※アーキテクチャーフォトによる『リノベーションプラス』の書評についての解説テキストはこちら
建築の回復 生きられるまち/都市へ
建築という言葉が生まれる、ずっと前の世界を想像してみる。ある共同体でつかわれるいろいろな環境-生活を守る覆い・ものを保管する倉庫・みなであつまる広場・祈りをささげる場所…は、みながそれぞれ得意なことを持ち寄ってつくられ、つかわれ、直されているうちに、だんだんとまちの一部になっていった。得意なこと、とは、今の感覚でいえば、計画をする・材料をあつめ組み立てる・運営する…などと名前をつけられそうだけど、実際の分担はもっとあいまいで、というか、つくることとつかうことの境界はほとんどなかった。あらゆる環境は自分たちでつくり、つかうもので、そのあつまりとしてまちがあった。そんなひとつながりの、ひととまちのあり方を、ここであらためて建築と呼んでみよう。
モダニズムは、そんな広い意味の建築から、つくることだけを取り出し、急速に成長する市場経済と一緒になって、またたく間にまちを刷新し、都市を築いていった。世界は長いあいだ「つくる時代」(嶋田洋平さん)にあって、多くの建築家は、次第に足並みを揃えてつくり方の違いを競い合うようになった。そのうちに、建築の意味はさらに小さく、建築家は少しずつまち/都市から遠い存在になっていった。
ポストモダニズムの本来の意義は、そんなつくり手のものになった建築を、つかい手のものへ転換することにあったように思う。日本で「ポストモダン」と言えば、バブル期に流行った華やかな様式ゲームとして受け止められているけれど、その後にミニマルでわかりやすい建築物が数多く現れたのは、単なる反動ではなく、建築が受け手を主体とすることへの変化が確実にすすんでいたからだ。そんな折、日本の人口減少元年とされる2008年、リーマンショックが起きた。情報革命が、ひとのつながり方や経済活動のあり方を、いよいよ大きく変えつつある最中のことだった。