村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」

村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」

村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」

「今、なに考えて建築つくってる?」は、建築家の村山徹と杉山幸一郎によるリレー形式のエッセイ連載です。彼ら自身が、切実に向き合っている問題や、実践者だからこその気づきや思考を読者の皆さんと共有したいと思い企画されました。この企画のはじまりや趣旨については第0回「イントロダクション」にて紹介しています。今まさに建築人生の真っただ中にいる二人の紡ぐ言葉を通して、改めてこの時代に建築に取り組むという事を再考して頂ければ幸いです。
(アーキテクチャーフォト編集部)


第2回 サステイナブルであること、その正しさ

text:杉山幸一郎

 
 
はじめまして、杉山幸一郎と言います。
本題に入る前に、簡単に自己紹介をさせてください。

スイスアルプスの麓にあるクールという(涼しげな笑) 街で生活し始めて8年目になりました。昨年夏にピーター・ズントー事務所を退所して以来、大学で教える傍ら、パートナーの土屋紘奈と共に自身の事務所を設立し建築設計活動をしています。

実は、度々友人から、「日本に帰ってこないの?」「なんでチューリッヒやバーゼルといった都市に引っ越さないの?」と尋ねられることがあります。たしかに。ズントー事務所があったからクールに住み始めたので、ここに留まる本来の理由はなくなったのかもしれません。

ピーター・ズントーはスイス有数の国際都市である彼の地元バーゼルでもなく、チューリッヒでもない、人口千人の村ハルデンシュタインを拠点にして世界中でプロジェクトを行なっています。そうした彼の生活の仕方、働き方を見ていると、もっと自由に好きなところで生活していっていいんだよ。と言われたような気がして。

ここからチューリッヒでも、日本でも活動できる。片足をついているのがたまたまアルプスの街クールで、もう片足はピボットのように自由に動けるままにすることもできるんじゃないか。と今のところは考えています。とはいえ、数年後全く違ったことを言っている可能性もあるので、その時は笑って許してくださいね(笑)。

昨年まで連載していた全10回のエッセイ「For the Architectural Innocent」から、今年はムトカ建築事務所の村山徹さんとともに執筆することになりました。タイトルにあるように、今まさに考えていることをそのまま文章に起こしていくつもりです。

ムトカ建築事務所と、僕たちの建築設計事務所atelier tsuの活動は、どちらも建築を通して世の中に貢献しようと試みている。けれども異なるアプローチをとっていると思います。たぶん、だからこそ、お互いに刺激し合えるんだろうと。その辺をもっと知っていくことも、この対談エッセイで楽しみにしています。


第1回を読んで。コスト感覚の身につけ方

村山さんのエッセイで、「何をすればいくら掛かるかを瞬時に判断できる建築コストの感覚を身につける」という話がありました。なるほど、竣工した建築を見にいく機会が減ってきて、コストを気にして見ていた経験も少なかった自分にとって、感覚を養う話から始まり、2つのプロジェクトを通して丁寧に説明された文章からは、たくさんの気付きをもらいました。

そもそも、ペインターハウスという可愛らしくも力強い住宅が、そういう背景でできていたなんて知らなかったし、言われないとローコストで建てられたなんて、全く思えません。

ところで、、スイスではどんな風にコスト感覚を身につけているの?
どうやって総工費を試算したり、設計料を決めるの?という疑問に少しだけ応えてから本題へ移っていこうと思います。

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村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」『werk bauen+wohnen 5.2020』より。赤線部分は筆者が加筆。
村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」『werk bauen+wohnen 5.2020』より

僕が建築コストに関して得ている情報源の一つは、スイスの建築雑誌『werk, bauen + wohnen』の巻末ページに紹介されているプロジェクトです。公共、民間建築問わず、基本図面、矩形図から面積、総工費までの情報がまとめられています。

少しだけ項目をチェックしていきましょう。
赤でマークしてある箇所を見てください。例えば「1-9 Erstellungskosten total」は設計料含む総工費になります。約19億のプロジェクトです。1-6という番号は、BKP(建設コストプランニング)による分類でスイス共通です。設計図書や図面番号でこの番号を使います。

下のパラグラフにある「Gebäudekosten /m2」を見ると3047スイスフラン/m2となっています。三月末現在のレートでは40万円/m2くらいでしょうか。

