SHARE 【特集:書籍・リノベーションプラス】 青木淳による書評『自分が楽しいと思うことの先に「仕事」がある。先に「建築」があるのではない。』
※アーキテクチャーフォトによる『リノベーションプラス』の書評についての解説テキストはこちら
自分が楽しいと思うことの先に「仕事」がある。先に「建築」があるのではない。
出版業について、ほとんどなにも知らない。が、ひとりで出版社を立ち上げ、企画を立て、インタビューに人を訪ね、文字を起こし、編集し、自腹を切って印刷し、流通に乗せ、営業にまわる、しかもそれで生計を立てる、ということが大変なことくらい、さすがに想像がつくというもの。だから、ひとり出版社「ユウブックス」の記念すべき出版第1作『リノベーションプラス 拡張する建築家の職能』の見本が刷り上がった翌日、キャリーバックを引き引き、本を届けに私の仕事場にやってきてくれた「発行人」の矢野優美子さんに、出版のこと、そこに至る経緯を、根掘り葉掘り、聞いてみたくてたまらなかったのは、いたしかたがないことだった。
初対面ではなかった。最初にお会いしたのは、私がまだまだ新米の部類だったとき、いちはやく、特集号を出しましょうと言ってくれた「建築文化」編集長・富重隆昭さんの下で彼女が働かれていたときのことで、つまり1999年、もう20年近くも前のことだ。その後、「ディテール」の編集にまわり、そこでも何回かお会いしたこともあったはずだが、3年前、彰国社を辞められたという。「ふと、このままいけば、『ディテール』の編集長になって、ずっと建築の納まりを相手にしていく人生、それはちがうな、と感じて。まわりの人たちが止めるのもかまわず、ともかく辞めてしまったんです。」
建築関係の編集からも離れたかったから、なじみのない分野の出版社に転職。しかしその会社、原稿を読み込むことさえ無駄な時間ととらえるほどに「効率」が求められる仕事環境。それが苦痛で、1年ほど働いたところで体を壊し、あえなく退職。そこでやはり、「建築というバックグラウンドを生かした職場のほうがいいかも」と思い直して、住宅系の雑誌をつくる会社に就職したら、今度は、編集だけでなく、今までやったことのないライティングも求められる。歳で言えば、編集部で最年長。なのに、ライティングに関しては素人同然。「うまくできないこともあって、迷惑をかけたこともあったかもしれない」けれど、4ヶ月を過ぎて、ようやくライティングもなんとかこなせるようになってきたと思ったところで、突然の解雇。「正社員として入社したのだから、それはおかいしいと思うけれど」。
それでもその間に、ライティングの経験を積んでいる。今度は、急いで次の職場を探しはしなかった。「せっかく身につけ始めたライティングの技術、くやしいからきちんと書けるようになりたい」と、いくつかのメディアで記事つくりをしながら、興味の赴くまま、不動産の仕事ゼミ(テーマは未利用ビルの再活用法について)やワークショップに参加したり、シェアオフィスの仲間が受けた町づくりのイベントを手伝った。町おこし系のビジネスコンテストに友人と参加したときは、入賞もした。いつの間にか、まわりに仲間が増えていた。仕事のための関係ではない。仕事の立場から外れても、いや、外れたからこそ、自分の性向が自然に流れ出す先に、やることがあり、会う人がいて、そして自分の居場所があった。
その立ち位置を続けていきたい。でも、それでどう生計を立てていけばいいのだろう。そう考えていくと、この立ち位置のなかで、さて自分ができることはなんだろう、という問いが頭をもたげてくる。うーん。
答えは、実は、あっけなかった。あ、そうか、本をつくることじゃないか。それをプロとして、長らくやってきたのだから。自分が応援したい仲間のために本をつくって、それで生計をたてる。それは楽しそうなことだし、さらに仲間が広がっていきそう。自分の居場所がそのまま、生きていく手段にもなる。それを業種でなんと言うだろう。あ、出版業、だ。
まわりの人はおおむね、今の時代、出版業を立ち上げるなんて無謀、という意見。いま、本は売れないし、出版業に新規参入するのはきわめて困難。でもしかし、と思っているうちに、支援してくれる人、グループもあることがわかってくる。そのひとつが、「トランスビュー」。ベストセラーになった『14歳からの哲学』などを出した、ごく小さな出版社だ。ただ、この出版社、普通と違う。トーハンや日販などの大手取次を通さない。直販の形で本を流通させる。つまり、書店から必要部数の注文を受け、迅速に納品する。申し込んだ本が、申し込んだ冊数だけ配本されるわけだから、ほとんどの場合、売り切れる。それでも、売れなかった場合は返品できる。しかも、売れたときの書店の利益率は、大手取次より高い。そんな仕組みを持つことで、大部数の売り上げを目指すのではない、コツコツとつくった本づくりが可能になる。
それが普通じゃないのかなあ、とその世界のことを知らない私は思う。いやいや違いまして、と矢野さん。どう違うの、と聞くと、「それを話すと長くなりますけれど」との前置きの上、出版の世界について、つまびらかに教えてくれた。それで私も、大手取次を通さない流通ということ自体が「衝撃的な事件」だったこと、そして、トランスビューのような仕組みを持たないかぎり、出版業の世界に新規に参入することがどんなにむずかしいか、が少しばかりわかってきた。(それを書くと、たしかに長くなるので、ここでは省きます。)
