SHARE 村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第1回「コストとレギュレーション」
「今、なに考えて建築つくってる?」は、建築家の村山徹と杉山幸一郎によるリレー形式のエッセイ連載です。彼ら自身が、切実に向き合っている問題や、実践者だからこその気づきや思考を読者の皆さんと共有したいと思い企画されました。この企画のはじまりや趣旨については第0回「イントロダクション」にて紹介しています。今まさに建築人生の真っただ中にいる二人の紡ぐ言葉を通して、改めてこの時代に建築に取り組むという事を再考して頂ければ幸いです。
(アーキテクチャーフォト編集部)
第1回 コストとレギュレーション
僕がエッセイを書こうと思った訳
みなさん、こんにちは。これから杉山幸一郎さんとリレー形式でエッセイを書くことになりました。ムトカ建築事務所の村山徹です。どうぞよろしくお願いします。
まず簡単に僕の自己紹介と、なぜこのようなエッセイを書こうと思ったかをお話しておきます。僕は1978年生まれの43歳で、建築家としては中堅に入りつつある世代になります。学生時代に見た雑誌に掲載されていた建築家すごろくのように、学部、大学院を経て、アトリエ事務所で修行して独立、大学でも教えているという建築家人生を辿っています。
2000年頃の僕が学生の時はこのルートが一般的で、ネットもそれほど発達していなかったこともあり、井の中の蛙のごとく迷うことなくこの道をめざしました。でも、もし今自分が学生だったら、卒業設計日本一決定戦や建築新人戦などの学生コンテストやSNSで視覚化される優秀な学生や作品に触れて怖気付いて独立してのびのび建築を考え楽しむことができなかったかもしれない、と思ったりしています。たぶんそんな学生や若い人も多いのではないでしょうか。
今の日本の建築界の状況は、みなさんには明るく見えていないのではないかと思います。バジェットの下降に反比例して建築コストは上がり、レギュレーションもどんどん厳しくなり、一方でサステイナブルやコモンの正しさが求められ、挙句の果てにプログラムからその事業性まで設計しなくてはいけない。
一見すると窮屈で学生時代のように真っ直ぐに建築をつくれる状況ではないように思われるかもしれません。ですが、そんな状況の中でも、自身が理想とする建築をつくる方法はあるはずで、その方法をこのエッセイで自分なりにも見つけていければ幸いですし、みなさんの気づきやヒントになればなお嬉しいと思います。
もう一点、今回のエッセイでは、スイスを拠点に設計活動をしている杉山幸一郎さんとご一緒できるということも、ぼくにとって大きな出来事でした。このエッセイをスタートするにあたって、彼と何度かやりとりをしました。その過程で、スイス(海外)と日本の状況を相対的に見ることができ、大きな気付きを与えてくれたのです。
世界で最も自身の理想を具現化している建築家の一人であるピーター・ズントーの元で設計活動をしていた経験から語られる、杉山さんの言葉には、強度とワクワク感があります。僕は、建築ってロマンだと思うし、建築でワクワクしたい。そんなワクワク感を如何に生み出せるかを、現代的なテーマを元に考えてみたいと思います。
僕は現在まで建築設計の実務に十数年携わってきました。その間に設計を経験したビルディングタイプは、美術館、大型コンプレックスビル、豪邸、ギャラリー、展示構成、小住宅、物販店舗、集合住宅など。規模も数万平米から数十平米、コストは数百億から数百万まで、その振れ幅は大きく、また社会的な出来事としても、06年の姉歯事件、08年のリーマンショック、11年の大震災、20年のコロナウイルス感染症を経験し、その過程で建築を取り巻く状況も大きく変わりました。
様々な出来事を経るたびに、思い描くように建築をつくることが難しくなってきていることは間違いありません。ですが、考え方や捉え方を変えてみると今だからできること、今しかできないことがあるはずだと思っています。その探求から自身が考える建築の実現にたどり着けると思っています。
年々厳しくなるコストとレギュレーション
まず、最初に考えたいのは、「コストとレギュレーション」というテーマです。建築物を「作品」として捉える観点のなかで、コストについて話すことは意外とタブーになっているところがあります。それは、コストの話が先行してしまうと、建築の歴史や文脈から切り離され経済の問題にシフトしてしまうからでしょう。でも、現代に建築をつくるうえでコストは一番大きなコンテクストと言っても過言ではありません。実際に僕も、まずはコストでそのプロジェクトでの立ち位置を図っており、コストありきでないと前に進めないくらい重要な要素なっている実感があります。