その他にも建物の延べ床面積、そのうちどの範囲が暖房設備/有断熱なのか。など、細分化された情報がわかります。設計しているプロジェクトに似た用途と規模の建物を調べれば、あらかじめ大まかに全体像を把握することができます。
最近オープンした「werk-material」にもウェブデータベース化されていて、必要な情報を選んで探すことが可能になっています(有料)。

このように、建築における多くの事柄、とりわけ建設工程におけるコストの振り分けや、対応する建築スペックがわかり、効率よく建てられているかも明快です。だからこそ、建築家は建築をできるだけ理にかなった規模で、用と美を満たしながら、それでいて新しいライフスタイルを提案することが求められているのです。このテーマに関しては、後にもう一度帰ってこようと思います。


スイス建築のコスト

スイスの建築家が総工費、それに含まれる設計料を試算する時には、大きく分けて2つの計算方法があります。参考資料「 17_Tools_Honorar_150402.pdf (ethz.ch)

1、かかった時間に合わせて

該当するプロジェクトに何時間かけたか、チーム内でどのポジションにいる建築家がどれだけの時間割給料をもらうかを元にして計算します。時間割で計算するこの方法は、SIA(スイス建築家エンジニア協会)が発行しているガイドライン「SIA102 Art. 7 (2014)」にも言及されていました。

ここでは、例えばプロジェクトリーダーはA、チーム内アーキテクトはC、ドラフトマンはEといったように、チーム内のポジションによって料金設定が変わります。取り決めはありませんが、アーキテクトなら大体130スイスフランくらい(日本円で約17,000円 ※2022年3月時点)になります。

これだけだとかなり高給のように聞こえるのですが、この時間割給料には、事務所賃料、その他経費諸々も含まれた上での設定となっていますので、実際のスタッフはそんなにもらえません(悲)。

2、一括パッケージとして

当然の話なのですが、かかった時間に合わせて計算すれば、設計にこだわればこだわるほど時間がかかり、残業が増え、総工費における設計料の割合が、とんでもなく高く見積もられてしまいます。

例えば、大きな予算のあるプロジェクトでは設計料も十分に確保されているのですが、小さな改修プロジェクトなどは、予算も設計料も厳しいことが多いのはスイスでも同じです。けれども、設計を始める準備をしたり、敷地を調査したりコンセプトを考えたりする段階では、規模の大きさによって設計ステップを省略できるほど大きく変わることはありません。

つまり、小さなプロジェクトで時間割計算をしていくと、設計料が全体予算に比べてべらぼうに大きくなってしまうのです。こうした場合には、一括パッケージ(Pauschal)として総予算から試算します。計算方法はSIAによって考えられ使われていましたが、そうした設計料設定の仕方はカルテルの恐れがあるとのことで、現在は表立って推奨されていません。

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村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」『keevalue』より(https://www.keevalue.ch/)

その代わりに、「keevalue」などの試算ソフトが使われています。このソフトでは12’000を超えるスイス建築のデータベースから、規模、建てる地域や敷地の形状、外内壁仕上げや設備までグレードを暫定的に決めることで、総予算を試算することができます。例では、390m2の二世帯住宅新築を見積もりました。敷地がかなり傾斜しているので、躯体工事や機材、建材の搬出入のグレード、困難さを高く設定しています。こうしてみると、設計期間や工事期間も算出されているのがわかります。

こんな計算で信用できるの?と思っていた周りの建築家も、はじめの見積もりにしてはそれなりに合ってくる。と話していました。僕はまだ半信半疑なのですが、、。


サステイナブルって何だろう?正しいってどういうこと?

そろそろ本題に入っていきます。

スイスで設計コンペに参加すると必ず、コンパクトに、つまり予算をできるだけ抑え、無駄な動線や使いにくい空間が少なく、表面積が小さく、敷地を有効に活用して、、。というように建てることが求められています(これはスイスに限らないことだと思います)。

建物の外壁表面積が小さければ、熱ロスが少ない。コンパクトで無駄な空間がなければ、建材を節約できる。など、、。これによってサステイナブルになる!と読み替えることもできなくはありません。

そうは言っても心の中では、そもそもサステイナブルっていろんな事柄が組み合わさって評価されるものなので、一概にこれはこうだからサステイナブルだ。とも言えないのだろう。と僕自身は思っているのです。

ある構造エンジニアと、コンクリート造と木造の工法について話していた時のことです。

CO2排出量が少ないことをサステイナブルと言うならば、製造、加工におけるCO2排出量を比べると、木造の方が少ないし、樹木が生長時に吸収したCO2を考慮すればさらにサステイナブルだ。

