SHARE 杉山幸一郎による連載エッセイ “For The Architectural Innocent” 第8回「ブレゲンツ再考 / 光の霧」
※このエッセイは、杉山幸一郎個人の見解を記すもので、ピーター・ズントー事務所のオフィシャルブログという位置づけではありません。
ブレゲンツ再考 / 光の霧
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ブレゲンツ美術館(1997年竣工)に初めて訪れたのは今から10年も前のこと。
実を言えば当時、ガラスに包まれた外観とそのすべすべとした質感を見て、«なんだか古い»という第一印象を持ちました。
乳白ガラスに包まれた建物。展示空間のガラス天井とテカテカしたその支持金具。それらがどういうわけか、少し古めかしく思えたのです。
僕が初めて訪れた2010年頃には、同じように乳白ないし曇りガラスでファサードを形成している建築が多かったから、見慣れすぎていたからゆえの印象だったのかもしれません。
そんなブレゲンツ美術館へは、僕の住んでいるスイスのクール市から電車で1時間半ほど。また、展示内容がいつも興味をそそられることもあって、それから何度も訪れています。
そうやって建築をある程度の時間スパンを通して何度も経験していくと、自身の建築の捉え方にも変化が起きてきます、そして、はじめに抱いていた印象はどんどん書き換えられていく。つまり過去は現在によって常に上書き更新されながら、新たな発見と認識をしていくことになるのです。
話は少しそれますが、ズントー事務所に送られてくるポートフォリオでは、よく見かける建築タイプがいくつかあります。
そのタイプの一つが、木造軸組で仮設構築物のようなものを作り、Zinc Mine Museumのように機能の入った空間(box)を挿入しているもの、またはWitch Trial Memorialのように一直線の細長い空間を作り上げたものです。
そして、ブレゲンツ美術館に見られるような乳白(ないし曇り)ガラスのファサードで光を吸収、拡散することで室内に柔らかな光を取り込むことを意図したタイプがあります。
いずれのタイプもシンプルでありながら、設計者の意図が建築の形にダイレクトに現れてくるのでインパクトがあり、構法や機能がユニークでわかりやすく、理解しやすいデザインであると言えます。
ただ、ここで単に、これらの建築タイプをズントー建築のオマージュと言って片付けてはいけません。そもそもこうしたタイプは全く新しく創造されたものではない。少しでも歴史を振り返れば、既に存在していたものだと思うのです。
ズントーが日常的に見つけることのできる形式をごく自然に取り出して、洗練させた状態で実現させた結果、ユニークな建築として多くの人のインスピレーションを喚起している、と言えるのではないでしょうか。
ズントー建築は一見、それぞれの国や文化が持つ建築史の延長線上とは少し離れたところに、孤高の島としてあるようにも思われがちです。
しかしよく考えてみれば、(ヨーロッパ)建築の歴史というやや格式ばったものではなく、身の回りに既に存在していた事柄の上に作り上げられている。
それをズントー自身が意図しているか否かにかかわらず、多くの人に共感される«強さ»になっていると僕は捉えています。
今回は、その“わかりやすい”ブレゲンツ美術館の形式を噛み砕いて、僕が今考えるその建築を(設計者であるズントーの意図も含めながら)、いくつかの建築的特徴を拾いながら再考していきたいと思います。
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«3枚のガラス»
雨が降ると乳白ガラスのファサードは透明になり、晴れの日にはシルキーな乳白色になる。
ガラス一枚一枚がそれぞれ固定してあるのだけれど、ガラス自体には穴をあけられていることもなく、互いにシールされジョイントされているわけでもない。
計712枚のガラス板は建物内部と外部を隔てるものではなく、光を調整するフィルターとして、また、天気や時間帯によって変わる外観の様相を表す役割を果たしています。
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ガラスファサードの内側へまわるとメインテナンスのためのキャットウォークを挟んで、建物本体があるのがわかります。そこではもう一枚のガラス窓が内外部を分け、さらに可動式のジャロジー(ルーバー)が取り付けられていて、光の調節が可能になっています。要求される展示空間に合わせて、自然光を取り込んだり、内部の展示室を暗くしたりすることができます。