実務に関わっている方なら共感して頂けると思いますが、年々建築コストが下がり続けていることに異論はないと思います。特に若い世代(僕より下の世代)にとっては、そもそもコストが掛けられる案件が存在すること自体が別の世界の話に聞こえるでしょうし、予算があるからこそできることは設計手法の範疇に入っていない、持ち得ていないというのが正直なところではないでしょうか。
実際に僕が実務に携わった十数年で建築にまつわる上述のような出来事がある度にコストは下がり、レギュレーションは厳しくなる一方です。だからこそ建築設計以外の部分で職能を発揮し、新たな手法をもって報酬を得る建築家が増えてきているとも言えます。そして、このような状況のなかで建築をつくり始める若い世代の人たちの話を聞いていると、まあ、それが当たり前で悲観的にならず肯定的に捉え設計をしているようことも分かります。
進んで自主施工をやり、既製品をアッセンブルし、アイフォンで撮った写真をSNSに投稿してメディアに露出する。これらは社会の変化に適応していて、たくましく素晴らしいのですが、続けていくには若さと強靭な意思が必要なのは間違いありません。
また、数年前までは「ローコスト」は一つのジャンルとして扱われていた風潮があり、清貧リノベというアイロニカルな言葉も聞きましたが、今となってはローコストはもはや前提になっています。おそらく民間プロジェクトのほとんどがローコストだと言えるのではないでしょうか。そのような状況を反映するように、『建築雑誌』の2021年2月号「特集14 建築の豊かさを問い直す―ローコスト建築の諸相」の問い立ても記憶に新しいですし、また、若手の建築研究者と実践者の集まりであるメニカンの『海外若手建築家勉強会レポート2』でもあるように、海外でも同じような状況があるようです。このエッセイは建築コストをテーマにしている訳ではなのでこれらの内容に深入りはしませんが、設計をする上でローコストは前提であることが、うかがい知れます。
ただ、ローコストというのは危険な言葉で、事務所の強みとしてローコストをうたい設計活動を続けていくと、どんどんコストがない案件を抱え続けることになり、まさに貧乏暇なし状態のスパイラルに陥ることになる可能性があります。
僕の事務所の場合は、ペインターハウスが極限のローコスト住宅でした。ある建築賞の審査で、ついつい「ローコスト」という言葉を使ってしまったのですが、その時に審査員から「この住宅はそれ以上の価値があるのだから、それは言ってはだめ」と強く言われたことがあり、それ以降、ローコストという言葉を使わないようにしてきました。
では、駆け出しの設計者が陥りやすい、このローコストのスパイラルからどう抜け出したらいいか。僕が実感としてもっているのは、何をすればいくら位掛かるかを瞬時に判断できる建築のコスト感覚と、レギュレーションを逆手にとることで限定的に導き出される最適解を見つけること、そして、ローコストであると言わないこと(笑)、の3つです。それらによって、コストとレギュレーションに縛られることなく自身が理想とする建築をつくることができると考えています。
何をすればいくら掛かるかを瞬時に判断できる建築コストの感覚
コスト感覚を培うには、とにかく多くの建築を見てそのコストがいくか掛かっているのかをインプットしておく必要があります。僕の場合ですが、仲の良い友人や知人の内覧会やオープンハウスに伺った時は、必ずコストが幾らかを予想して聞くようにしています(初対面の方に聞くのは失礼にあたりますのでご注意ください)。これをかれこれ10年くらい続けています。
はじめは大きくズレることも多かったですが、最近では、ほぼほぼ当たるようになってきました。規模、立地、仕上げ、施工精度を見ることで大体わかるようになります。そして大きく外れた時は、往々にして設計者の設計監理能力の優劣に関連していることが多いように思います。つまり、この設計監理能力によって建築はコスト以上のものにもなり得るし、その逆にもなり得るというのが僕の持論です。
また、このコスト感覚のベースもとても重要です。大抵の場合、ベースとなるのは、これまでに自分が設計に関わった建築となることが多いと思いますが、僕の場合は、青木淳建築計画事務所で担当した青森県立美術館(2006)が基点となっています。
青森県美のコストは、延床面積は、主要な箇所で約1.6万平米、総工費110億なので単純計算で坪250万円ですが、広い外構もあるので建築単体で考えるとざっと坪200万円くらいになるかと思います。青森県美はそれこそ上述した大きな社会的事件以前の建築で、コストはかなりありました。
