SHARE 【特別寄稿】 岩元真明による論考「用の再考:自宅の設計について」
建築設計事務所「ICADA」を共同主宰し、九州大学でも教鞭をとる岩元真明による論考を掲載します。岩元は集合住宅の一住戸を改修した「桜坂の自宅」を2021年2月に完成させました。本作品は、アーキテクチャーフォトでも特集記事として紹介されており、その試みにおいてSNSを中心に様々な反響がありました。自宅の設計にあたり、岩元は様々な事柄に思いを巡らせていたと言います。そしてその思考をテキストにまとめる作業をおこなっていました。アーキテクチャーフォトにて、建築作品に続き、その論考を掲載します。既に建築作品を見た方は勿論ですが、この論考を切っ掛けに作品を見て、今改めて「住まう」ということを考えてみて欲しいと思います。
用の再考:自宅の設計について
1. 変化する住戸:nLDKの流動化
数年前、福岡市内で築30年を超えるマンションの一室を購入した。既存の住戸平面は典型的な3LDKで、私の家族は夫婦と姉弟の4人である。このままでも住めるな、と思う反面、これで良いのだろうか、と自問した。日本全国で大量に供給されてきたnLDKの住戸では、家族構成と平面計画が一対一に対応している。しかし、家族は刻々と成長し変化してゆくものだ。nLDKは、いまなお核家族にとって理想的な一般解なのだろうか?
以下の写真はクリックで拡大します
そこで、思考実験として自らの家族の成長を想像してみた。子どもが小さいうちは各々の部屋は必要ないが、思春期が近づくと、きっと個室を欲しがるに違いない。とはいえ、そう遠くない未来に子どもたちは就職などで親元を離れるだろう。子が去った後の空間は残された夫婦が使うのが合理的である。しかし、小部屋に分割されたコマ切れの空間は使いにくく、子が家を離れた後にも、彼らの部屋には彼らのモノが、思い出を封じ込める保管庫のように残されてしまう。
こうしてみると、nLDKという形式は長い人生のごく一部、10年余りしか機能しないように思われた。かといって、直ちに子ども部屋を排するのはあまりに過激である。個の自立を促すという点で、個室は一定の役割を担うからだ。
そこで、nLDKの形式を大きく崩すことなく、流動化させることを考えた。間仕切りを可動にすることによって1LDKから3LDKへ、あるいは個室のない一室空間へと、ゆっくり変化する住戸。寝室は3台の可動書架によって仕切られ、書架を散らせば4部屋になり、書架を1ヶ所に集めれば大きな部屋ができる。子が巣立った後には、広々とした部屋で夫婦で過ごすのが良さそうだ。寝室がどのように変化しても居間と接続できるように、両者の境界には8連の引戸を設置する。
以下の写真はクリックで拡大します
このように全体構成を決めた後に、家族のあり方について思いをめぐらせた。子供たちがソファに腰掛けてテレビを眺め、夫がダイニングで新聞を読み、妻がキッチンの傍らで彼らを眺める…というような、かつての近代家族の風景は、現代には(少なくとも私の家族には)無縁に思われた。スマートフォンやタブレット、ゲーム機などの情報端末を介して、大人も子どもも家にいながらにして外とつながる。住宅でのアクティビティは前世紀とは全く異なっているのだ。ならば、近代家族の団らんを演じるのではなく、個々人が思い思いの場所で活動を展開し、それが交差する住まいをつくりたいと考えた。
妻は在宅で執筆業を営んでおり、私も時折家で仕事をするので、居間はオフィスのような作業空間として解釈するのが良いように思われた。中心には大きなデスクがあり、妻が執筆したり、私が作業をしたり、子どもたちが宿題をしたり、絵を描いたりする。集中して作業をするためのブースも設ける。