一方で大きな空間を作る場合には、木造の方が梁の寸法が大きくなってしまうし、用いられる集成材では加工の際に大量の接着剤が使われる。それを考慮すると、強度のあるコンクリートで比較的薄いスラブにしてしまった方が、結果的に少ない材料で効率よくできる、よりサステイナブルと言えることもある。という話を聞きました。

サステイナブルと聞くと、地球温暖化を抑制するためにCO2削減をしよう。そのために建築では木造を推進しよう。ソーラーパネルを設置して太陽光エネルギーを活用して自発電しよう。と全て賛成なのですが、どこか建築が環境マシンのようになってきているような気がしてしまいます。

例えば、昨年参加した中学校と体育館の設計コンペでは、3000m2以上の太陽光パネルを設置すること。という条件がありました。屋上に設置するだけでは要求面積が足らず、ファサードにも設置することになったのですが。環境設備エンジニアによれば、北側は影になるので、南側の30%くらいの効率しかない。それでも、要求面積を満たすために行う必要があるのだろうか?と。

僕が確かに言えるのは、どうやら僕たちがこれまでに学んできた建築とは大きく違った建築が求められている時代になっている。ということ。そんな中で、自分にとってサステイナブルとは?どんなことが考えられ、できるんだろう。

僕なりに「建築における時間軸の設計」として、以下2つの項目に着目してみます。


建築の耐年数。設計デザインの耐年数

最近、デザインをするときにいつも考えているのは、これをどれくらい持たせることができるだろう、持たせたいのだろう。ということです。理想は、これからデザインするすべてのものが永久に持ち長らえることです。でも現実は多分、そんなに甘くありません。

なぜって、デザインは常に時代によって刷新、改善され、また社会やクライアントの要求によって少しずつ変わっていくものだからです。すごく良いと思う椅子があったとしても、それよりももっと良いものが出てくれば、当然、カタログはそちらにアップデートされてしまうでしょう。

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村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」Altersheim photo©Koichiro Sugiyama

ピーター・ズントーの設計した『マサンサの老人ホーム』でさえも、数年前に建て替えをするという話がクライアント側から出ました。結局、ズントー事務所からの提案もあって既存の建物は改修し、敷地内の別の場所にもう一棟新築を建てることで、解体を免れました(写真奥に見えるのが新築棟、設計はChebbi Thomet Bucher Architektinnenによる)。

屋根防水、キッチン、トイレやバスなどの水回り設備、窓の性能と断熱材の劣化、日差し避けのサンスクリーンなど、建物の老朽化箇所が増えたり、当時よりももっと良い性能の機能的な建築部材が今あれば、設備のランニングコストを抑えることができるといった話も出てきます。

そうした小さな改修や新たな要望があちらこちらで出てくれば、ではいっそ建て替えをしたほうがいいんじゃないか。という話も導き出されるのも当然の成り行きかもしれません。

また、建設当時は二層分の面積だけ必要だったけれど、今は高齢者が増えて入居者も増加傾向にあるので、その需要に応えるためにもっと多くの面積を確保したい、高層の建物にしたい。といった土地の効率的な活用も大きな要因の一つです。

ここで注目したいのは、デザインの良し悪しではなく、うまく使えなくなってきた。という用の要望から建築は建て替えられていくことが多いという事実です。長いことうまく使えるような建築を考えることが、サステイナブルであるうえで一番重要なんじゃないか?と。

では、長いこと使える建築ってなんだろう。例えば、僕がこれから設計して竣工したものが、生涯を終えるまで壊されずにあるだろうか。と思って建築を考えると、ふと思いついた(面白い)アイデアで下手な挑戦はできないぞ。と思考の暴走をストップするもう一人の自分がいます。

ズントーは、設計スタッフが持ってきた案について、あまりよくわからない。と考えている時に、「Ask your grandmother!」と言います、、。よく言われました(悲)。

つまり、提案はなんかいい感じだけれど、結局表面的にうまくできているように見せているだけで、建築の芯がない。それらしい言葉を並べて理論武装するよりも、僕たちの祖母に見せた時に、「あぁ、これいいよね」とわかってもらえる、シンプルで強い芯を持て。ということだと思っています。そんなシンプルな力強さがありつつ、新鮮な空気、雰囲気を運んでくるような建築ができれば良いのですが、、。

一方で、もしクライアントが、これはポップアップストア(期間限定店)で1年くらいの出店を見ている。と言えば、材料の選択やデザインの瞬発力、つまり今これをやったら皆を惹きつける力があるだろう。けれども、これが10年経ったら、時代遅れに見えてしまうんだろう。そんなデザインも、考える余地が生まれてきます。

もう一度、理想はずっとそこにあること。でも、もしそれができなくなったしまったり、必ずしも求められていない状況にあったら、どういったアプローチがあるんでしょうか?


