SHARE 加藤孝司 BEYOND ARCHITECTURE “DESIGNING?とは? 福岡という街でデザインについて考える”
BEYOND ARCHITECTURE / 加藤孝司
来場者が自ら作るDESIGNING?展のガイドブック
年に一度ゴールデンウィークの時期に開催されるデザインエキシビション「DESIGNING?」展を見に福岡に出かけてきた。
福岡を訪れるのは一年前の同じ時期、やはり「DESIGNING?」展を見に訪れて以来二度目。昨年のDESIGNING?展には、その年の冬に広島で出会った建築家・谷尻誠さんの展覧会「拾う建築のデザイン」が、メイン会場であるIMSにあるギャラリースペース三菱地所アルティアムで開催され、多くの観客を集めていた。
福岡は友人も多く食べる物も旨いので楽しみのつきない街だ。街の規模としては、個人的には名古屋市に近い印象をもっている。名古屋と違う点は、福岡では繁華街の比較的近くまでそれと同じ規模で街と混じるように住宅地が広がっており、商業エリアと住宅エリアの境が際立って曖昧な印象がある。
その感覚は東京のそれに近いのかもしれない。名古屋や広島は、商業エリアと住宅エリアとの境に川や公園、大きな通りなどが、代え難い地形の特徴として横たわっているのに対し、福岡市では市街地から郊外まで、あくまでのっぺりとした、あまり起伏のない地形が広がっていっているような感じだ。今回タクシーで福岡市街中心から郊外に出てみたのだが、東京と同じように、市街地がどこまでも同じ密度で広がっていた。郊外に向かうタクシーの窓の外に広がる風景は、東京の246沿いの風景に近しいものがあった。地方都市としての福岡の印象は、ある意味他のどの地方都市と比べても極めて都市的である。
DESIGNING?展 / IMSイムズメイン会場風景
DESIGNING?展は「デザインで街を変える」をキーワードに、2005年より福岡の街を舞台に始まったデザインエキシビション。今年で開催5回目を迎える。
DESIGNING?はデザインのイベントとしては、東京のそれと比べるといわゆるモノとしての印象の少ないイベントである。
もちろん、東京の渋谷と新宿を掛け合わしたような、市内最大規模の繁華街である天神にある情報発信型の商業施設IMS(以下、イムズ)の10層吹き抜けの底になる地下ホールを、このイベント自体のインデックスとして、そこから街へ広がって行くように仕掛けられたエンターテイメント性の高いアイデアとともに、街のそこかしこに散りばめられたサテライト会場では、それぞれ主張のある質の高いデザインが発表されている。例えば、昨年までこのDESIGNING?展の運営にも参加していたプロダクトデザイナーの坂下和長さんのアルミを素材にしたプロダクトなどは、日常に使ってみたいと思わせるオリジナリティの高いものであった。
坂下和長「ELEPHANT」
福岡という、東京から来たばかりの僕にはまだ歩き慣れない街を、DESIGNING?展のガイドのままに”デザイン”をキーワードに巡ってみて思ったのは、規模としてはあまり大きくないこのイベント全体から伝わってくる、この街でデザインに携わる人々の、この街とデザインにかける情熱である。
昨年から「靴のままの暮らし」をテーマに、中心部からほど近い大橋のロフトで空間とオリジナルプロダクトを発表し、DESIGNING?に参加しているenoughのメンバーでもあるデザイナーの野見山さんや、有吉さんと議論していても議題になるのは、地方都市としての福岡に固有と思われた問題意識が、実は僕が生まれ育った東京や他の都市でも同じように普遍的な問題なのではないかという、それぞれに共通の気づきであった。
enough room
同じデザインのイベントとして都市を舞台にしたものに東京のDESIGNTIDE(以下、デザインタイド)がある。デザインタイドが昨年からデザインのトレードショー(見本市)としての側面を前面に打ち出し、その対象をデザインの”プロ”向けに転向した感があるのに対し、DESIGNING?は身近にある問題をかたち以前、行為から導きだそうというような、デザインの草の根に徹しているようにみえる。
会場の設定にも両者には明確な違いがある。デザインタイドがこれまで慣れ親しんだ青山エリアでの開催から、昨年よりホテルやミュージアム、商業施設からなる都内有数のインテリジェンスあふれるハイセンスな複合施設、東京ミッドタウンにメイン会場を移し意図的に敷居を上げたようにみえる一方、DESIGNING?は市内有数の繁華街天神のど真ん中にある、デザインとは一見無関係にみえる子どもや大人が集う街の商業施設を拠点に据えていることからも、同じ街と商業施設を舞台にしていながら、デザインイベントとしてのそもそものスタンスの違いが浮き彫りになっていて興味深い。
そこに暮らす自らがして、それぞれの都市に求めるものは異なるし、だからこそそれぞれの方法論により生じる利点や目指すところも異なって当然だし、デザインタイドがデザインのプロに向けたデザインのトレードショーとしてそのターゲットをコアに絞りつつマスに有効的に訴求していくことに長け、DESIGNING?ではマスからマスへ、デザインが街を触媒として広がっていく有効な手段としての可能性を感じた。
それはデザインがトレンドではなく、ましてやファッションでもなく、もっと生活に身近な生々しさを漂わせ、繊細にして時に弱く儚く、時に大胆に、有機的に生成されるものである様を感じさせる。
そこに見え隠れするのは、東京には東京のデザインの在り方が、福岡には福岡のデザインの在り方があるのではなく、その場所に固有の表現をする人と、それを自分のことのように受け取ることのできる感受性豊かな人がいる、という思えば当たり前なことだろうか?
僕は東京の人間でありながら、福岡や広島、そして名古屋や大阪に出かけて、その土地にしかないものに出会いたいと思いながら、モノを見たり、人にあったり、食べたり飲んだりする。だがそこにみるのは、僕の日常との明確な差異ではなく、おのおのが極めて等価なゆえに謎めいてみえるほんのわずかの差異を生み出す当たり前な日常の風景だ。
今回の旅で、そのDESIGNING?展の主宰者の一人である福岡在住の建築家・井手健一郎さん、僕の福岡のエキスパート泉さんとのDESIGNING?展のこと、この街のこと、建築のことを巡る対話は、とりわけ僕に重要な示唆を与えてくれた。
最近、建築ジャーナリズムに接近してみて、改めてデザインジャーナリズムを客観的に見てみると、デザインは社会に接続することが自明になりすぎて、デザインジャーナリズムがきちんと社会に向き合い、社会に接続しながら、それを実際に使用する人びととデザインの関係について語ることを怠っている気がしてきた。仮にもし我が国のデザインジャーナリズムが低迷しているとするならば、多分それは今日のそんなデザインジャーナリズムが内包する社会性の乏しさ、問題解決の方法としてのデザインを語るといっていながら、そこにある問題そのものから目を背けていることに理由があるのではないか。
福岡という都市で、街のなかでデザインを考えるイベント、DESIGNING?展に実際に足を運び、建築やデザインについて考えた最大の成果は、そんなデザインジャーナリズムの現状抱える問題に気づいたことだろう。僕はこの旅でのそんな気づきを、自分が今までしてきて、そしてこれからもするであろうことに結びつけ、それをデザインジャーナリズムの草の根と呼ぼうと思う。
BEYOND ARCHITECTUREでは近日、DESIGNING?展の主宰者の一人である建築家の井手健一郎さんのインタヴューをおおくりします。