更にジャロジーを閉じた上で、展示室ガラス天井裏の人工照明によって、部屋を明るくすることも可能。実はそんな機能的な側面もあります。天井裏は1,9-2m強の高さがあって、ガラスファサードと外壁のガラス窓、計2つのフィルターで一旦抽象化された光で満ちている。
そして、最後にもう一枚、天井ガラスを通して、光を展示空間へ送り出します。
そんなブレゲンツ美術館の展示室に入ると、部屋全体に明るい霧がかかったように感じることがあります。水蒸気ならぬ、光の微粒子に包まれているような感覚です。強い光が横から差し込んでくるのではなく、部屋全体がフワッと明るい。
天井を見上げると、外の様子が窺い知れる。
木々のある東側は少し緑がかっていて、道路のある開けた北側は明るくて。。と季節と時間、隣接している場所によって少しだけ部屋の光の色や強さが変わります。
各展示フロアには3枚の構造壁があって建物の上階から下階までつながっています。そのため、構造壁の内側だけ光が遮られてやや暗がりになっているのもわかります。
展示室に満ちている光は人工照明のように均質ではなく、暗い部分や明るい部分がある。太陽が雲に隠れると全体的にうす暗くなったりする。光の密度の違いや外部環境の微妙な変化がダイレクトに現れてくる。
それは単に直接、間接光といった、光を遮り緩衝するものの有無だけではなく、季節や1日の時間帯による太陽光の高度の違いよるものだけでもない。天候や湿潤、そして空気の流れによって微妙に違った印象を残しているように見えます。
朝靄のかかった光の状態。
雨上がりの曇り空に見られるような、影のない全体的に非常に明るい光の状態。
空気の澄んだ冬の、あたり一面の雪に反射した強い光。
雨の日の薄暗い静かな光。。。
その光の«感じ»、それに対する受け手側の«感じ方»には、どんなに素晴らしい瞬間をおさめた写真を見ても、映像を見ても、視覚的な情報だけでは拾えきれない感覚がある。建築空間は、もっと体全体で知覚されないともったいない気がしてなりません。
前回の記事で紹介したベネディクト教会では、空間全体が光の空気層のようなものに包まれている感覚を覚えました。このブレゲンツ美術館は、建築が光を天井裏に溜め込みながらゆっくりと静かに展示室へ光を送っている。
建築が光を吸い込み、取り入れ、呼吸しているようにその刹那刹那に変化していく。
そこにただ佇んでいるだけなのに、飽きることがありません。
«ちょうど良い広さ»
ブレゲンツ美術館は、ズントー事務所が設計コンペで勝利して手掛けたプロジェクトです。
コンペ要項で設定された計画敷地は、要求された容積を低層で計画するのに十分であった。そんな条件にもかかわらず、フットプリント(建築面積)を小さくして展示室を縦に積み上げて計画したのはズントー事務所だけであったそうです。
一般に、美術館では展示室が平面的に広がっていくものが多いという印象を僕は持っています。ある展示室から次の展示室へと部屋を歩き移動しながら一巡していく、水平方向に広がる大きな空間です。
しかし実際には、大きな美術館で個展を行えるほどの作品数と、十分な大きさやインパクトのある作品を制作しているアーティストは限られてくる。
そんなこともあって、複数の作家の作品を展示した常設展や、あるテーマに沿って作品を見せる企画展を行う、美術館全体を複数のエリアに分けて別々の作家の個展を同時開催するなど、美術館という建物はいろいろな使い方がなされています。
ちなみにブレゲンツ美術館は作品を所有していないので、常設展はできません。基本的に一人の作家による企画展のみです。
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この美術館の構成を改めて見てみます。
平面は約23m強の正方形の空間に、70cm強の厚みのある3枚のコンクリート構造壁が離れて建っています。それらの構造壁の裏側に動線である階段エレベーターと、搬入エレベーター、非常階段が配置されている。構造壁の内側にある展示空間部分は約360m2です。
そして外周には各階の床からガラス天井まで非構造壁のコンクリートに囲われ、更に、その上に2m弱もの高さのある天井裏空間があるというわけです(写真にある真ん中の、アートが掛かっている短い壁が構造壁で、左右の壁は非構造壁です)。
コンクリートの壁は、当然ながら美術作品を設置するために穴が開けられます。その穴は展示期間が終わる度に埋められ修復される。きれいに見えるこのコンクリート剥き出しの壁も、実は何千という穴があいて埋められた後なのです。
ズントーは、この美術館のサイズについて「ブレゲンツは一人で作家を行うにはちょうどよい大きさで、各階の面積がこれよりも広かったり、またこの建物の展示空間が4層ではなく5層であったりしたらうまくいかなかっただろう。」と話していました。
各階がこれよりも広かったら。。?
