SHARE “建築と今” / no.0002「乾久美子」
「建築と今」は、2007年のサイト開設時より、常に建築の「今」に注目し続けてきたメディアarchitecturephoto®が考案したプロジェクトです。様々な分野の建築関係者の皆さんに、3つの「今」考えていることを伺いご紹介していきます。それは同時代を生きる我々にとって貴重な学びになるのは勿論、アーカイブされていく内容は歴史となりその時代性や社会性をも映す貴重な資料にもなるはずです。
乾久美子(いぬい くみこ)
1969年大阪府生まれ。1992年東京藝術大学美術学部建築科卒業、1996年イエール大学大学院建築学部修了。1996~2000年青木淳建築計画事務所勤務を経て、2000年乾久美子建築設計事務所を設立。2000〜2001年東京藝術大学美術学部建築科常勤助手、2011〜2016年東京藝術大学美術学部建築科准教授。2016年より横浜国立大学都市イノベーション学府・研究室 建築都市デザインコース(Y-GSA) 教授。
主な作品に「フラワーショップH」、「共愛学園前橋国際大学4号館Kyoai Commons」、「七ヶ浜中学校」、「釜石市立唐丹小学校・釜石市立唐丹中学校・釜石市児童館」、「延岡駅周辺整備プロジェクト 延岡市駅前複合施設 エンクロス」など。
URL:http://www.inuiuni.com/
今、手掛けている「仕事」を通して考えていることを教えてください。
山梨県で福祉施設に関わっています。地域で、数十年、知的障害者の方々の支援を行ってきた社会福祉法人が、廃校になった小学校校舎をグループホームとして使い直すというものです。校舎を改修することと、そこからはみ出してしまった部屋を受け入れる小屋を木造で建てることをしています。
以前から自閉症や知的障害者の支援施設に関わってきていますが、障害者支援施設の建築としての面白さは、まちづくりに大きく関わっていることです。
今、関わっている社会福祉法人・名水会のプロジェクトでは、利用者の方々の活動のバラエティを広げたり、ニーズを掘り起こしたりしていく中で、周辺の耕作放棄地を借りて農業を始めたり、廃校になった校舎を使い直したり、空き家をグループホームにしたりと、人口減少によって使われなくなったものを次々とみつけてきては、活動の領域へと組み入れていきます。
その動きが実に自由な感じで良いし、また、なにかバクテリアのように、無用と思われたものを内側から変質させて、豊かな土壌へと作り変えているようなところがあって、彼らがいて活動することでまちがよくなっていくような側面があるのです。とても面白いです。
建築デザインが、そのバクテリアのような活動をどこまでサポートできるのかということに興味をもちながら関わっています。
今、読んでいる「文章」とそこから感じていることを教えてください。
積ん読、乱読がひどい人間で、同時に複数の本を読んでいることが多いです。また、読んでいたはずの本がどこかへ散逸することもあります。
福祉や精神の問題に関わる本もよく読みます。鷲田清一さんのケア関係の本からはじまり、斎藤環さんの本や、最近は、自閉症の方がみずから筆をとった(東田直樹さん)ものや、知的障害の方々の自立生活を支援する中で綴られた重くリアルな文章、また、自閉症などに対するケアの指南書なども含めて、いろいろな次元のものを読みます。
福祉は支援に関する制度もケアの方法論も絶え間無く変化していっている状況です。それらのほとんどは、私たちの社会通念を内側から変化させるような意味合いを持っているように思います。そうした変化に建築が本質的な次元でついていけるのか、あるいは、建築がそのぐらいの強さをもって社会を変えていくのかというようなことを考えさせられます。
今、印象に残っている「作品」とその理由を教えてください。
今、建築の価値がゆれうごいているような感じがします。
まちづくりと建築の融合であったり、建築家の職能の広がりなどの影響で、建築で行うべき議論が様々な次元に広がっています。
いろいろな建築がはなつ、多様な価値に対して、そういうのもあるかもな、こういうのも確かにそうだなと反応している、という状況です。
そうした中で、ぱっと理解できない作品の存在が、とても気になります。
ある時期から、青木淳さんの作品の多くがそういうものになりました。
青木事務所を辞める前はそうではなかった(はず)ですが、ひとつひとつを理解し咀嚼することにものすごく時間がかかるのです。初見で理解できず、作品の空間や図面を頭の中で反芻する中ですこしずつ意味が立ち上がっていくようなところがあります。
「印象に残る作品」というと、そういう類のものを思い浮かべます。