今でこそ既製品をカタログから選んできて組み合わせることが設計の大部分を占めていますが、青森県美では既製品を使わず、レンガ、版築壁床、鋼製建具はもちろんのこと、ドアハンドルや手洗い器までほとんど特注で制作しています。正直この時はコストのことはほとんど考えていませんでした(笑)。
坪200万円あれば、まあ大抵のことはできる、という感覚を得られたと同時に、コストがあってはじめてできること、またはできる空間の質があることがわかりました。つまり、コストによってできる可能性の天井を知ることができました。
この感覚がないとコストの使い方とその効果を見誤る可能性があります。逆にこの感覚を持っていればコスト以上のものにすることができると言えます。そしてこの感覚は実務として体験することは確かに近道ではありますが、そうでなくても訓練をしていけば身につけられると思っています。とにかく、多くの建築を実際に見て体験し、同時にコストをインプットしておくことが必要なんです。
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標準仕様書から設計をはじめる
事例として拙作の「ペインターハウス」の話をします。ペインターハウス(2014)は、現代美術作家の夫婦とその子供の3人家族のためのアトリエ併用住宅です。まず、クライアントから相模原市に3000万円で土地から買って戸建て住宅を建てたいとの依頼がありました。
建売住宅がぎりぎり買えるかどうかというコストで、普通なら土地から買って建築家が設計した住宅を建てるのは無理だと判断するところだと思います。正直、僕たちも何ができるのか、いや、そもそも不可能では、という逡巡がありました。
そうこうしていると良い土地が出たので買うことになり、残った建築費用は税抜きで1300万円。しかも、住宅ローンが土地と建物がセットになったもので、土地を購入する時点で建物の図面と見積書ができていて、その猶予が1ヶ月という厳しい条件。つまり設計期間は1ヶ月しかありませんでした。
まず、1300万円で戸建を建ててくれる工務店を探すのが先だろうと思いはしたものの、建築家設計の住宅をこの価格でつくってくれる良質な工務店は存在しないだろうと早々に判断、建売住宅もやっている工務店に声をかけ、その建売住宅の標準仕様書をもらうことにしました。
標準仕様書には、工法や仕上げなどの記載があるので、その範囲内ならつくり方を変えても仕様は同じなのでコストも抑えられると考えたのです。こうして工務店を確定しつつ、設計を2週間で終わらせて見事に1ヶ月で図面と見積書を準備してローン申請が完了し、着工となりました。この時点での図面は、至極一般的な仕様の木造2階建て住宅で、外壁はサイディングとしか書いていないし、普通の笠木が付いていたり、内壁も構造用合板が素地で普通に張られていたりと、最終的に出来上がった可笑しなディテールは見る影もない状態でした。
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ここからが日本の住宅建築の施工プロセスのいいところで、建売住宅でも在来木造は現場で大工が施工するのが一般的です。この規模なら材料の発注や施工手順も大工が決めていきます。住宅は小さな現場なので、大工との距離も近く直接相談できます。
現場の大工との信頼関係を構築し、設計者の意図を理解して貰うことで、サイディングは一箇所だけコーナー材を使わず飛び出させる、笠木はなしにしてパラペットの外側までFRP防水を巻き込む、内壁の構造用合板をペンキで塗装するところは節ありにしオイルで仕上げるところを節なしのものにするなど、現場でこうしたいと話してその場でのディテールの変更を行いました。
標準仕様書には文字ベースでの仕上げの記載しかなく、図面によるディテールの記載はありませんでした。通常であれば大工の判断で決められるこれらのディテールを現場で大工と密に打合せをし、部材が増えずコストに影響しない範囲を探っていきました。
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こうしてペインターハウスは、1300万円というコストと住宅ローン制度のレギュレーションから、建売住宅をやっている工務店とその標準仕様書から外れない範囲で設計し、現場監理で大工と協働してディテールを決めていく、という稀有な設計方法で出来上がりました。
コストから導かれた一手で最大の効果を狙う
