日本ペイント×architecturephotoコラボレーション企画 “色彩にまつわる設計手法” / 第3回 原田祐馬・後編 「石ころ、スマホ、記憶の肌理、」
日本ペイント×architecturephotoコラボレーション企画 “色彩にまつわる設計手法” / 第3回 原田祐馬・後編 「石ころ、スマホ、記憶の肌理、」

本記事は学生国際コンペ「AYDA2020」を主催する「日本ペイント」と建築ウェブメディア「architecturephoto」のコラボレーションによる特別連載企画です。4人の建築家・デザイナー・色彩計画家による、「色」についてのエッセイを読者の皆様にお届けします。第3回目はアートディレクター / デザイナーの原田祐馬に色彩をめぐる思考について綴っていただきました。

 
石ころ、スマホ、記憶の肌理、

text:原田祐馬

 

以下の写真はクリックで拡大します

日本ペイント×architecturephotoコラボレーション企画 “色彩にまつわる設計手法” / 第3回 原田祐馬・後編 「石ころ、スマホ、記憶の肌理、」「UR都市機構」(色彩計画、サインデザイン:UMA/design farm) photo©Yurika Kono

ぼくは、アルゼンチンにおける自分の夜間飛行の晩の景観を、いま目のあたりに見る心地がする。それは、星かげのように、平野のそここに、ともしびばかりが輝く暗夜だった。
あのともしびの一つ一つは、見わたすかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇蹟が存在することを示していた。あの一軒では、読書したり、思索したり、打ち明け話をしたり、この一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭しているかもしれなかった。また、かしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。それぞれの糧を求めて、それらのともしびは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っていた。中には、詩人の、教師の、大工さんのともしびと思しい、いともつつましやかなものも認められた。しかしまた他方、これらと生きた星々にまじって、閉ざされた窓々、消えた星々、眠る人々がなんともおびただしく存在することだろう…。
努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。

−サン=テグジュペリ《人間の土地》 新潮文庫 より

 
石ころからも、多くのことが想像できる

デザインは、近くて遠い誰かへの手紙のようだなと思うことがある。
その手紙は、すぐに届くことも大切かもしれないが、10年後、20年後にじんわりと届くものであってもいいだろう。また、それが人間じゃなくても、遥か深海に暮らす小さな魚であっても、5000km離れた土地から飛んでくる鳥でもよいだろう。サン=テグジュペリが1937年に書いた《人間の土地》のこの一文は、改めていま読んでもその近くて遠い誰かに思いを馳せることの大切さを知らせてくれている。

後編は、これをサン=テグジュペリから83年後に届いた手紙と受け止め、私たちがプロジェクトで色彩について実践しようとしていることについて考えてみたい。私は、サン=テグジュペリのような飛行操縦士ではないので、空から考えることは得意ではない。しかし、移動しながら考えてみることは大切にしている。特に歩いてみることが一番身体に合っているように思う。風を感じ、土や素材を触り、小さな変化を発見することが楽しい。フィールドワークでは、専門家と一緒に歩くと解像度がどんどん上がっていく。

例えば、土木の仕事であれば当たり前かもしれないが、アスファルトひとつ取っても発見がある。アスファルト舗装は、砕石の上にアスファルトを敷き固め、日本中、同じような道路や歩道をつくっている。さて、みなさんの家の前の道路、どのような色だったか覚えているだろうか。黒?グレイ?それとも、もっと違う色だろうか。私の家の前は色褪せたグレイだったように記憶している。

昨年、土木の専門家と熊本市をフィールドワークしていると、アスファルト舗装の色が緑っぽいことに気がついた。一瞬、目が悪くなったような気分にもなる。そこで詳しく聞いてみると、敷き詰められている砕石が緑色で、その色が浮かび上がっているらしい。

