GROUPが設計した、東京・中野区の「三岸アトリエの手入れ」です。
20世紀初頭竣工の山脇巌の木造モダニズム建築を改修する計画です。建築家は、様々な箇所の応急処置的補修を改善すべく、資料から原型を想定した上で現在の環境にも適合する意匠を探求しました。そして、自ら建築に触れて判断する“手入れ”の態度で行われました。施設の公式サイトはこちら。
中野区鷺宮に建つ三岸アトリエは、1934年に画家三岸好太郎・節子のアトリエとして建てられた。
バウハウスで学んだ山脇巌が設計した木造モダニズムの建物は、通りに面し大開口を持つ箱型で、茅葺屋根の農家が残り畑や雑木林が広がっていた当時の風景の中で白く輝く存在であった。
好太郎はその竣工を見ずに亡くなるが、以後妻の三岸節子が住居兼アトリエとして使用し、現在は撮影スタジオとして利用されている。
アトリエ公開日にメンバーのひとりが建物を訪れたことをきっかけに、部分的に崩壊した室内壁の修復をGROUPが行うこととなった。
建物をリサーチすると、アトリエ脇の小さな付属室も窓や屋根が壊れ、応急処置を施された状態であることが分かる。物置となっていたその場所はかつての玄関であり、入口から続く小さくも豊かな庭を通りながらアトリエにいたる動線をつくり、建物の印象を形づくる重要な空間であった。そこで私たちはこの旧玄関も、現在の環境に合わせ再生させるべく手入れを行った。
雑木林が広がっていた周囲は住宅街になり、旧玄関に設けられた窓の正面には隣家の塀が間近に迫っていた。そこで、窓は、風通しを良くするため回転して開き、同時に外部を映し込むような設計とした。過去の写真から窓の寸法を想定し、建築家が残した文章から当時の壁や窓枠の色を想定した。また、外部には小さな花壇を新たに設け、回転窓に植栽が映りこむことを意図した。
そして、旧玄関屋根は、雨漏り防止に仮設的に設置されていた資材を取り外し、新たに勾配屋根を組み当初の外観に近づくような計画とした。合わせて、アトリエ内の崩壊した壁は、木材の状態を確認し、新たな下地を組み壁を設け、年月を経た既存壁に馴染むような塗装仕上げとした。