さらに、多様な居場所をつくるために、床座での活動の起点となる畳台と、立位またはハイスツールに対応するカウンターを配置した。畳台はその上に座ればソファ、床に座ればちゃぶ台の高さで、窓際にあり洗濯物を畳むのに便利、子どもたちにとっては格好の遊び場になる。調理と食事を直結させる長さ約4.8mのカウンターは使い勝手が良く(炊事の動線がミニマムになる)、高い椅子に座れば家全体が見渡せる。このカウンターの一部には透明ガラスを立て、キッチンと玄関を仕切る。家族の帰宅をキッチンから出迎えれば、きっと楽しいだろうと考えた。
しかし、ここまで設計をして、「変化する住戸」の実現にはまだ遠いと感じた。住空間は住み手・空間・モノの3者の関係の上に成り立っており、モノの行き場がなければ空間は変化できないからである。
以下の写真はクリックで拡大します
2. 収納計画:こんまりメソッドの応用
片付けコンサルタントの「こんまり」こと近藤麻理恵は、独自の整頓術と自己啓発的な言葉を組み合わせ、妖精のようなカリスマ性によって世界の人々を魅了した。「空間は過去の自分ではなく、未来の自分のために使うべきだと、私は信じています」*1と彼女は語る。「こんまりメソッド」と呼ばれる近藤の片付け術は、人間とモノと空間の関係を取り扱っており、じつは建築計画的である。
「場所別・部屋別に片付ける」は、片づけをするうえで致命的な誤りなのです。[…] 片づけ前の段階では、同じカテゴリーのモノでも収納場所が二か所以上に分かれているケースが往々にしてあるからです。[…] では、どう片づけたらいいのかというと、それは「モノ別」に片づけること。*2
多くの場合、住宅の収納は「場所別・部屋別」であり、モノは空間に従属している。nLDKの個室では、個人と空間とモノが分かちがたく結びつき、硬化する。一方、近藤が提唱する「モノ別」の片付け術では、モノが主体となって空間の垣根を飛び越える。ここにnLDKを流動化させる可能性を感じた。
そこで、自宅の設計では「モノ別」の収納を徹底した。まず、本や書類を可動書架に固める。そして、家族全員の衣類やモノを居間に設けた「コモン収納」に集約する。この収納の内側には縦長の可動棚が6つあり(ハンガーパイプがガイドとなって横方向にスライドする)、この可動棚を仕切りとして、陣取り合戦のように収納スペースを配分する仕組みだ。掃除・洗濯用具類【縦長棚】布団・リネン類【縦長棚】日々使うコート類【縦長棚】子どもの服【縦長棚】私の服【縦長棚】妻の服【縦長棚】…、といった具合である。アップライトピアノもこの収納にちょうど収まった。家族が変化したら縦長の棚を少し動かし、個々人の収納スペースを伸び縮みさせる。
以下の写真はクリックで拡大します
このように「モノ別」収納を徹底した結果、人・モノ・空間の関係は確かに調停され、秩序が得られたように感じた。アクターネットワークセオリー(ANT)を代表として、21世紀にはモノに主格を与え、人間中心主義を乗り越えようとする理論が注目されている。対話するようにモノと向き合う「こんまりメソッド」も、その一つと言えるかもしれない。モノと人間と空間の関係を問い直すことは、住宅設計において、かつてなく重要な意味を帯びているように思われる。
3. 素材とディテール: カタログからの脱却
世の中は「美しい」と思うもの、「いいね!」と思うものに満ちあふれている。
本が詰め込まれた本棚が美しい。
アルミ箔の鈍い輝きが美しい。
道端に転がる石ころが美しい。
節穴からこぼれる光が美しい。
西日を浴びたポリカーボネートのきらめきが美しい。
云々。
新即物主義の写真家アルベルト・レンガー=パッチュは、研ぎ澄まされたモノへの眼差しを写真に定着させて「世界は美しい」と宣言した*3。現代では、SNSに投稿される無数の写真や動画が、日々、「世界の美しさ」を大量に伝えてくれる。
以下の写真はクリックで拡大します
しかし、これらはある瞬間の、ある人の眼差しを通して感じられる美しさである。写真や動画によってその感覚が共有されることはあっても、多くのモノは生得的に美しいわけではない(と思う)。現代はモノに溢れる時代、と言われて久しい。何もかもが美しいのならば、結果は美の洪水だ。それは、住まいにふさわしいのだろうか?