作品に対して余白の空間が大きすぎて、鑑賞者と作品の距離感が合わなかった。天井裏の側面からガラスを通して入ってくる自然光も、展示空間が広すぎれば部屋の中心まで届かなかったかもしれない。
5層であったら。。?
建築法規や予算が許せば、つまり5層以上のヴォリュームを建てることが可能であったなら、施主は不動産を有効活用するために、高層の建物を建てたかったであろうと想像できる。
その結果一人の作家による企画展をするには作品数制作の負担が大きくなる。かといって二人の作家が2-3層ずつ作品を展示するには中途半端なサイズになってしまう。
何より4層ある展示室を(日本で言うところの)1-2階、3-4階で分けたら、作家間にヒエラルキーがついてしまう。つまり上階の作家の方が高いところにあるという理由で高貴なものに思えてしまう、また1-2階まで来たお客さんが上階までたどり着く前に帰ってしまうかもしれない。
設計するときには、まず建築コンセプトが必要です。 どういうものが求められていて、どういうものが敷地にしっくりきて、そしてどういうものをクライアントと一緒に作っていきたいか。いろんな方面から建築のあり方を検討します。方向性なしにはプロジェクトを具体的に進めることができません。
仮に設計の初期段階でとても良い案が浮かんだとして、その案を施主からの要望、必要な面積や部屋数、敷地形状や法規などの条件に照らし合わせていくと、与えられているものに対して、与えようとしているもののサイズ感が合わないことがよくあります。
例えば、あるアイデアの実現のために部分的に建築ヴォリュームを小さく抑えたいところだけれど、必要な機能の全てがおさまらない。。。といったように。
もちろんその都度サイズを調整していくことはできるのですが、結果、全体として初期のアイデアがうやむやになってしまった。といった中途半端な着地点に至ることもあります。
建築コンセプトと諸条件との良い塩梅を見つけることは意外と難しく、特に建築のサイズ感は、敷地のサイズ、建築法規、そしてクライアントの求めるプログラム(建築の機能)に大きく依っているので、これはと思ったアイデアもサイズ感がしっかりこない、合わないことで却下することがよくあります。
逆に言えば、建築コンセプトと条件がぴったり合った時には、スラスラと諸問題の間を通り抜けて設計案が飛躍的に最終形へと近づいていく。
アイデアを条件にすり合わせていこうとするよりも、アイデアが条件から自然と生まれてくるようになれば、«誰がやってもこうなる»といったようなデザインになる(でも実際はそんなことはないのだけれど。。)。そんな典型的なアプローチは、実は最もユニークな建築への近道だったりします。
建築設計は難解な問題を少しずつ解決していくのではなく、難しいなぞなぞをブレイクスルーによって解き進めていくような感じに似ている。と思うことがよくあります。
話をブレゲンツに戻しましょう。
同じような広さでも、なんだか間延びしているように見える建築は、建築コンセプト、空間の広さと機能のバランスがうまく取れていない。逆に小さくても狭さを感じないような空間では、そのバランスがピシッと取れている。
そんなぴったりのサイズ感によって成り立っている建築空間として、ブレゲンツ美術館をもう一度眺めてみてください。
«作品との出会い»
ブレゲンツ美術館の特徴は、なんと言っても美術館に入った瞬間にアートに出会えることです。
一般的な美術館を思い浮かべてください。エントランスから建物の中に入ると、まずは小さなエントランスホールがあって、チケットカウンターがある。隣接してカフェやミュージアムショップがあって、お手洗いやロッカーがある。
チケットを購入したらロッカーで荷物を置いて、お手洗いを済ませ、そして貴重品だけを持って展示室へ向かう。と、作品に出会うまでの流れは、大体こんな感じではないでしょうか。
ブレゲンツ美術館では、エントランスの風除室を抜けると、すぐ目の前に展示空間があります。
建物に入ってすぐに作品と出会う。この時点ではチケットすら購入していません。
まず空気が違います。
展示空間であるので、エントランスホールのような賑やかさはありません。
静まりかえった空間。固いコンクリートとガラスの床壁天井が残響を生み出すため、大声で話したり、音を立てたりするのを一瞬躊躇するようになります。
かといって、フォーマルな感じもしません。
この地上階の展示室が、美術館建物の一部というよりも街の延長にあるような気軽さも同時に生んでいるのはなぜだろう?