砕石は、輸送コストを考え、近くの山を崩し供給していることが多く、熊本市では、30kmほど離れた山鹿市から砕石をもってくることが多いそうだ。山鹿の石をみるために採石場に連れていってもらうと、花崗岩の中の斑れい岩なので緑なんですと教えてもらい、素直に緑の石ころたちがとても美しかったのを思い出す。また、30km圏内の経済圏と風景が重なりあって街の色の一部が生まれていることを知ると、さらに解像度が上がり、今度は、目がよくなったような気分になる。どの地域、どの街を歩いていてもアスファルトでさえも愛おしくなっていく。

改めて、家の前の道路を観察してみると、色褪せたグレーではなかったのだ。赤い石や、白い石、青い石、グレーの石たちが集合体となり、少し離れた近隣の山々を感じられる。アスファルト一つからも、数億年前の石ころたちが私たちの生活を支え、頭の中に山々が重なる風景を立ち上がらせてくれるようになった。ぽつりぽつりと光っているともしびのように、石ころからも多くのことが想像できるはずだ。

定方三将 / 上町研究所による、大阪・阪南市の「阪南の住宅」
定方三将 / 上町研究所による、大阪・阪南市の「阪南の住宅」 photo©平野和司
定方三将 / 上町研究所による、大阪・阪南市の「阪南の住宅」 photo©平野和司
定方三将 / 上町研究所による、大阪・阪南市の「阪南の住宅」 photo©平野和司

定方三将 / 上町研究所が設計した、大阪・阪南市の「阪南の住宅」です。

敷地は、大阪府南部の古い平屋建て住宅が多く残る静かな地域にある。
車一台が通るのがやっとの道幅に沿って背の低い建物が建ち並ぶ周辺のスケール感から突出しないよう、道路側を低く構えて、街並みへの影響をできるだけ軽減しようとしている。逆に敷地奥に行くに従って高さを増していき、一番奥の空間は高い天井高をもつ吹き抜け空間とした。

建築家によるテキストより
長坂常 / スキーマ建築計画+オンデザインパートナーズによる、東京・日本橋の、古い蔵を移動させ再構築したニューバランスの店舗「T-HOUSE New Balance」
長坂常 / スキーマ建築計画+オンデザインパートナーズによる、東京・日本橋の、古い蔵を移動させ再構築したニューバランスの店舗「T-HOUSE New Balance」 photo©長谷川健太
長坂常 / スキーマ建築計画+オンデザインパートナーズによる、東京・日本橋の、古い蔵を移動させ再構築したニューバランスの店舗「T-HOUSE New Balance」 photo©長谷川健太
長坂常 / スキーマ建築計画+オンデザインパートナーズによる、東京・日本橋の、古い蔵を移動させ再構築したニューバランスの店舗「T-HOUSE New Balance」 photo©長谷川健太

長坂常 / スキーマ建築計画オンデザインパートナーズが設計した、東京・日本橋の、古い蔵を移動させ再構築したシューズブランド ニューバランスの店舗「T-HOUSE New Balance」です。店舗の公式ページはこちら

川越から古い蔵を移動させ、それを再構築するとともに新たな空間を作るプロジェクトである。ただ、移築とはいえ、移動してそのまま建てるわけではなく、それを覆うように全く異なる構造で新築し、その中に移築した軸組を組む計画で、まるで博物館の古民家展示みたいになりかねないものだった。そのハリボテ感が気になっていて、そこからこのプロジェクトの考えが始まった。

このT-HOUSEはニューバランスがブランドをリードする原動力「エナジープロジェクト」として設立した新しいスペースで、世界の中で日本が選ばれたのはやはりものづくりの国としての評価とともに、アジア戦略の拠点として見据えられていた結果であろう。そして、同時にそのキャラクターとしても日本らしさが期待され、蔵の移築が承認を受けて進んだ。その後、我々のところに依頼があった。

最初にその依頼を聞いた時、それは普段全く着ることがないのに、海外で行われる表彰式などに着物を着るような感覚と同じで、日本らしさを意識させられるプロジェクトであると感じ、そのままそれを演じるわけには行かないと思ったが、なかなか覆す術が見つからず、悩んだ。その悩みを吹き飛ばしてくれたのが、その蔵の骨組みを組んでいる職人さんだった。