そこで、「美」はとりあえず棚上げして、徹底的に「用」の立場から、すなわち、断熱性・耐久性・保守性・経済性といった実用性の観点から材料を考えることにした。この時に意識したのは、建材のカタログから少し距離を置くことである。
日本の設計現場には大量のカタログがあり、設計者は日々、数千、数万のページを繰っている。しかし、そこに収められるプロダクトの中には、形や表層の差異を追い求めるあまり、実用性から離れてしまったものも少なくない。カタログが見せる商品世界は幻惑的で、そもそも不必要なものまで選んでしまいそうになる。たとえば、ドアノブのカタログを眺めると、形や素材のバリエーションが無数にある。しかし、ドアノブがなくてもドアを開けることはできる。ドアに小さな穴を開け、指を引っ掛ければそれで済むかもしれない。あるいは、ドアの縦枠を少し大きく、握れるようにすれば、ノブの用は足りる。ドアノブを付けないことで、かえってドアが美しく見えることもあるだろう。
同じカタログでも、設備資材や農業資材のカタログでは実用性が明白だ。商品化された建材のラインナップから何かを選ぶよりも、身近にあるものや、工業や農業といった他産業で使われるものを転用するほうが廉価で、パフォーマンスが高いこともしばしばある。
「用」の観点から、あらゆるものについて本当に必要かを疑う。カタログに囚われず、身近なところや、他産業にも目を向ける。そして、選んだものはできるだけ加工せず、それ自体の佇まいを尊重する。これらを指針として、素材とディテールの検討を進めていった。
具体的には、まず断熱材を決めた。マンションの住戸では上下階や隣戸への熱移動が大きく、その影響を無視できない。そこで、あらゆる壁・床・天井を徹底的に断熱する計画とし、壁面には施工の容易な石膏ボード複合断熱パネルを採用した。一方、居間の天井にはアルミ箔複合断熱パネルを使った(これは工場などで用いられる不燃材料である)。北西向きの住戸は昼でも少し暗いため、アルミ箔の表面が外光を反射させ、室内に導くことを期待している。同様の考えで、居間の床仕上げには光沢のあるリノリウムを選んだ。
以下の写真はクリックで拡大します
居間と寝室を隔てる8連の引戸には、厚さ25mmのポリカーボネート中空板を採用した。表面は外光を反射し、中空部は光を透過するので、空間を広く明るく感じさせる。また、その複雑な断面形状は視線を遮り、寝室のプライバシーを確保する。この分厚いポリカ板は十分な強度があるため、枠は必要ない。そこで、3Dプリンターを用いて中空層にぴしゃりと嵌まる部品を制作し、それが鴨居と敷居を滑る納まりを考案した。さらに、外壁などで用いられる金属製の角波板を鴨居・敷居に転用した。波板は安くて頑丈で、その凸凹は引戸の溝にぴったりである。電気工事用の吊り材で波板を吊れば、8連引戸の鴨居ができあがる。
以下の写真はクリックで拡大します
鴨居とコモン収納の上には、アルミ天井を照らす間接照明を導入した。加えて、作業ブース上部から片持ちで伸び、天秤のようにバランスする回転式照明を設置した。これは居間あるいはダイニングを照らす一人二役の照明であり、ステンレス角パイプから製作している。また、この照明と同寸の角パイプを使って畳台をつくった。こうすると、ステンレスが畳の縁のように見えて少し面白い…。このように、一つを決めると次が決まる、しりとりのように連綿とした思考で検討を重ねた。
以下の写真はクリックで拡大します