リユースできる作り方

デザインするもの全てを千年持たせようとするのは理想かもしれないけれど、クライアントの要望や規模によっては、それが変わってきても良いんじゃないか。そうなったときに、単純に壊すことが良いのか。

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村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」『Dado, Gebaut und Bewohnt von Rudolf Olgiati und Valerio Olgiati』より

スイス、フリムス(Flims)の建築家、ルドルフ・オルジアティは古い家が壊されると、そこから家具やドアをもらい受けて、自身が設計した新築の建物の一部として用いていました。新築の全てをゼロから作り出すと、全てのものが新品で綺麗なまま、使っていくごとに素材によって異なる使用感が出てきます。

外装に用いる木材はすぐに古びてきます。建設途中にはただ綺麗だったものも、数年後には貫禄が出てきているかもしれません。もちろん、始めから古材を使うことも考えられる。

一方、アルミは錆びてもスチールほどに目立った見えの違いは出てこない。ガラスは数年経っても変わらず透明感があって綺麗な状態のままです。現代建築にアルミとガラスでできたものが多いのは、いつまで経っても残る新しさ(現在性)が重要であるからだと思っています。

また同じ素材でも、例えば石材をピカピカに仕上げたものと、荒々しく仕上げたものでは、感じる時間軸が全く違いますし、色彩や模様に関しても、過去に流行したものを選択することで、時間軸を付加することができるのだろう、と。

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村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」建築における時間軸 image©Koichiro Sugiyama

僕は、建築空間の中にいろんな時間軸がパラレルに内包されている方が、空間に許容力がある、つまり新しくモノや変化を受け入れやすい器になると考えています。
「新と旧」という言葉がありますが、それは二つの対比する項を表すのではなく、「新と旧との間にある全ての時間」も含んでいるべきだと思うのです。

建築の躯体は100年持つかもしれないし、非構造壁である仕切り壁は10年後に取り壊し場所を移しているかもしれない。壁の色は来週塗り替えられるかもしれないし、明日新しい家具を買うかもしれない。時間軸を元に、建築要素のヒエラルキーを考えることができます。

話題にしているのは、「新築を減らし、古い建物を改修しながら残すこと」では必ずしもありません。ただ、現実問題として新築は建築0年(歳)から時間軸をスタートせざるを得ない。では、新築でパラレルな時間軸を設定するにはどうしたら良いのだろうか?ということへの応えです。

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村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」『Modulør-5_2021』より

古いものを受け入れる、つまり建築材のリユースを促すプラットフォームとして、スイスには「Salza」があります。建物が壊される時に、それを紹介、販売引き取りを促進しています。

ここで重要なことは、Salzaの創設者である建築家Olivier de Perrotがインタビュー(Modulør 5/2021)で答えているように、「写真、簡単な説明、場所、そしていつに手に入るのか。」という根本的な情報さえあれば、彼らが大きな倉庫を借り、解体してそこへ運んで欲しい人が現れるまで保管しておく必要もありません。
スイスでは年間4000-4500棟の建物が壊される。目の前のリソースを使わない手はないのです。
日本では、いったい何棟の建物が一年の間に壊されているのでしょうか?

もちろん課題はありそうです。どうやって素早く情報を共有し、きちんと時間内に捌けるかということ。運送を次の目的地、建設現場まで滞りなく計画できるということ。
新しい建築を建てるクライアントは、壊す予定の建物をいつまでもそのままにとっておきたくはないでしょうから。

作り手からの解決方法として、建築をどうやって解体すれば、できるだけ多くの建材をリユースできる形で残すことができるか。という課題と、それを建築家が設計段階でデザインできるのか。という課題が浮かび上がります。

