【シリーズ・色彩にまつわる設計手法】第5回 青木淳 インタビュー・後編「色彩の変わり続ける意味合いと面白さ」
本記事は学生国際コンペ「AYDA2021 」を主催する「日本ペイント」と建築ウェブメディア「architecturephoto®」のコラボレーションによる特別連載企画です。今年の「AYDA」日本地区のテーマは「音色、空間、運動」。このテーマにちなみ、現在活躍中の建築家に作例を交えながら色彩と空間の関係について語ってもらうインタビューを行いました。昨年、全4回にわたり公開された色彩に関するエッセイに続き、本年は建築家の青木淳と芦沢啓治の色彩に関する思考に迫ります。作品を発表する度に新鮮な驚きを与えてくれる二人。その色彩に関する眼差しを読者と共有したいと思います。
後編では、広い視点で色彩について語っていただきます。1991年に独立以来、住宅から公共建築まで幅広いジャンルの建築を幾つも設計してきた青木淳。日頃、色彩と空間の関係をどのように考えているか。また青木にとって建築の楽しさとは何か。縦横無尽に語っていただきました。(青木淳へのインタビューの前編はこちら )
※このインタビューは感染症予防の対策に配慮しながら実施・収録されました。
色彩の意味合いは時代とともに移り変わる
【シリーズ・色彩にまつわる設計手法】第5回 青木淳 インタビュー・後編「色彩の変わり続ける意味合いと面白さ」 青木淳。2020年よりASを共同主宰する。 photo©渡部立也
――青木さんが色について明確に言及した文章として、『新建築』誌2001年3月号に寄稿された「白く塗れ」という論稿があります。当時ファッションデザイナーのマルタン・マルジェラが東京都内の既存住宅を白く塗って店舗に転用したことに触れて、白く塗ることで場所に残された履歴や意味を消す作用があると指摘されていました。それから20年が経ち、今やリノベーションで既存部分を白く塗ることは常套手段となり、図らずも白く塗るという行為自体に意味が発生してしまっている状況です。
青木: そうですね。似たような話で、美術館の内部空間は往々にしてホワイト・キューブですよね。一応ニュートラルを目指したというのが定説になっていますが、実際は個々の美術館が土地性や固有性を失い互いに所蔵品を貸し借りし始めたことに端を発しているようです。というのも、作品の印象が見る場所によって変わらないよう、おしなべて背景を白く、ニュートラルにする必要があったからです。すると今度は、アーティスト側が白い壁を前提に作品を創り始めました。
その結果、ホワイト・キューブは、かつては絵画にとって作品を作品たらしめる大きな要素だった額縁の代わりの存在になってきました。ホワイト・キューブの出現と額縁の消失がほぼ同時に起こり、ホワイト・キューブが額縁効果を持つようになったというわけです。
ですがここ30年ぐらい、白い空間はけっしてニュートラルではなく非日常的かつ特殊な額縁空間であるという認識が一般化してきて、駅舎や火力発電所をコンバージョンした空間が美術館として使われることが増えてきました。
――確かにヘルツォーク&ド・ムーロンが改修設計したロンドンの「テート・モダン」(2000年)は元発電所でした。
青木: いずれも元々の意味を持って作られていたものの意味をあえて消して使い直すという一連の循環があります。
余談になりますが、実は論稿を発表した後でマルジェラのブランドから「マルジェラにその意図はありません」と言われてしまいました。
――そうでしたか。むしろ興味深いですね。
青木: 別に「マルジェラはこう考えている」ではなくて「私は第三者としてこう思った」と書いているわけだから構わないですけど。
「白」の実験と、色の組み合わせへの興味
――ひるがえって青木さんのプロジェクトには色彩に求められる効果や意味合いの移り変わりが反映されているのでしょうか。
青木: 反映されているでしょうね。2000年頃、僕は意識的に白しか使いませんでした。それは白が好きだからとかニュートラルだからというのではなく、白が幾つもの性格をあわせ持っていると考えたからです。たとえば病院の白は清潔なイメージかもしれないけど冷たいというイメージもあるとか、逆にウェディングドレスの白は冷たいとは思わず清純さをイメージするとか。同じ白でも、そのありようや発する感覚にバリエーションがあるわけです。
赤だったらもうちょっと意味することの範囲が狭くてエモーショナルな感じが入るし、青もクールなイメージだし。そう思うと、白には結構無限の可能性があるなと。
ロバート・ライマンのように白ばかり使いながら多彩な美術作品をつくっているアーティストもいますから、僕も白以外使わずに、その使い方によって生まれる効果を変えていくことがどこまでできるかという実験に興味があったんです。