もう一つ、素材とディテールに関して徹底したのは「ぶどまりの良さ」である。引戸の幅はポリカなら1.2m、合板なら3尺といった具合に、材料の規格寸法に合わせている。内壁の一部を覆う再生紙ポリボード(鶏舎などで用いられる表面が水に強いリサイクル材料)も、工場でサイズを確認してから割付を決めた。キッチンカウンターは人工大理石であり、その端材が洗面台となるように寸法を調整している。リノリウムの床も歩留まりよく設計し、残余となる寝室の床はタイルカーペットで覆った。その色は、室内に映り込む緑と補色をなすオレンジである。
以下の写真はクリックで拡大します
4. 「用」の再考:2020年代の民藝精神
自宅の設計をしている最中に、友人の建築家から「住むための機械ですね」との批評を頂戴した。その時はなるほどと思ったが、工事を終え、移り住んでしばらく経った今から振り返ると、実用性と物性を突き詰める方法はル・コルビュジエの機械的なメタファーよりも柳宗悦の民器への眼差しに近いのではないかと考えている。
ル・コルビュジエは1887年生まれ、柳宗悦は1889年生まれで、没年も近い同時代人である。建築と工芸という遠からぬフィールドで活躍し、メディアを駆使して自らの思想を世に広めたという共通点を持つ*4。「実用性(機能性)」「多産(大量生産)」「廉価(経済性)」「健康性」「単純性」など、二人の思想は似通っており、技師の美学を説いたル・コルビュジエの姿は実用品の美を説いた柳の姿と重なる。しかし、両者は機械に対しては正反対の態度をとった。ル・コルビュジエは近代技術に立脚し、英雄的に新しい時代を切り開こうとした。一方、柳宗悦は機械に不信感を持ち、手仕事による平常性の美を目指した。類似した近代的思考に端を発しながらも、ル・コルビュジエは英雄的な未来に、柳宗悦は平常なる過去に眼差しを向けたと言えるだろう。
機械に対する柳の不信感は、当時濫造されていた機械製品の質の低さに起因していた。しかし、機械生産の質は徐々に向上し、柳が愛した手仕事品の多くは、皮肉にも彼が批判してきた純粋美術、すなわち高価で、少量生産で、美を目的化した存在に近づいてしまった。柳宗悦自身は機械への態度を改めることはなかったが、その息子であるプロダクトデザイナーの柳宗理は―彼はル・コルビュジエから深い影響を受けていた―、民藝の範疇を機械製品まで拡張し、父の「手仕事贔屓」と「機械嫌い」を乗り越えようとした*5。
ここまで見ると、ル・コルビュジエは柳宗悦よりも先見性があったように思われる。しかし、歴史はそう単純ではない。柳宗理が手仕事偏重の民藝を批判していた1970~80年代、建築界はポストモダニズムの真っ盛りであり、機能主義と技術至上主義がもたらした画一性、均質性への批判が巻き起こっていた。ポストモダニズムの理論的背景の一つであるバーナード・ルドフスキーの「建築家なしの建築」*6 は、柳宗悦のように地方行脚し、ヴァナキュラーな建築に無名性の美を見いだすものであった。ポストモダニストたちは近代建築が切り捨てた過去の装飾や形態に再び目を向け、古今東西の様式の折衷を提案した。東洋と西洋、昭和と縄文、農村と都市…。時空間を越えて二元論的な対立を包摂する柳宗悦の肯定的思想は、きわめてポストモダン的だったと言えよう。
ここで、もう一度、柳の眼差しについて考えてみる。若くして近代的思考を身につけた柳宗悦が機械の発展を見落とすとは思えない。柳は手仕事が機械に取って代わられる時代に、その多様性を愛して、あえて手仕事を礼賛したのではないか。近代建築の機能主義は与件/機能と計画/形態を一対一に結びつける傾向があり―核家族向けのnLDKはその典型である―、ゆえに建築の画一化と均質化を招いた。しかし、柳の説く「用」と「美」の結びつきは多様であり、たとえば「茶碗」という1つのプログラムから無数の美が発見された。