それはきっと、仰々しいエントランスホールに人混みを見るのではなく、少し大きな部屋に入った感じに似ているから。
きちっと服装を整えて訪れる美術館ではなく、気軽に立ち寄る美術館。
ズントーはここで、美術館にまつわる諸機能のうち、展示室と必要最低限の機能だけを残した建物を作りました。全てが詰まったミュージアム建築ではなく、ただアートと向き合うことのできる大きな家。
別棟として(ミュージアム)カフェとオフィスが入った建物を計画して、これら二棟の建物と既存の隣接建物の配置によって、緩く囲われた小さな広場も作っています。
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«広場を呼び込む»
普通なら一棟にできる美術館建物を、2つに分けることでできた敷地北側の美術館建物と東側のカフェ事務棟。そして西側に建つ既存建物と合わせてできた小さな囲われた広場。
敷地北側には4車線の自動車道が走っているため、少し騒々しい。その喧騒を4層の美術館建物がブロックするかのようにして建つ。
南側はカフェレストランが立ち並ぶ歩道があり、計画した(ミュージアム)カフェもその一つとして通りに面して街並みをつくり、日差しがよく当たる心地よいテラスがあります。
同じ敷地にあって運営母体は同じでありながらも、分棟であるがゆえにカフェは美術館と独立した開閉店時間を持つことができます。
街にある小さな広場に面してカフェがあり、そばに美術館が建っている。この広場を南側に面する歩行者通りの延長として捉えてみると、この美術館でズントーが実現したかった都市スケールのストーリーが理解できます。敷地内に街の広場とカフェを呼び込んで、アートの家が建つ。
ズントー建築というと、どうしても«空間の雰囲気が。。»なんて、わかったようでよくわからない(笑)かなり抽象的な捉え方をされがちなのですが、実は一つ一つの要素を具体的に観察していくと、完成した空間がなぜそうなったのか、なぜそうならなければならないと考えたのか。が見えてくる。
建築空間単体ではなく、街全体、敷地全体を俯瞰してみた時の、その場所の建築のあり方にも目を向けると、ズントー建築の違った側面を認識することができる。
今こうしてブレゲンツ美術館を考え直してみると、僕が十年前に抱いた乳白ガラスの古い印象が、いかに部分的で矮小化された認識だったか。。(悲しいことですが)
とはいえ、こうした印象を持ったことも事実。自分だったらどのようにしただろう。と一建築家として考えてみると、さらなる可能性も見えてきそうです。
今は世界中でなかなか身動きが取りづらい状況が続いています。建築は視覚的に理解するだけのものではなく実体験を通して享受するものですが、このエッセイを読んでくれた人が、実際に建物を訪れることができなくても、どうにかその建築の芯の部分に触れることができればと願って綴っています。
杉山幸一郎
日本大学高宮研究室、東京藝術大学大学院北川原研究室にて建築を学び、在学中にスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ピーターメルクリ スタジオ)に留学。大学院修了後、建築家として活動する。
2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりアトリエ ピーターズントー アンド パートナーにて研修、2015年から同アトリエ勤務。
2016年から同アトリエのワークショップチーフ、2017年からプロジェクトリーダー。
世の中に満ち溢れているけれどなかなか気づくことができないものを見落とさないように、感受性の幅を広げようと日々努力しています。
駒込にあるギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」のブログにも、毎月10日に連載エッセイを綴っています。興味が湧いた方は合わせてご覧になってください。
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