SHARE 田根剛の、東京オペラシティアートギャラリーでの建築展「未来の記憶」の会場写真
田根剛の、東京オペラシティアートギャラリーでの建築展「未来の記憶」の会場写真が、美術手帖のサイトに掲載されています。以下は展覧会公式の概要です。
2006年、エストニア文化庁は同国の歴史を展観する新しい国立博物館の設計競技の結果を発表しました。108案の中から選ばれたのはDorell.Ghotmeh.Tane/Architects、それぞれ別の建築事務所で働いていた若者3人が設計競技応募のために結成した建築家グループでした。敷地はソ連時代の旧軍用施設。彼らの応募案は、軍用滑走路の跡地と建物を連続させることで、大地に刻まれた歴史を建築に引き継がせるものでした。
実績のない若手建築家に国家的なプロジェクトを託すこと、占領時代の「負の遺産」を想起させる設計案を採択したことで賛否両論が巻き起こりましたが、エストニアは「Memory Field」と題されたこの案を是として支持しました。「場所の記憶」から建築を考えるという、以降一貫して田根が持ち続けるテーマは、このときから始まったのです。
一夜にして世界的な注目を集めることになった26歳の田根は、仲間とともに事務所を設立し、〈エストニア国立博物館〉の実施設計に取りかかるとともにさまざまなプロジェクトを手掛けるようになります。その仕事は建築設計はもとより、舞台美術、展覧会や国際見本市の会場デザイン、既存の建築のリノベーションなど多岐にわたりました。この時期には、東京オペラシティアートギャラリーの「新井淳一の布 伝統と創生」展 会場デザインで、当館とも協働しています。
建築の分野ではすでに知られる存在となっていた田根がさらに注目を集めたのは、2012年の〈新国立競技場〉国際デザイン・コンクールでした。11名のファイナリストに選出された〈古墳スタジアム〉は、後にさまざまな議論を呼ぶことになったこのプロジェクトに果敢に挑んだ姿勢や、明解なアイデアとフォルムで人々の心に訴えかけ、幅広い層に知られることとなりました。
2014年には初めて設計した住宅〈A House for Oiso〉、2018年には〈Todoroki House in Valley〉が竣工しました。ふたつの住宅に共通しているのは、田根がキャリアの 最初期から持ち続けている「場所の記憶」についての探求と、それを建築というかたちあるものへと展開させる手法です。「場所」とは固有であり、そこには古代から現代にいたるまでの記憶 ─ 個人的なのものであれ社会的なものであれ ─ が存在すること、それらを丹念に発掘/分類/調査/再構築することで、記憶を未来につなげる役割を果たそうとするのが田根の建築です。その手法はまさにArchaeological(考古学的)なアプローチといえるでしょう。〈エストニア国立博物館〉の竣工を機にAtelier Tsuyoshi Tane Architectsとしてあらたなスタートを切った田根の、さらなる飛躍が期待されます。