このトランスビュー、彼らがはじめた仕組みを広めようとしている。自分のところだけがうまくいけばいいと考えているのではなく、いい本をつくりたいとがんばっている小さな版元とタッグを組もうとしているのだ。たしかに、大手取次に対して、1社の試みだとあまりに非力なのだから、価値観を共有できる版元と協力して、出版業のオルタナティブなあり方をつくっていくのが正しい筋だろう。しかしそうとわかっても、それを実行できるかどうかは別の話。そこをトランスビューは、仲間を募って、定期的に勉強会を開く。そんな仲間の版元の本を、自分のところの本と同じ条件で、流通に乗せる。つまり「取次代行」する。矢野さんも、そこに参加している。だから、この本の後ろを見返してみれば、「取次代行TRANSVIEW」とちゃんと出ている。
書店に本を置いてもらうには、営業に行かなければならない。しかし、矢野さんはその営業のやり方をしらない。誰だって、はじめてのことは知らなくて当然のこと。それを一緒に書店までついてきてくれて、「名刺の出し方から」教えてくれる人に出会ったという。「無料ではない、でも適切なお金で、本をどう売っていけばいいのかをコンサルティングしてくれる。」
本のデザインは、彰国社を辞めたあとに入った会社で出会った後輩デザイナーが、「応援する」と、安いお金で引き受けてくれた。」印刷所は、ひとり出版社の仲間が紹介してくれた。「だからなめられず、いい仕事をしてもらえた。」
こうしてみれば、矢野さんがひとり出版社を立ち上げたことで、応援してくれる仲間の輪が、ますます広がってきていることがわかる。そしてそれにつれ、この社会のなかでの彼女の居場所もよりくっきりとしてきている。そういえば、ここで私が「書評」を書くことになったのも、architecturephoto.netの後藤連平さんから、「個人で出版社を立ち上げられた矢野さんを応援したいという気持ちが強く」あってと、連絡をいただいたからだった。
じつは、出版・編集の世界でのこうした彼女の体験を、建築の世界に置き換えたのが、この『リノベーションプラス 拡張する建築家の職能』という本だ。
彼女には、「出版」とはこういうもの、というあらかじめの観念はなかったのだろうと思う。彼女はただ、それと関わるなかで、あるいはその近傍を生きることで、自分の居場所と生計の立て方が重なるようチューニングしてきたのだったのではないか。すると、どうなったか。いわゆる「出版」とは違うもうひとつの「出版」の世界のなかに、いつの間にか立っていたのだった。あらかじめ存在している「出版」に自分を合わせるのではなく、生きていくなかで、自分なりの「出版」を見つけていく。大文字の「出版」のために生きるのではなく、まずは自分が生きる。そうして、生きていくということとイコールの出版の形が見出されていく。生きることと同義だから、まわりに仲間ができていく。自分の居場所ができていく。
これを建築に置き換えてみる。「建築」というものが先にあるのではない、それに関わるなかで、生計を立てる。とはいえ、興味のないことはしたくない。ともかく、なんとか興味と生活を両立させる。その先に、いままでの「建築」とは違う建築のあり方、いままでの「建築家」とは違う生き方が現れてくる。つまり結果として、「拡張する建築家の職能」が生まれてくる。建築家の職能を拡張することは、目的ではなく結果なのだ。
自分がやっていることと同型のことへの関心が、矢野さんにはある。だから、どういう筋道を通っていまの仕事の仕方にたどり着いたのか、聞く。それでどうやって生計を立てられるのか、聞く。なぜなら、それが彼女にとって、もっとも切実な問いであるからだ。
と同時にそれは、建築を勉強して、今これから生きていこうとする人たちにとっても切実な問いであるはずだ。というのも、今の日本に、従来型の建築家の生き方を雛形にする余地はほとんどないのだから。それでも、もしその生き方を望むなら、海外に出た方がずっといい。日本で生きたいなら、自分で自分が生きていくための土壌を耕さなくてはならない。
しかし、それはけっしてネガティブなことではなく、それもまた創造的なことだし、楽しいことのはずだ。そのことを、この本で多くの人が語っている。たとえば、谷中で「HAGISO」をはじめた宮崎晃吉さん。「でも自分で仕事のフィールドをつくり出すというのは、じつは一番おもしろいんじゃないかと思っています。」
これが、この本いちばんのメッセージだろう。私もそう思うし、だから、そのことをこれからはじめられる若い人たちを羨ましく思う。
そういえば、この本のインタビュアーは、もちろん、矢野優美子さんだ。しかしそのことがどこにも明記されていない。かろうじて、巻頭の、たぶん最後にインタビューした松村秀一さんが、彼女は、「企画者、インタビュアー、ライター、編集者、そして発行人をひとりで引き受け」ている、と紹介しているのみ。そう言えば、編集者としてのクレジットもない。照れ臭かったからだろうか。
ともかく、これでは読者にとても不親切だから(笑)、次は、せめて「あとがき」を載せてほしいものです。
青木淳
Jun Aoki
建築家
1956年横浜市生まれ。82年東京大学大学院修士課程修了。83年〜90年磯崎新アトリエに勤務後、91年に青木淳建築計画事務所を設立。個人住宅をはじめ、公共建築から商業建築まで、多方面で活躍。2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。代表作に「馬見原橋」、「潟博物館」、「ルイ・ヴィトン表参道」、「青森県立美術館」、「大宮前体育館」、「三次市民ホールきりり」等。著書「JUN AOKI COMPLETE WORKS 1:1991-2004」「同第2巻:Aomori Museum of Art」、「同第3巻:2005-2014」、「原っぱと遊園地」、「原っぱと遊園地2」「青木淳 ノートブック」他。
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