SHARE “建築と今” / no.0001「青木淳」
「建築と今」は、2007年のサイト開設時より、常に建築の「今」に注目し続けてきたメディアarchitecturephoto®が考案したプロジェクトです。様々な分野の建築関係者の皆さんに、3つの「今」考えていることを伺いご紹介していきます。それは同時代を生きる我々にとって貴重な学びになるのは勿論、アーカイブされていく内容は歴史となりその時代性や社会性をも映す貴重な資料にもなるはずです。
青木淳(あおき じゅん)
1956年横浜生まれ。東京大学修士課程建築学修了。91年、青木淳建築計画事務所を設立。2020年、ASに改組。05年、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。東京藝術大学建築科教授。代表作に「潟博物館」、「青森県立美術館」など。京都市美術館(通称:京都市京セラ美術館)のグランドリニューアルの設計を西澤徹夫とともに手掛ける。19年、同館館長に就任。
URL:http://as-associates.jp/
今、手掛けている「仕事」を通して考えていることを教えてください。
「松本平陸上競技場」の設計がはじまりました。
人々の気持ちや行動というナカミは、それ自体で形をもっていません。
それを容れる、広い意味での建築というウツワがあってはじめて、ナカミは形をもちます。
ウツワは、それ自体で形を決めることができません。
そこに容れるナカミがあってはじめて、ウツワはその形を決めることができます。
ナカミもウツワも不定形。
その不定形同士がやりとりするなかで、
ナカミはウツワをつくったり、壊したり、
ウツワはナカミをつくったり、壊したり。
この動的な、微妙な関係が、おもしろい。
建築の設計というのは、その関係のなかに飛び込んで泳ぐこと。
それは、住宅の設計も、美術館の設計も、陸上競技場の設計も変わりません。
今、読んでいる「文章」とそこから感じていることを教えてください。
移動する電車で手持ちぶさたにならないように、カバンにいつも本が入っています。
重いのを持ち歩きたくないから、文庫に限ります。
乗ってすぐ降りることが多いので、開いても数行、多くても数ページしか、いっぺんには進みません。
いまカバンに入っているのは、夏目漱石の『三四郎』。
こんな読み方だから、筋を追うというのとはまるで違う「読書」です。
好きなところを、覗いてみる。
たとえば、はじめの方の、三四郎が野々宮の下宿で夜の留守番中、そばで轢死があるところ、とか。
出てくる人たちが、いろんなことをあれこれ、思ったり考えたり、いろんなことが唐突に起き、時間が早まったり、遅くなったりする。
そして、それはどんな魔法でぼくの頭のなかで出来しているのか、文章のつくりを検分しようと、もう一度、読み始める。
と、降りる駅についてしまうので、あわててページを閉じる。
改札を出る頃には、すっかり忘れてしまうのですが。
今、印象に残っている「作品」とその理由を教えてください。
谷口吉郎が設計した「藤村記念堂」が気になっています。
木曽谷の馬籠宿、島崎藤村の生家に建てられた記念堂です。
とは言っても、不思議な建ち方で、火事で焼失したもともとの生家があった場所を「庭」として、
その脇に、細長くつくった廊下のような建築です。
その意味で、これは見られるべき対象としての建築ではなく、特定の場所に注意深く考えられ、設定された空間体験としての建築と言ってもいい。
そうした構想の、静かなラジカルに惹かれます。
またその建築は、図面は描かれたものの、むしろ地元の大工たちの腕との相談でつくられたところが大きかった、と聞きます。
つまり、設計は、その場の人々というなかに入って作用する、いわばウイルスのようなありかたとしてあったし、それを谷口はよしとしたわけです。
ここに、戦後建築の「夜明け前」と言ってすます以上の、ラジカルがあります。