湯浅良介が設計した、神奈川・鎌倉市の住宅改修「波」です。
海を望む高台での計画です。建築家は、雰囲気の刷新を望む施主の“感性”を拠り所に、不揃いに貼るタイルや量感のあるカーテンで“形の印象を弱め”て“密度を上げる”改修を実施しました。与件から得た断片的な心象を表面に置く様に空間を作りました。当記事では、松岡一哲と成定由香沙の写真で作品を紹介します。
海岸線から1kmほど離れた高台の斜面にこの住宅は建っていた。
鎌倉の、日本で初めて計画的別荘地として整備された場所に近く、背後に鎌倉山を背負いながら視界には海が見える。時間の流れが都会とは違う気がした。
斜面地に建つため、玄関は山側の通りと一番高い階で接していた。そのため通りから見える家の姿は低い佇まいとなっている。玄関扉を開けるとすぐに階段があり、数段降りるとリビング、ダイニング、キッチンがあり、そこからさらに1層分階段を降りていくと寝室や個室があるという構成をしていた。“降りていく”という印象の強い空間だった。
「全然違う雰囲気にしてほしいのよ。」初めてこの家を訪れて施主と話した時に言われた。穏やかな話し方だが芯があり、この人の感性に乗ろう、と思った。
住宅は2×4工法でできていたために、間仕切りの変更やボードの撤去が難しく、表面の仕上げしか扱えなかったが、装飾的な設えを施すことに躊躇はないし、見えている表層のみの変化でどれほど空間が変わるのか、人の意識に変化を与えることができるのかに興味があった。
山や森、海へ行った時、そこで意識するのは山の形や木の形、波打ち際や海辺の輪郭線だろうか。無数の植物が繁茂しているその状態、無数の葉や枝から落ちてくる木漏れ日、砂に沈む足底の感覚や波のうねりや水光といった、そこで起きている総体としてのあるがままの状態、そこに生じている現象の方ではないだろうか。似たような形だが同じものが一つとない形の集合とそれによって生じる現象は、それらの輪郭線以上に人の知覚に影響を与えていないだろうか。
そんなことを考えながら、床には一つ一つ焼きムラのある45mm角の青いタイルを、裏貼りのネットから外し一つ一つ手作業で置いてもらった。職人の方には、置いた後に並びを調整せずに置いたままとしてもらいたいと伝え、あえて不揃いな状態とした。壁天井は出隅と入隅の輪郭線を弱めるためにR面をとり、さらに形をぼかすため粗い左官材で無数の凹凸を全体にくまなくつけた。
松岡一哲による写真
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成定由香沙による写真
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成定由香沙による動画
図面とドローイング
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以下、建築家によるテキストです。
波間のできごと
「『時世ごとに』、ネヴィルは言う。『意味が変わる。世界には秩序が、区別や相違が、存在する。ぼくは世界のふちを歩く。始まったばかりだからね。』」*
ヴァージニア・ウルフという小説家に『波』という作品がある。6人の登場人物達の独白が続き、時折海辺の描写が差し込まれ、陽の進行を告げる。海辺描写は9回繰り返され、その間に6人の独白が行われるという層的な構造をしている。誰の語りだったかわからなくなる書き方に当惑されながら読み進めると、気付けば時間が経過している。幼少期に同じ経験をした記憶をもつ6人の会話は、言葉を追いながら、人物が重なったり離れたりするような揺らぎを見せる。その揺らぎは、意識そのもののようでもあり時間の流れのようでもある。
海岸線から1kmほど離れた高台の斜面にこの住宅は建っていた。
鎌倉の、日本で初めて計画的別荘地として整備された場所に近く、背後に鎌倉山を背負いながら視界には海が見える。時間の流れが都会とは違う気がした。
斜面地に建つため、玄関は山側の通りと一番高い階で接していた。そのため通りから見える家の姿は低い佇まいとなっている。玄関扉を開けるとすぐに階段があり、数段降りるとリビング、ダイニング、キッチンがあり、そこからさらに1層分階段を降りていくと寝室や個室があるという構成をしていた。“降りていく”という印象の強い空間だった。