例えば、友人の建築家はバーゼルにあるホテルのカフェバーの改修で、内壁、バーカウンターなどの新しい什器、造り付けの家具を全て接着剤、モルタル(ウェットジョイント)なし、ビスだけで組み立て解体なものとして作りました。胴縁などで各部材を間接的に組み立て、ドライジョイントとするだけで、多くの部材は比較的簡単に破損なく取り外すことができます。

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村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」Shrine 01 photo©Serge Borgmann & Koichiro Sugiyama

僕自身も家具職人Serge Borgmannとの協働で、接着剤と釘なしの家具オブジェクトを設計制作しました。木の曲がる力だけで組み立てられ、支えることができるベンチテーブルです。4つの脚と2枚の天板、計6つの木材のみでできています。完全にリユースできます。

MADASTER」というプラットフォームでは、建材のデータベース化をしています。どの物件に、どのくらい経年した、どんな部材が使われているのか?第三者が目の前にある建物を理解し、部材をリサイクルできるかを評価、計画することができるのです。常にアップデートされる建材の取り扱い説明書のようなものでしょうか。

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村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第2回「サステイナブルであること、その正しさ」 image©Koichiro Sugiyama

上の図は、大学のエスキスで建築を考える時のガイドラインとして制作したものです。
思えば、ズントー事務所にいた時も常に建物がどう組み立てられるか。ということを意識して設計をしていました。建物が建てられる順番というのは、往々にして建物をどう組み合わせていくか。というテーマと重なります。

僕にとって建築とは、素材を組み合わせて新しい感覚を作っていくことです。だからこそ、こうした素材、部材の組み立て方をベースとした建築のあり方が、サステイナブルという話をした上でも説得力を持って、正しいんじゃないか。と思えるのです。


最後にひとこと

今、スイス建築に思うのは、スイス建築家が共通して何か一つの方向を作っていこうとする、見えない流れ/ダイナミックです。

多くの公共建築が生まれる設計コンペでは、審査プロセスのクリアさ、入賞プロジェクトそれぞれについての審査コメント、そのプレゼンボードの公開が行われ、どういったプロジェクトが求められていたのか。を詳細に知ることができます。
また先に紹介した雑誌やウェブ上で竣工した建築から学ぶことができます。

それは同時にとても実用的なプロセスで、僕のような若手建築家には仕事をしていく上でとても助かる、、。反面、それぞれの建築家の個性(それが必要である。という前提があれば)は相対的に薄まっていくような気がしています。

情報や時代の流れを共有し、何が良かったのか、悪かったのか。とそれぞれの建築家が考えていく。だからスイス建築と聞くと僕は、なんとなく一つの大きな雲を思い浮かべることができます。(日本建築と聞くと、もっといろんな雲がたくさん浮かんでいる。感じでしょうか。)
言い換えれば、スイスの建築家は、大体同じ方向を眺めながら共通の課題「今どういった建築が求められ、必要なのか?」に向かって一緒に取り組んでいるようにも思うのです。

いろんなことを盛り込んで考えながら書いたら長くなってしまいました。
ぜひ時間を見つけて、それぞれの項目を考え直していただければ嬉しいです。

次回のテーマ「かたちと寸法」について、村山さんは何を今、考えているのか。
かたちと寸法には強い関係があるのか。それともほとんど別々のものとして考えることもできるのか。この二つのキーワードは、僕たちが目にしている全てのモノに当てはまる、不可欠な要素です。
前回の記事にあったペインターハウスの可愛らしさ、力強さはどこから来ているのか?そうした抽象的な印象も、かたちと寸法で説明できることなのか?

この文章を綴りながら、とても気になっています。


杉山幸一郎
浜松出身。一級建築士。
日本大学高宮研究室、東京藝術大学大学院北川原研究室にて建築を学び、在学中にスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ピーターメルクリ スタジオ)に留学。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりアトリエ ピーター ズントーにて研修、2015年から同アトリエ勤務。2021年土屋紘奈とatelier tsuを共同主宰。

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■ビジョン
私たちは、人々がシェアをする場をデザインしています。
今、社会はますます急速に変わり始めています。
その中で私たちが目指すのは、建築を通して新しい豊かさを定義し続けることです。

家族だけに縛られない多様な住まい、世界と地域をつなぐ宿泊、物の購入よりも体験に価値がおかれる商業施設、コミュニケーションとイノベーションがビジネスチャンスを作る時代の新しいオフィス、個人の人生に寄り添ったケアの場。これらはそれぞれ全く異なる用途でありながら、いずれも「シェア」によって価値を生み出します。

