SHARE 黒川紀章が1972年に完成させた「カプセルハウスK」を保存・公開するプロジェクトが発足。2021年5月の公開を予定
黒川紀章が1972年に完成させた「カプセルハウスK」を保存・公開するプロジェクト「カプセル建築プロジェクト」が発足しています。「2021年5月に初めて一般公開し、6月から民泊事業の開始を予定」しているとの事。工学院大学建築学部教授の鈴木敏彦と黒川紀章を父に持つ黒川未来夫が中心となって進めているようです。
カプセルハウスKについて
「カプセルハウスK」 は50年間の非公開を経て、2021年5月に初めて一般公開し、6月から民泊事業の開始を予定しています。1972年に黒川紀章が長野県北佐久郡に自分の別荘として建てた建物です。カプセル建築の完成形とも言えるこの個人住宅は山間にあり、人目につくこともなく、初期の状態が保たれてきました。2019年に長男の黒川未来夫が取得し、修繕と維持管理を行っています。数少ないメタボリズム建築の一つであるこの建物を、将来のカプセルの交換を含めて長く後世に残せるよう、御支援を頂いている方々、各関係者様のご協力を得ながら進めて参ります。2021年5月23日まで、動態保存のための資金を資金を募っています。
クラウドファンディング ⟶ MIRAI KUROKAWA DESIGN STUDIO
株式会社MIRAI KUROKAWA DESIGN STUDIO(代表:黒川未来夫)と工学院大学建築学部 鈴木敏彦研究室は共同し、黒川紀章設計の「カプセルハウスK」(長野県)を保存しながら活用する「カプセル建築プロジェクト」を始動します。
黒川紀章(1934-2007)は日本を代表する建築家です。26才で建築を新陳代謝させる理論運動「メタボリズム」を展開し、1970年の大阪万博ではカプセルを用いたパビリオンを発表し、1972年には東京・銀座ではカプセル型の集合住宅「中銀カプセルタワービル」を竣工しました。これらの「カプセル建築」は、耐用年数のみならず、住人のライフスタイルや用途に合わせてカプセルごと交換することを意図して作られ、その画期的なコンセプトと共に世界的な話題となりました。
東京、銀座の「中銀カプセルタワービル」は2006年にDOCOMOMO JAPAN にて日本におけるモダン・ムーブメントの建築として選定されましたが、築50年を経て老朽化が進み、建物は解体や存続の危機にさらされています。しかし昨今のコロナ禍では、テレワークやリモートワークの需要が高まり、カプセル的な場所や空間の需要が高まっています。今こそ、カプセル建築と黒川紀章の思想を再考すべきではないでしょうか。黒川紀章建築都市設計事務所の当時の設計担当者と集い、「カプセル宣言」(1969)、大阪万博の「住宅カプセル」(1970)、「中銀カプセルタワービル」(1972)、そして「カプセルハウスK」(1973)というカプセル建築の系譜を整理しました。
これまではカプセル建築のルーツとして、大阪万博(1970)の「タカラビューティリオン」(理美容機器メーカーのパビリオン)の立方体のカプセルを例に挙げる分析が多く見られました。しかし、すべてのカプセル建築の統括責任者であった阿部暢夫氏は、同万博会場にあった「空中テーマ館住宅カプセル」こそ黒川紀章の「ホモモーベンス」のコンセプトを表したもので、「中銀カプセルタワービル」を経て「カプセルK」(1973)がその完成形であることを指摘しています。また、すべてのカプセルを設計した茂木愛子氏は、今や広く普及したカプセルホテルの原型である、世界初のカプセルホテル「カプセル・イン大阪」(1979)を振り返りました。こうして設計者の声や当時の資料を基に、カプセル建築の系譜を作り、インテリアとしての位置づける新解釈を試み、研究をまとめました。
カプセル建築の誕生から現在までを改めて俯瞰すると、黒川紀章の「カプセル宣言」は、半世紀後の私たちのライフスタイルを予言していたのではないかと考えさせられます。テレワークや二拠点居住など、黒川が想定した「ホモモーベンス」の暮らしが現実味を帯びてきました。私たちは、黒川紀章のカプセル建築にはこれからの暮らしに役立つヒントがあると考えています。皆様のお力添えを賜りたく存じます。どうぞ忌憚のないご意見をお寄せ下さい。