SHARE 藤本壮介が、自身の日本とフランスでのコンペ参加経験から、その環境の影響について考察した連続ツイート
藤本壮介が、自身の日本とフランスでのコンペ参加経験から、その環境の影響について考察した連続ツイートのまとめです。※twitterの公式埋め込み機能を使用しています。
中村さんの下記のツイートに寄せて、連投になってしまうけど、ここ数年フランスと日本でやってみて感じたことを書いてみたい。まずは僕たちもパリ事務所ではこの恩恵を受けていて、日本もほんとこういうシステムになってほしいと切に思う。 https://t.co/vuMIdVei0r
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日
一方、近くで見ていると、フランスの建築家は、それはそれで結構苦労しているのが感じられて、なかなか難しいなとも思う。ハウジングのコンペなどはディヴェロッパーとチームを組むので、彼らの命運という重荷を背負った状態で建築家がどれだけリスクをとってチャレンジできるか、というのも問われる
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日
そうすると、意識しているのか無意識なのか、徐々に「勝てる安全さをちょっとしたデザインでそれっぽく見せる」方向で乗り切るのが上手くなってしまっている若手建築家もいるようで、実際仕事を取っているわけだけど、それが幸せなのかどうかは、難しいところだ。
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日
つまり、そのような環境で、じっくりと時間をかけて建築というものを思考し問い直す、ということはやはり大変なのだろうなと感じられる。勇気を持ってそういうスタンスでいる建築家もいるはずだが、同世代が表面上はどんどん大きな仕事を取っていくのを横目に、それを貫けるのかどうか。
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日
(逆に外部から参戦している僕たちなどは、神輿に担ぎ上げられてその上で踊るという役回りを期待されているので、チームの命運や、数万平米、数百億という数字にビビっていては話にならず、その状況でいかに踊り狂うことができるか、肝っ玉が問われているとも言える。)
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日
(そして、どれだけ本質的に踊り狂うことができるかは、結局これまでいかに建築を思考し実践してきたかの厚みにかかっている、とも言える)、それはともかく、
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日
公共の場合には、リスクは自分たちだけが負えばいいから、もっと攻めることができるはずだが、それでも僕の少ない経験でも、毎回実験的なものが選ばれるわけではなく、むしろ安心感や政治的な部分も当然大きいわけで、当たり前に狭き門なのである。
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日
その点、日本は良い意味でのんびりしているというか、建築の思索と実験が許される土壌があるようにも思う。そしてそのような思索を現実の社会に投げかけ、揉まれ、鍛えられる中でさらに進化していく、というルートが、おそらく以前の実施コンペが担っていた役割だろう。
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日
少し前までは、そのようにして思索と実験が、現実の建築として実を結ぶことが許されていた気がするが、ここ何年かのコンペは安心感の方が優先されているようにも見えて、それに適応して仕事を取るだけの場になってしまうとすれば、それは長い目で見て日本の建築を弱体化させるに違いない。
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日
それに合わせて、思索と実験自体も、それが目的化してきて、徐々に閉じたものになっていってしまうのであれば、それはもう悲劇であろう。
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日
日本とフランス、どちらが良いという単純な話ではなく、しかしなんとかコンペのシステムをきちんと構築しないと、日本のこれからの建築は、そして社会は、厳しい状況になっていくのではないだろうか。
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2018年1月5日