私たちはこうした「シェアする場をつくる」ために、「そこにどんな営みを作り出すか」を突き詰めます。ハードとソフトの双方を捉え、それぞれの場に相応しいコンセプトとデザインを提案しています。プロジェクトによっては企画から提案を行い、人の生き方に多様な選択肢を生み出す建築を提案しています。
現在は、ホテル、自然公園のビジターセンター、寺院建築、店舗、シェアハウス、コーポラティブハウス等、様々な案件が進行しています。

設計の進め方に関しても、新しい試みを行っており、一昨年から導入したBIMとVRによる検討は、設計段階での解像度が高まり、大きな手応えを感じているところです。

変化を楽しみ、挑戦を続ける私たちと一緒に働いてくれる仲間を募集したいと思います。

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DDAAとSOUP DESIGN Architectureによる、長崎・波佐見町の「HIROPPA」。企業が立ち上げた広場・店舗・カフェからなる施設で、“自然な賑わいが生まれる場”の要望に対して様々に解釈可能な“地面”をデザイン、特殊なランドスケープも組み合わせ“原っぱ”と“遊園地”の両立を試みる photo©長谷川健太
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元木大輔 / DDAA土井伸朗 / SOUP DESIGN Architectureによる、長崎・波佐見町の、複合施設「HIROPPA」。企業が立ち上げた広場・店舗・カフェからなる施設で、“自然な賑わいが生まれる場”の要望に対して様々に解釈可能な“地面”をデザイン、特殊なランドスケープも組み合わせ“原っぱ”と“遊園地”の両立を試みました。施設の公式サイトはこちら

ヒロッパは、長崎県波佐見町で磁器を企画製造する企業・マルヒロが立ち上げた、広さ4,000平方メートルほどの施設。いただいたオーダーは、「県外から訪れる焼物ファンだけでなく、地元の住民や子どもたちも集まるような、自然な賑わいが生まれる場をつくりたい」というものだった。「ヒロッパ」という最高な名前をつけたのはマルヒロの方々だったが、「広場」や「原っぱ」のような響きもあって、この空間にぴったりなように感じた。まさに「原っぱ」の考え方でこの施設をデザインしていきたいと思ったのを覚えている。

建築家によるテキストより

ヒロッパでは、こうした「遊園地」的なつくられ方のあまりよくない側面を避け、なんとかして遊具の新しい形式を発明できないかと試行錯誤した。しかし結局、安全基準のために、最終的にはお決まりの遊具に収束してしまった。

そこで、新しい遊具を考えるのは一旦ストップして、できるだけ根源的な状況から考え直してみることにした。たとえば、すべり台をつくるのであれば、「滑ると楽しい」という本質的で根源的なコンセプトないし気づきからスタートする。そこから、「滑る」を何か別の状況で再現できないかと考える。遊びとは遊具の形によって決められた行為ではなく、「目的もないのに楽しい」という事実を発見した時に生まれるものだったはずだ。

建築家によるテキストより

最終的に僕たちがデザインしたのは、遊具というよりも「地面」そのものだった。人が腰かけたり、滑ったりするための「きっかけ」を地面に与えてみたのだ。たとえば、土を盛って斜面をつくりつつ、その上部に日陰をつくるためのパーゴラ(植物を絡ませられる日陰棚)も設置する。傾斜地を下ったところには、廃品の陶器を細かく砕いた砂を敷き詰め、砂遊びができるビーチを設けた。浅く水を貯めれば波打ち際のようなじゃぶじゃぶ池もつくれるし、夏には水をたくさん貯めて水遊びもできる。

「地面の操作」というアイデアに至った経緯としては、遊具の制作費が思いのほか高く、土の移動だけで済むやり方がコスト上とても有利だったという現実的な事情もありつつ、「遊具のある公園」よりももう少しプリミティブな広場を考えてみたいと思ったことが大きい。地形に様々な特徴を与えることで、広場そのものに対して、様々に解釈可能な「原っぱ」として質を持たせたいと思ったのだ。

建築家によるテキストより
辻琢磨による連載エッセイ ”川の向こう側で建築を学ぶ日々” 第10回「川の向こう側から自分がいた場所を眺めて」
辻琢磨による連載エッセイ ”川の向こう側で建築を学ぶ日々” 第10回「川の向こう側から自分がいた場所を眺めて」

