本記事は学生国際コンペ「AYDA2020」を主催する「日本ペイント」と建築ウェブメディア「architecturephoto」のコラボレーションによる特別連載企画です。4人の建築家・デザイナー・色彩計画家による、「色」についてのエッセイを読者の皆様にお届けします。第3回目はアートディレクター / デザイナーの原田祐馬に色彩をめぐる思考について綴っていただきました。
石ころ、スマホ、記憶の肌理、
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ぼくは、アルゼンチンにおける自分の夜間飛行の晩の景観を、いま目のあたりに見る心地がする。それは、星かげのように、平野のそここに、ともしびばかりが輝く暗夜だった。
あのともしびの一つ一つは、見わたすかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇蹟が存在することを示していた。あの一軒では、読書したり、思索したり、打ち明け話をしたり、この一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭しているかもしれなかった。また、かしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。それぞれの糧を求めて、それらのともしびは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っていた。中には、詩人の、教師の、大工さんのともしびと思しい、いともつつましやかなものも認められた。しかしまた他方、これらと生きた星々にまじって、閉ざされた窓々、消えた星々、眠る人々がなんともおびただしく存在することだろう…。
努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。
石ころからも、多くのことが想像できる
デザインは、近くて遠い誰かへの手紙のようだなと思うことがある。
その手紙は、すぐに届くことも大切かもしれないが、10年後、20年後にじんわりと届くものであってもいいだろう。また、それが人間じゃなくても、遥か深海に暮らす小さな魚であっても、5000km離れた土地から飛んでくる鳥でもよいだろう。サン=テグジュペリが1937年に書いた《人間の土地》のこの一文は、改めていま読んでもその近くて遠い誰かに思いを馳せることの大切さを知らせてくれている。
後編は、これをサン=テグジュペリから83年後に届いた手紙と受け止め、私たちがプロジェクトで色彩について実践しようとしていることについて考えてみたい。私は、サン=テグジュペリのような飛行操縦士ではないので、空から考えることは得意ではない。しかし、移動しながら考えてみることは大切にしている。特に歩いてみることが一番身体に合っているように思う。風を感じ、土や素材を触り、小さな変化を発見することが楽しい。フィールドワークでは、専門家と一緒に歩くと解像度がどんどん上がっていく。
例えば、土木の仕事であれば当たり前かもしれないが、アスファルトひとつ取っても発見がある。アスファルト舗装は、砕石の上にアスファルトを敷き固め、日本中、同じような道路や歩道をつくっている。さて、みなさんの家の前の道路、どのような色だったか覚えているだろうか。黒?グレイ?それとも、もっと違う色だろうか。私の家の前は色褪せたグレイだったように記憶している。
昨年、土木の専門家と熊本市をフィールドワークしていると、アスファルト舗装の色が緑っぽいことに気がついた。一瞬、目が悪くなったような気分にもなる。そこで詳しく聞いてみると、敷き詰められている砕石が緑色で、その色が浮かび上がっているらしい。
砕石は、輸送コストを考え、近くの山を崩し供給していることが多く、熊本市では、30kmほど離れた山鹿市から砕石をもってくることが多いそうだ。山鹿の石をみるために採石場に連れていってもらうと、花崗岩の中の斑れい岩なので緑なんですと教えてもらい、素直に緑の石ころたちがとても美しかったのを思い出す。また、30km圏内の経済圏と風景が重なりあって街の色の一部が生まれていることを知ると、さらに解像度が上がり、今度は、目がよくなったような気分になる。どの地域、どの街を歩いていてもアスファルトでさえも愛おしくなっていく。
改めて、家の前の道路を観察してみると、色褪せたグレーではなかったのだ。赤い石や、白い石、青い石、グレーの石たちが集合体となり、少し離れた近隣の山々を感じられる。アスファルト一つからも、数億年前の石ころたちが私たちの生活を支え、頭の中に山々が重なる風景を立ち上がらせてくれるようになった。ぽつりぽつりと光っているともしびのように、石ころからも多くのことが想像できるはずだ。