偶然にも、その蔵の柱にもともと刻まれていた貫部分を利用して即席掃除用具置場、最近我々でいう“まかない家具”を見たことがきっかけだった。それをみて、ああ、そうか「建築、そしてこのハリボテの蔵の骨組、さらにそのさきにその骨組みを利用し機能を与えることで、そのハリボテが機能しハリボテじゃなくなる。」と考えたのだった。

建築家によるテキストより
三木達郎+本橋良介 / MMAAAによる、東京・板橋区の集合住宅「双葉町のアパートメント」
三木達郎+本橋良介 / MMAAAによる、東京・板橋区の集合住宅「双葉町のアパートメント」 photo©長谷川健太
三木達郎+本橋良介 / MMAAAによる、東京・板橋区の集合住宅「双葉町のアパートメント」 photo©長谷川健太
三木達郎+本橋良介 / MMAAAによる、東京・板橋区の集合住宅「双葉町のアパートメント」 photo©長谷川健太

三木達郎+本橋良介 / MMAAAが設計した、東京・板橋区の集合住宅「双葉町のアパートメント」です。

この建物は東京の西郊外、環状7号線と中山道から入った住宅地に位置する。
建蔽率が60%、容積率が300%の指定なので、都市計画が誘導するこのエリアのイメージは住環境を担保する40%の空地を残しつつ中高層の建物が並ぶ風景だろうか。実際には敷地周辺の道路幅員は狭く、敷地割も細かいので、稠密な低層の住宅地が広がっている。

建築家によるテキストより

そのような風情の中にこの集合住宅では14戸のワンルーム住戸と8戸のメゾネット住戸を計画している。日影規制がかからない10mの高さの中で、事業としては共用部を削ぎ落として建蔽率の許す限り専有面積を最大化したい。手前(A棟)と奥(B棟)の分棟とし、A棟には建蔽率に算入されない基壇を設けて直接のアクセスとして、その他は共用廊下を設けずに階段室とブリッジによって動線を集約している。40%の空地はシンプルに道路際と住棟間にまとめられて、周辺の建物のスケールに対して不釣り合いな大きなピロティによって繋がれる。

建築家によるテキストより
空間構想による、神奈川・横浜市の、展望施設「浅野学園創立100周年記念リング及び広場」
空間構想による、神奈川・横浜市の、展望施設「浅野学園創立100周年記念リング及び広場」 photo©Yoshiyuki Kawazoe
空間構想による、神奈川・横浜市の、展望施設「浅野学園創立100周年記念リング及び広場」 photo©Yoshiyuki Kawazoe
空間構想による、神奈川・横浜市の、展望施設「浅野学園創立100周年記念リング及び広場」 photo©Yoshiyuki Kawazoe

空間構想が設計した、神奈川・横浜市の、展望施設「浅野学園創立100周年記念リング及び広場」です。

ダクタルコンクリートという超高強度のコンクリートを構造体として採用した珍しい構造体です。学園のシンボルである銅像山(創立者である浅野総一郎翁の銅像があるからです)の山頂に、幅1800mm、端部の最も薄い部分の厚みはわずか32mmのリング状の展望施設を設計しました。

ダクタルコンクリートの上部には、目前の京浜工業地帯の埋立に尽力した浅野総一郎翁の足跡を時系列で刻み、学園の設立当初からある銅像や変わりゆく山頂からの風景とともに創立者の試行錯誤を現在の生徒たちが追体験するというコンセプトです。目前を走る電車の車内からも、薄肉の構造体が山頂に浮かぶ光景を見ることができます。

今回、ダクタルコンクリートの採用にあたっては、強度データが不十分なこともあり、実験を行うことで、実現にいたりました。ダクタルコンクリートはもうすぐ特許が切れることから、今後広く採用が期待される新素材でもあります。本プロジェクトがそうした知見に寄与できましたら幸いです。

建築家によるテキストより

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