川の向こう側から自分がいた場所を眺めて

text:辻琢磨

 
 
思い描いていた「修行」ではなかった3年間

2019年の4月から渡辺事務所での勤務が始まり、3年が経った。
勤務の日は朝8時に家を出て、息子を保育園に預け、天竜川沿いを走り、9時に出社、18時に退社。ざっとこの堤防を200往復以上、累計1800時間を超える非常勤職員の生活は、今振り返ると大変充実した時間だった。

当初は「修行」と銘打って週2-3回の勤務を想定していたが、二年目からは名古屋造形大学の特任講師の仕事が始まり、継続して403architecture [dajiba]のプロジェクトも動いていたこともあり、お茶汲み/電話取り/玄関対応は続けたものの、最終的には週1勤務となった。当初想定していた図面や申請図書の作成、拾いといった下積み業務は一年目こそ関われたが、週一勤務では断続的になってしまうため継続的には担うことがなかなかできなくなった。

代わりに、所内でその時に抱える大小様々な課題を渡辺さんやスタッフと一緒に解決するための打ち合わせが増え、あるいは現場に一緒に行き、設計監理業務を手伝うことも自分の役割の一つとなった。その他に、プロジェクト初期の案出しや、建築賞の応募資料の作成、所々の図面修正、断続的な法規チェック、外部打ち合わせへのスポット参加、書類提出や買い出しなどの庶務、など、ちょっとずつ事務所を助けるような役回りに自然となっていった。


建築家の重たい悩み

中でも一番大きかった業務?が渡辺さんとの昼食である。
スタッフ3名(2022年3月時点)の事務所規模では考えられない量の膨大な仕事に追われる渡辺さんの、その時その時の悩みや困りごと(もちろんたわいもない話もしたし僕の相談にもたくさん乗ってもらった)を聞くという役まわりである。

当然ここでは話せない内容が多いのだが、実はそこでの話が最も勉強になったのかもしれない。渡辺さんの重たい悩みを聞くたびに、あぁ自分がもしこんな大変な状況に出くわしたら無理だな、建築とはなんと大変な仕事なんだろう。と自分の建築に対するハードルが日増しに高くなっていった。そういう厳しい現実をお昼に聞いた帰り道は、運転しながら、なぜあんな大変なのに渡辺さんは建築を続けるのだろう、と渡辺さんの建築のキャリアに思いを馳せた。

建築へのモチベーションがどこから来るのか。渡辺さんと話す時にいつも辿り着く最終的な結論(極論)は二つ。
「建築が好きだから」と「人生の間が持つから」。純粋無垢な少年のようで、同時に山にこもった仙人の言葉にも見える渡辺さんの結論に、二人で毎回笑った。


価値観の混乱

渡辺さんの建築、建築家としての印象は、(入札というキラーワードも相まって)地方で土着的に地道にクオリティの高い建築をつくる、という受け取られ方が多いだろう。つまりこれははっきり言えるが、世界でグローバルに活躍しあっと驚く革新的な建築をつくるような、雑誌の誌面を賑わせるようなたぐいの建築、建築家ではない。
しかし、3年間、渡辺さんを、渡辺さんがつくる建築を間近で見てきて、自分にはその両者の間に差や線引が本当にあるのか、わからなくなった。一言で言えば、良い建築、目指すべき建築がわからなくなってしまった。

建築家が違えばディテールも違う、届けられる媒体も違うし、当然建築の形態も違う。施工者やクライアントとの関係性の作り方も違う。共通するのは、苦労をしてでもより良い建築を建てたいという意志だ。その意志に優劣はつけられないだろう。あるいは街場の大工だって工務店だって、組織設計事務所だって、スーパーゼネコンだって、与えられた土俵の中でより良い建築(建物かもしれないけれど)をつくろうとしているはずで、そうだとしたら、建築家か組織か、設計者か大工か、という違いは少なくとも僕からは消え失せる。

日本で建築教育を受けると、何故か建築家のつくった建築が一番良いという価値観に、設計が優秀な人ほど染まっていく傾向があるように思う。そして少なくとも僕は(決して優秀な学生ではなかったが)そういう価値観を持った学生だった。

その価値観は今でも僕に根付いて自分の建築観を支えてくれているが、3年間、渡辺さんの不思議なスタンスに触れ続けたことで、ともかくキャンセルされたのである。キャンセルされて価値観がゼロになったというよりも、フラットになったという感覚が近い。

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