「全然違う雰囲気にしてほしいのよ。」初めてこの家を訪れて施主と話した時に言われた。穏やかな話し方だが芯があり、この人の感性に乗ろう、と思った。
住宅は2×4工法でできていたために、間仕切りの変更やボードの撤去が難しく、表面の仕上げしか扱えなかったが、装飾的な設えを施すことに躊躇はないし、見えている表層のみの変化でどれほど空間が変わるのか、人の意識に変化を与えることができるのかに興味があった。
山や森、海へ行った時、そこで意識するのは山の形や木の形、波打ち際や海辺の輪郭線だろうか。無数の植物が繁茂しているその状態、無数の葉や枝から落ちてくる木漏れ日、砂に沈む足底の感覚や波のうねりや水光といった、そこで起きている総体としてのあるがままの状態、そこに生じている現象の方ではないだろうか。似たような形だが同じものが一つとない形の集合とそれによって生じる現象は、それらの輪郭線以上に人の知覚に影響を与えていないだろうか。
そんなことを考えながら、床には一つ一つ焼きムラのある45mm角の青いタイルを、裏貼りのネットから外し一つ一つ手作業で置いてもらった。職人の方には、置いた後に並びを調整せずに置いたままとしてもらいたいと伝え、あえて不揃いな状態とした。壁天井は出隅と入隅の輪郭線を弱めるためにR面をとり、さらに形をぼかすため粗い左官材で無数の凹凸を全体にくまなくつけた。
床壁天井は既存の仕上げを剥がさずにその上から新たな仕上げ材を増し貼りしている。それにより空間の気積はそれら数mmの厚み分減っている。さらに、既存の窓が見えないように全ての窓に閉めっぱなしで良い状態と見えるような柔らかくボリュームのあるカーテンを被せた。壁にふわっと被さったカーテンも空間の気積を減らす方向に働く。
形の印象を弱め、空間の密度をあげることを目指した。
しかし、表面の数mmの厚みだけを扱う時に、言葉が追いついていかない。何か言おうとすると薄い厚みに収まらない恣意的な企みが悪目立ちし、それは違う、と思い引っ込まされる。
端的に言おうとすれば、施主の言葉に潜むイメージ、家のもつ“降りていく”構成、窓から見える海だけを意識して断片的なそれらの心象を表面に置いていく、ということかもしれない。それでも、どれが何、ということではない。淡々と、目の前の人の話を聞いて、ここに備わっている空間の特性を感じて、目の前にある景色を思い描きなおすことの繰り返しは、他者と目の前の世界へ自分を近づけたり離したりする、固定化されない意識を保つこと、その中で表層と空間を重ねて見ること、と言えるだろうか。
ウルフの『波』を読んだ時、人の意識と時間が重なりそうで重ならない、揺らいだその状態が目の前にあるだけだということを思った。もっと知らなければと思った。人のことも世界のことも。あるがままに見たいと思った。
「『現在の瞬間を包含する世界において』、ネヴィルは言う、『どうして区別するのか?何物にも名前を与えてはならぬ。そのことによって、そのものを変えてしまってはならぬから。あるがままにしておこう、この土手を、この美を、一瞬のあいだ、喜びに浸る僕を。日差しはつよい。僕は川を見る。秋の陽光を点々と浴びて燃え立つ木々を見る。赤色のあいだを、緑色のあいだを、ボートが何艘か漂っていく。遠くで鳴り響く鐘は、弔いの鐘ではないぞ。生のために鳴りわたる鐘もあるのだ。一枚の葉が、喜びのあまり、散り落ちる。ああ、僕は生を愛しているのだ!」*
*引用:ヴァージニア・ウルフ『波』1999年 川本静子訳 みすず書房
■建築概要
名称:波
所在地:神奈川県鎌倉市
主要用途:住宅
設計:湯浅良介
カーテン:堤有希
施工:安池建築工房(代表/伊東進也 担当/横山一浩)
構造:2×4工法
階数:地上2階建
基礎:べた基礎
地域地区:第1種低層住居専用地域
防火指定:22条指定区域
敷地面積:187.99㎡
建築面積:72.0㎡
延床面積:141.0㎡(1F:72.0㎡ 2F:67.0㎡)
設計:2021年12月~2022年4月
工事:2022年5月~2022年8月
竣工年月:2022年8月
写真:松岡一哲、成定由香沙
映像:成定由香沙