SHARE 乾久美子や小堀哲夫が審査員に名を連ねる、東京・世田谷区の「恵泉女学園 講堂 建替えプロポーザル」の応募要項が公開
乾久美子や小堀哲夫が審査員に名を連ねる、東京・世田谷区の「恵泉女学園 講堂 建替えプロポーザル」の応募要項が公開されています。プロポーザルの正式名称は「恵泉女学園フェロシップホール建替え計画設計業務委託公募型プロポーザル」です。応募登録の締切は2024年2月27日(火)です。また、現地見学会が2024年2月11日(日)に行われます(要事前登録)。【ap・ad】
恵泉女学園は1929年に創立され、間もなく創立100周年を迎えようとしています。
世田谷キャンパスでは、毎朝の礼拝と様々な教育活動を支える多目的ホールとして、1973年から50年に渡って役割を果たしてきたフェロシップホールです。
この度、経年と共に老朽化が進み、創立100周年を超えて、生徒達の確かな学力と人間性を養い、自ら考え発信する力を育て、多様化する教育活動のニーズと、生徒一人ひとりにとって豊かな学園生活の拠点となるホールの新設を計画しました。そこで、優れた建築家をパートナーとして幅広い知見と優れたアイデア・卓越した技術と不尽の情熱をもって本施設の設計業務を担える建築家を選定する公募型プロポーザルを実施するものです。
次の50年先も、幾多の困難も乗り越え、挑戦をし続けることが学園の使命と考え新しいフェロシップホールの建設は、設計のプロセスも含め、社会に示すまたとないチャンスであると位置づけています。
どうか私たちの弛まぬ挑戦に力をお貸しくださいますよう、宜しくお願い致します。
以下に、応募要項の冒頭に記載されている「趣旨」も掲載します。
恵泉女学園は 1929年、一人の女性キリスト者の河井道(かわい みち:1877~1953)によって創立されました。河井は、世界が不安定で戦争へと傾きかけていたとき、それ故に聖書が与える勇気と愛をもって、真に平和な世界を創り出すために奉仕する女性を育てようとしたのです。そのために創立当初から「聖書」「国際」「園芸」を教育の柱に、生徒の知性・感性・社会性を育ててきました。現在、恵泉女学園は世田谷キャンパスに中学・高等学校、1988 年より多摩キャンパスに大学・大学院を併設する総合学園として、間もなく創立 100 周年を迎えようとしています。
中学・高等学校のある世田谷キャンパスでは、毎朝の礼拝の中心施設であり、様々な教育活動を支える多目的ホールとして、1973年から現在のフェロシップホールを活用してきました。
これまで 50年に渡って大きな役割を果たしてきたフェロシップホールですが、経年とともに設備の老朽化が進み、約1100名が着席できる座席もその座面の狭小感が拭えません。
そこで、創立100周年を超えてさらに、生徒達の確かな学力と人間性を養い、自ら考え発信する力を育てていくために、多様化する教育活動のニーズに十分に応え、生徒一人ひとりにとって真に豊かな学園生活の拠点となるホールの新設を計画しました。この新ホール建設計画について、学園理事者、教職員、生徒と一体となって施設の計画案を練り上げ実現していくために、優れた建築家をパートナーとして選ぶことが極めて重要であるととらえています。幅広い知見をもって様々な意見をとりまとめ、優れたアイデアをもって本施設の在り方を問い、卓越した技術と不尽の情熱をもって本施設の設計業務を担える建築家を選定するために、公募型プロポーザルを実施するものです。本要項に示しました計画条件は、現段階において一つの枠組みとして設定したもので、これが最適解かどうか『主催者(学園)もまだ悩んでいる』というのが実情です。50年後を見据えた学園の将来にとって、限られた敷地条件や建設費の制約のもと、今後予想される多様なニーズに適切に応えるホールの姿はどうあるべきか、本プロポーザルにおいて選定された設計者とともに、今後も継続して検討を重ね、さらなる最適解を目ざしたいと考えています。
本学園多摩キャンパスの大学・大学院は、女子の高等教育を取り巻く社会情勢の変化の中、入学者の減少が続き、存続に向けたあらゆる可能性を模索して参りましたが、2023年3月、閉学を前提として、来年度以降の学生募集を停止するという決断に至りました。学園にとって大変厳しい苦渋の選択でありましたが、この困難を乗り越えて次の50年に向け、中学・高等学校を核として、挑戦をし続けることが学園の使命であると考えております。このような状況のもとで行われる新しいフェロシップホールの建設は、設計のプロセスも含めて、そのことを社会に示すまたとないチャンスであると位置づけています。どうか私たちの弛まぬ挑戦に力を貸してくださいますようお願いします。