある寺の境内に造られた合祀墓。社会状況に応える“新しい墓の形式”を目指し、既存の庭に“木造の小さな屋根”を架けて“庭全体を墓に見立てる”合祀墓を考案。残された人々の日常の先にある存在として作る本堂側より見る。 photo©吉崎努
ArchTankによる、広島・呉市の「明法寺三聲苑 二尊堂」。歴史ある寺の境内に造られた合祀墓。社会状況に応える“新しい墓の形式”を目指し、既存の庭に“木造の小さな屋根”を架けて“庭全体を墓に見立てる”合祀墓を考案。残された人々の日常の先にある存在として作る北東側より見る。 photo©吉崎努
ArchTankによる、広島・呉市の「明法寺三聲苑 二尊堂」。歴史ある寺の境内に造られた合祀墓。社会状況に応える“新しい墓の形式”を目指し、既存の庭に“木造の小さな屋根”を架けて“庭全体を墓に見立てる”合祀墓を考案。残された人々の日常の先にある存在として作る南西側より見る、夕景 photo©吉崎努

ArchTank / 林恭正+熊谷和+小島慎平が設計した、広島・呉市の「明法寺三聲苑 二尊堂」です。
歴史ある寺の境内に造られた合祀墓です。建築家は、社会状況に応える“新しい墓の形式”を目指し、既存の庭に“木造の小さな屋根”を架けて“庭全体を墓に見立てる”合祀墓を考案しました。また、残された人々の日常の先にある存在として作りました。

墓とは一体なんだろう。
日本の墓は、土葬や風葬からはじまり、薄葬令(646年)による規模の規制化、平安仏教の普及による小規模化、江戸時代の寺請制度による個人から一族単位への変化、墓地埋葬法(1948年)による都市計画化など、時代背景によって様々な変容を遂げてきた。

現代においても、納骨堂の登場など核家族化をはじめとする社会的な家族形態の変容や宗教への考え方の変化に伴い、求められる墓の形式も変わってきている。こういった多様化する社会状況に対して新しい墓の形式が求められているのである。

建築家によるテキストより

広島県呉市で400余年続く浄土真宗本願寺派明法寺。
明法寺の境内に、楓をはじめとする四季折々の風情を魅せる「三聲苑」という枯山水がある。
この計画はその庭の中に分骨したお骨を一時的に安置できる木造の小さな屋根をかけ、庭全体を墓として見立てる合祀墓の提案である。

建築家によるテキストより

元来、仏教建築とは分厚く深い屋根によって構成される。本堂、庫裡、鐘楼、経蔵など、様々な形や大きさを持つ明法寺の伽藍のルーフスケープの中に溶け込むよう、庭の中に小さな屋根「二尊堂」を建築することにした。

庭に4本の柱を建て、幅のある横架材を掛け渡し屋根架構を構築する。余計な斜材を設けず、格子グリッドのみで外乱に抵抗できる立体嵌合接合形式とすることで、屋根構造の中には“間(ま)”が生まれ、その“間”は分骨したお骨を合祀前に一時的に置くための“空間”となる。

つまり、この屋根はお骨が土に還る前の仮住まいのための“間”であり、残された人が故人を偲ぶための“しるし”なのである。

建築家によるテキストより
東海林健 / EAによる、新潟市の「shiba house / 関屋の家」。砂丘地の起伏に沿って出来た住宅街での計画。土地固有の快適性の獲得を求め、内外を繋げた“砂丘にそのまま暮らすかの様な”地形と親密性のある個室群を備えた建築を考案。街並みへの批評性と地域との連続性も意図
東海林健 / EAによる、新潟市の「shiba house / 関屋の家」。砂丘地の起伏に沿って出来た住宅街での計画。土地固有の快適性の獲得を求め、内外を繋げた“砂丘にそのまま暮らすかの様な”地形と親密性のある個室群を備えた建築を考案。街並みへの批評性と地域との連続性も意図外観、南側の屋外より見る、夜景 photo©藤井浩司 TOREAL
東海林健 / EAによる、新潟市の「shiba house / 関屋の家」。砂丘地の起伏に沿って出来た住宅街での計画。土地固有の快適性の獲得を求め、内外を繋げた“砂丘にそのまま暮らすかの様な”地形と親密性のある個室群を備えた建築を考案。街並みへの批評性と地域との連続性も意図1階、子供室から屋外を見る。 photo©藤井浩司 TOREAL
東海林健 / EAによる、新潟市の「shiba house / 関屋の家」。砂丘地の起伏に沿って出来た住宅街での計画。土地固有の快適性の獲得を求め、内外を繋げた“砂丘にそのまま暮らすかの様な”地形と親密性のある個室群を備えた建築を考案。街並みへの批評性と地域との連続性も意図1階、主寝室からテラスを見る。 photo©藤井浩司 TOREAL
東海林健 / EAによる、新潟市の「shiba house / 関屋の家」。砂丘地の起伏に沿って出来た住宅街での計画。土地固有の快適性の獲得を求め、内外を繋げた“砂丘にそのまま暮らすかの様な”地形と親密性のある個室群を備えた建築を考案。街並みへの批評性と地域との連続性も意図2階、ダイニングからキッチンを見る。 photo©藤井浩司 TOREAL

東海林健 / EA(旧 東海林健建築設計事務所)が設計した、新潟市の「shiba house / 関屋の家」です。
砂丘地の起伏に沿って出来た住宅街での計画です。建築家は、土地固有の快適性の獲得を求め、内外を繋げた“砂丘にそのまま暮らすかの様な”地形と親密性のある個室群を備えた建築を考案しました。また、街並みへの批評性と地域との連続性も意図されました。

敷地は新潟市中央区、砂丘地の起伏に沿って形成された古くからの閑静な住宅街。
瀟洒な社宅の解体により出来た、5軒の家に囲まれた高低差のある旗竿敷地である。竿部分は前面道路から長さ30mの坂道となっており、それを登りきり開けた平坦地に住宅を計画した。

建築家によるテキストより

一帯は斜面地にあるということもあり、1階はRC造で土圧を支持し、個室やガレージにあて、2階をLDKなどにあてるケースが多く、そのせいもあり、通りには生活が現れずコンクリート壁とシャッターが無機質に静かに並んでいた。
そういった町の振る舞いに対し、今計画ではこの土地だからこそある地形や風景に対して、いかに暮らしを開き固有の快適性を獲得できるかが課題であった。

建築家によるテキストより

砂丘地の起伏にそのまま庭木や家具、暮らしの調度品を配置し、まさに砂丘にそのまま暮らすかのような地形との親密性を計画した1階の個室群。屋外に採用している壁材がそのまま屋内に入り込み、屋内に採用した壁材がそのまま屋外に出て行く。
サッシも大きく開き全ての框を隠すことで、屋内と屋外の境界はより複雑にそして曖昧になる。ここでの暮らしが砂丘に遠くどこまでも延長するかような開き方を目指した。

起伏を駆け上がるように1階から2階への階段を抜けた先に、少しくびれた大きなトンネルのような空間をLDKとして計画。側面は全て壁面収納とし、その中には家財や色々な物と一緒に、トイレや浴室、さらには書斎といった室をも収納した。
トンネルの両端に大きく開けられた開口からは、直射光は制限し、白壁から反射したバウンド光や回折光のみを取り込み、空間が定常的に柔らかな光で満たされるように計画した。

建築家によるテキストより

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