SHARE 妹島和世と西沢立衛が2018年に行った講演「環境と建築」の詳細な記録
妹島和世と西沢立衛が2018年に行った講演「環境と建築」の詳細な記録が、東西アスファルト事業協同組合のサイトに掲載されています。講演内容が図版付き文字起こしレベルで掲載されています。左サイドバーから膨大な過去のアーカイブも閲覧できるでお勧めです。
妹島和世と西沢立衛が2018年に行った講演「環境と建築」の詳細な記録が、東西アスファルト事業協同組合のサイトに掲載されています。講演内容が図版付き文字起こしレベルで掲載されています。左サイドバーから膨大な過去のアーカイブも閲覧できるでお勧めです。
新井里志+中富慶 / Kii inc.が設計した、伊勢丹新宿店での、エルメスのポップアップショップのデザイン「HERMES Pop-up Store SS20 WOMEN SHOES」です。なおこのポップアップショップは2020年1月の期間に行われました。
エルメスの2020SSレディースシューズのポップアップショップのデザイン。
あるものすべてを大小の円柱のみで構成し、そこへコレクションに使われている特徴的な色と植物柄”jardin botanique”を用いて、軽やかで楽しげな世界観を表現した。
遠野未来建築事務所が設計した、コンテナハウス「Red Container」です。
信州カラマツは美しい赤色と木目が特徴である。針葉樹の中では比較的強度があるものの、反りやねじれが大きくこれまで建材としてあまり使われてこなかったが、乾燥技術が進みその懸念が解消されたことで今後様々な用途で活用が期待されている。ここでは丸太の柱・梁の構造材、床・壁・軒天・家具など、天井以外はすべてカラマツで仕上げられ、その素材と空間を体感することができる。
天井のみ木組のカラマツの赤色の梁と対比させるため、あえて地域産の色白のサワラを使っている。
藤本壮介への、ザ・ニューヨーク・タイムズ・スタイル・マガジンによるインタビュー記事「壁のない家 ―― 建築家・藤本壮介の軌跡」が公開されています。
岡田宰 / 2id Architectsが設計した、東京・千代田区のオフィス「SILQ Capital Office」です。
東京にある資産運用会社の新オフィスの内装デザイン計画である。
企業の性質上、信頼・高級感とベンチャー企業としてのフレッシュさ、秘匿性と解放感といった、一見矛盾するような要素の両立が求められる中、既存空間は植栽を配置したテラスや、木目調のサッシといった、強い性格を既に持っていた。
そこで、セキュリティーを求められる個室空間を既存壁面の延長として挿入し、エレベーターホールから執務空間を通して外部のテラスが見えるように空間形状を整理した。
意匠面においては、荒く掻き落とされたモルタルと艶の無い塗装といった、対極な性格を持つテクスチャーをワントーンでまとめた壁面仕上げや、外部の色を取り込むようなカーペット等、既存空間の意匠との整合性をとりつつ、本質的な素材感による高級・信頼感と企業のフレッシュさを両立させることを試みた。
藤森照信が、2018年に行った講演「自然を生かした建築のつくり方」の詳細な記録が、東西アスファルト事業協同組合に掲載されています。講演内容が図版付き文字起こしレベルで掲載されています。左サイドバーから膨大な過去のアーカイブも閲覧できるでお勧めです。
ヘルツォーグ&ド・ムーロンの設計で完成した、スイス・バーゼルの、1939年に建てられたコンサートホールの改修「Stadtcasino Basel」です。施設の公式サイトはこちら。過去に同建築の建替えコンペが行われザハ・ハディドが設計者に選出されましたが、2007年に投票によってその計画が中止になったという経緯があります。その後、2013年にヘルツォーグ&ド・ムーロンに同施設の研究依頼がなされ、4年間の改修期間を経て完成したとの事。
The Extension
We explored a number of possibilities and variations for generating more space to house the additional facilities required for the Musiksaal. We focused on the area between the Musiksaal and the Barfüsserkirche, where the cloisters had been built in the Middle Ages. The area had consequently been cleared for architectural modifications by the Department of Historic Preservation. Initially we proposed extensions to the building between the Barfüsserkirche and the Musiksaal in analogy to the former cloisters but soon jettisoned the idea on urban, architectural, and operational grounds. The Stehlin Musiksaal was brilliantly conceived as a palazzo and all attempts to add on to the building looked like ridiculous patchwork. Similar to the annex of 1939, the extension facing the church would have been perceived as being behind the building and thus inferior to the façade facing Steinenberg.The only viable solution was to treat the Musiksaal as an autonomous building, uncoupled from the 1939 Casino.
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