しかし、ポストモダン建築は、柳宗悦の民藝論とは全く異なる結末に至った。近代建築への「異議」そして「超克」にこだわるあまり、ポストモダニズムからは「実用性」「多産」「廉価」といった社会的プログラムが抜け落ちた。そして、ポストモダン建築は過度なフォルマリズムに陥り、1990年代に急速に萎んでいった。「貴族的な作品にまつわる著しい欠点は装飾の過剰ということです。技巧の不必要なる跳梁です。形態は錯雑となり、色彩は多種になり、全体として軟弱な感じを免れることができません。これも明かに一種の病状を示した藝に過ぎないのです」*7。柳宗悦による20世紀初頭の純粋美術への批判は、ポストモダン建築を描写したかのようである。
さて、ここで2020年代に時を戻そう。ポストモダニズムが終焉を迎えたとはいえ、素直に機能主義や技術至上主義に戻ることはできない。国内外でポストモダニズム再考の兆しもあるが、2000年以降に見られたメタボリズム再考、ブルータリズム再考の流れを見ると、単に順番が回ってきただけのようにも思われる。「大文字の建築は終わった」と言われて久しく、英雄的な建築は求められない。商業主義の徒花であるアイコン建築とエシカルなソーシャルデザインを両極としたグラデーションの中で、宙ぶらりんになったような感覚だ。一方、社会全体を見渡すと、環境問題の深刻化と情報技術の発展によって、確実にパラダイムシフトが生じている。
このような中で、再び「用」を中心に考えたい―自宅の設計を経て、そう思うようになった。柳宗悦の時代に手仕事が萎んだように、現代日本では機械工業が情報技術に取って代わられ、衰微しつつある。また、商品化・カタログ化が進み、モノの多くは表層の差異を求めて「用」から離れている。このような状況だからこそ、近現代が生み出してきたモノと概念を冷静に見直し、その「用」を再考してみたい。環境問題を前提とし、情報技術と共存する「用」を。与件と結果が一対一対応する機能主義ではなく、与件と結果の多様な結びつきを許容する「用」を。今日における多産、廉価、健康性、単純性、そして平常性と接続する「用」を。この時、未来に残すべき事物を掬い上げようとした柳の精神が役に立つように思うのだ。そして、普段は背景となり、ふとした瞬間に輝きを放つ。そのような住まい、建築を考えてみたいと思う。
*1 近藤麻理恵. 『人生がときめく片づけの魔法』. サンマーク出版, 2010, p.162.
*2 Ibid., p.40.
*3 Albert Renger-Patzsch. Die Welt ist schön. Einhundert photographische Aufnahmen. Munich: Einhorn-Verl, 1928
*4 「民藝の100年」. 東京国立近代美術館, 2021.
*5 柳宗理.『エッセイ』. 平凡社, 2003.
*6 Bernard Rudofsky. Architecture Without Architects. MoMA NY, 1964.
*7 柳宗悦.「民藝の性質」. 『民藝とは何か (講談社学術文庫)』所収, 2006.
岩元真明
1982年東京都生まれ。ICADA共同主宰、九州大学助教。一級建築士、博士(工学)。2008年東京大学大学院修士課程修了。難波和彦+界工作舎スタッフ、ヴォ・チョン・ギア・アーキテクツ(ベトナム)パートナー兼ホーチミン事務所所長を経て、2015年からICADAを共同主宰。2016年から九州大学大学院助教。2019年に日本空間デザイン賞金賞・銅賞、2021年にウッドデザイン賞優秀賞(林野庁長官賞)、山田一宇賞など。