次は、「天井の楕円」の話をします。天井の楕円(2018)は、前述のペインターハウスを雑誌で見て気に入った4人家族のクライアントからの依頼でした。中古で築20年の木造2階建ての住宅を買ったのだけど2階のリビングダイニングキッチンが広すぎて拠り所がなく、どう暮らしていけばいいかわからないので相談にのって欲しい、という話です。
実際に現場に行ってみると、建築家の葛西潔さんの木箱シリーズの住宅でびっくり。確かに2階は44平米のワンルームで斜屋根形状がそのまま天井となった茫漠とした空間で、南側の大きなアルミサッシュに筋違いが重なっていて外と切れている印象がありました。
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「それで、ご予算は?」とお聞きすると設計料込みで350万円とのこと。その時の事務所の最低設計料が予算の半分以上になりますが、どうしましょうか?と伺うと、それでもお願いします、と言ってくださり設計がスタートしました。
とはいえ、建築コストが200万円にも満たないなかで何ができるのか、もしかすると簡単な模様替えで終わってしまうかもしれない、と危惧しながら計画を進めていきました。ここでもコストが一番のコンテクストになることは明白で、床、壁、天井の大きな面を扱うには無理なコスト、やれて家具ぐらいだと早々に判断しました。
では、建築未満家具以上の何か別のオブジェクトを挿入することですべてを解決することができないかというアイデアにたどり着き、高さ1.8mのレベルに楕円の穴の空いた新たな天井を挿入するに至ったのです。条件となるコストから早々に一手のみで最大の効果を狙う方向性にシフトできたのが大きかったのは間違いありませんが、それ以上に元の葛西さんの木箱シリーズのカスタマイズできる空間の質があったからこそできた作品だとも思います。
また、僕らの事務所では設計者が自主施工はしないようすることも重要だと考えています。
コストがないとどうしても自分たちの労働力を無償で提供する手段に走ってしまいがちですが、あくまで設計者として図面を描き現場監理することで立ち上がる建築をめざしています。
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天井の楕円は、建物全体をリノベーションするのは難しい家具程度のコストのなかで、鍼灸のように一点を抑えることですべてを良くする局所的リノベーションの実践と言えるでしょう。
どのような条件でも、どのように作品に出来るかを考える姿勢
こうしてコストとレギュレーションというテーマで自身の経験を振り返ってみると、どんなに困難な案件や条件であっても必ず明るい着地点があるはずだと思えるポジティブさを持って挑んでいたことに気付かされます。
僕たちの事務所のような小さなアトリエは、営業がいるわけでもなく仕事のほとんどは口コミやネットから受動的に入ってきます。言うならば常に先のことはわからない状態がデフォルトなわけです。この先、仕事があるかという不安をずっと抱えるわけですが、かと言って営業も得意ではなくできることは設計のみ。であるならば、その設計を営業にすればいい、という考えのもと、とにかくいい作品をつくり続けていれば次に繋がると信じここまでやってきました。
その根底には、どのような案件や条件であっても如何に作品にするかを考える姿勢があったように思います。作品と言う言葉に、アレルギー反応を起こす人も多くいるかもしれませんが、僕たちは不器用なくらい設計しかできず、設計の力を信じているからこそ建築を作品と捉えたいと思っています。
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加えて、建築コスト少ない場合、比例して設計料も同じく少なくなります。こうしたなかで事務所を健全に継続しながら作品にするためには、設計と施工を短期間で終わらせる必要が出てきます。
例えばペインターハウスの場合は、レギュレーションから逆算して、土地探し1ヶ月、設計1ヶ月、申請1ヶ月、施工4ヶ月の計7ヶ月で完成しましたが、この期間で完了しないと事務所経営としては成り立たないことはわかっていたので素早く終わらせました。
でも、おもしろいことに、こうしてスムーズかつスピーディーに進んだ建築は往々にして思想がストレートに表れた作品になることが多いのです。
村山徹
1978年大阪府生まれ。2004年神戸芸術工科大学大学院修了。2004-2012年青木淳建築計画事務所勤務。2010年ムトカ建築事務所共同設立。現在、関東学院大学研究助手。主な作品に「ペインターハウス」、「小山登美夫ギャラリー」、「天井の楕円」、「WOTA office project」など。