本記事は「島根県」と建築メディア「アーキテクチャーフォト®」のコラボレーションで制作されました。
建築意匠の世界に特化したメディアでは、設計者を中心として完成した建物を“作品”として紹介する事が一般的です。弊サイトも例外ではありません。しかし、実務に携わった人の誰もが知るように、ひとつの建築が完成するには、実に様々な人たちの関りがあります。
施工に携わる人は勿論ですが、検査機関の人もそうですし、土地を測量したりする人も、間接的にではありますが、建築に関わっていると言えます。また、出来上がった建築を写真に収める人、それを掲載する人も建築に関わっていると言えます。公共建築であれば、定期的な修繕の為の検査や補修工事も行われます。これも設計とは違った形で建築に関わっていると言えます。ここに書いたように、ひとつの建築には、多様な職種からの関わり方が存在しています。
本シリーズ「様々な角度から‟建築”に携わる」では、それぞれの立場で建築に関わる人達の話を聞き、普段表にあまり出ることのない、その背景や物語に加え、個々の仕事が持つ楽しさも紹介します。
今回、島根県行政職員の山本大輔に、アーキテクチャーフォト編集長の後藤連平が話を聞きました。
後藤は、常々建築メディアの仕事は「裏方」だと言っています。表に出るのではなく裏方の立場で、設計者の皆さんが心血を注ぎ完成した建築を、社会に広く伝えるために知恵を絞る。アーキテクチャーフォトは裏方として働くことに強いモチベーションを持ち活動しています。
また、後藤は設計実務に携わっていた時代に、設計者を助けてくれる様々な行政職員に出会ったそうです。彼らの仕事は、目立って表に出ることはありませんが、「良い建築を世の中に生み出したい」という想いにあふれており、それが実際に完成した建築として結実する場面を何度も見たとのこと。それは、建築メディアとは違った立場での、建築に関わる「裏方」の仕事と言ってよいと思います。
山本は、菊竹清訓の作品に関わる活動等で、SNS上でも広く知られる人物です。
その山本に、行政職員としての日々の業務について、働き方について、自分自身の“建築人生”の切り開き方について等、様々な視点から話を聞いたのが本インタビューです。
それぞれの拠点や活動内容は異なりますが、お互いに「裏方」の仕事に美学すら感じている二人。どのような対話が行われたのでしょうか。
建築に携わる人達の視野を広げる切っ掛けとなれば幸いです。
山本大輔 / 島根県行政職員
1976年島根県生まれ。1999年名古屋大学工学部建築学科卒業、2000年島根県入庁(建築職)。2011~2013年菊竹清訓作品(県立博物館、図書館、武道館)の耐震改修担当。2013年県庁舎ライトアップイベント「結いとうろ」の立ち上げ。2021年島根県立美術館企画展「菊竹清訓 山陰と建築」企画協力及び技術サポート。2022年島根県立美術館特定天井改修工事担当。
主な受賞歴:2014年JIA25年賞「島根県立図書館(耐震改修)」、2015年JIA中国建築大賞特別賞「島根県立図書館駐輪場」
山本大輔が関わった代表的な活動
菊竹建築の耐震補強
後藤:ぼくは、アーキテクチャーフォトを運営する以前に、建築設計の仕事をしていました。その時代に、市の建築住宅課の方々が適切な助言をくれたことが何度もあったんです。また、同じ市を拠点としていた建築家の渡辺隆さんからも公共建築を手掛けた際の話を聞くこともありました。そのような経験のなかで、建築、とくに公共建築をつくることは、設計者だけではなく、行政の人たちの存在があってこそ成立しているのだと強く感じるようになりました。今回は島根県の職員として働く山本さんから、行政の建築職の働き方や活動について、あまり語られない部分も含めてお話をうかがいたいと思っています。
山本:よろしくお願いします。私は島根県でずっと建築の職員をしています。生まれも島根県の安来市というところで、大学は名古屋大学に入り、西澤泰彦先生の研究室で日本近代建築史を専攻していました。その後大学院に進んだのですが、就活の心配をした両親からのプレッシャーもあり、ほとんど準備もしないまま地元である島根県の建築職を受けてみたら運がいいのか受かってしまいました。まだ修士1年でしたが、当時は就職氷河期真っ只中ということもあり、大学院を中退して就職しました。
後藤:就職された当時、山本さんは県の建築職がどういう業務をするのか、ある程度分かっていたんですか?
山本:正直に言うと、ほとんどわかってなかったですね(笑)。建築確認申請をみたり、県有施設を建てる時に企画のようなことをするんだろうなっていう漠然としたイメージしかありませんでした。
後藤:山本さんのご経歴を見ると、菊竹清訓さんの建築(以下、菊竹建築)の耐震改修の担当になったことが大きなできごとだったのだろうと思われるのですが、それまではどのような仕事をされてきたのですか?
山本:主に建築指導業務と、営繕の業務です。最初の所属では、建築指導業務として確認申請の審査を3年間担当しました。その後、営繕工事を担当する部署で3年働いて、槇文彦さん設計の「島根県立古代出雲歴史博物館」でも監督員を担当しました。毎週現場に通って、常駐監理されていた槇事務所の方とコミュニケーションしながら、大きな公共建築をつくるという貴重な経験をさせてもらいました。その後は県庁に異動して、民間の集合住宅の補助金担当などの業務を経て、菊竹建築の改修工事の現場を担当するようになりました。最初の10年は、建築職としての基礎的な業務をいちからしっかり経験させてもらえたと思います。
後藤:菊竹建築の改修というのは、具体的にどういうことをされていたんですか?