野口修 / DAT都市環境研究室が設計した、神奈川の「横浜Y医院」です。
宅地化が進む旧街道に近い敷地に計画されました。建築家は、地域と住民を繋ぐ“セカンドリビング”的な存在を求め、人々を受容する“奥行の深さ”と子供等に適した“木質素材”を備えた空間を志向しました。また、木格子等を用いて宿場町の歴史を伝える事も意図されました。
敷地は、横浜みなとみらい21地区を見渡す掃部山の麓に位置し、前面が見通しの良い登り坂に正対する。
雑居ビルと小住宅に挟まれた狭い間口から奥に広がる地型は、所謂「タコツボ型」で、細い路地を挟んだ西側の区画が旧横浜道に接道する。
幕末の日米修好通商条約に起因して拓かれた旧横浜道の沿道は、かつて外国人居留地に係る行政施設が置かれて繁華街としても栄えたが、その後の埋立でウォーターフロントが移動したことにより、中心市街地としての街並みを失った。ようやく近年、雑居ビルが賃貸マンションに建て替り、区画整理された宅地が増えて住宅地化の兆候が見え始めたところだが、夜景に浮び上る個々の住戸は奥行きが浅く、都市空間としては個室化が進んだ感が強い。
ところで、個人経営であっても診療所は医療拠点として地域コミュニティと住民を繋ぐ公的役割を担う。同時に宅地化が進む場所に新規の診療所が根付く切っ掛けとしても、開放的で居心地の良い「セカンド・リビング」のような場所が必要と考えた。
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以下、建築家によるテキストです。
地域の医療拠点、「セカンド·リビング」としての診療所
敷地は、横浜みなとみらい21地区を見渡す掃部山の麓に位置し、前面が見通しの良い登り坂に正対する。
雑居ビルと小住宅に挟まれた狭い間口から奥に広がる地型は、所謂「タコツボ型」で、細い路地を挟んだ西側の区画が旧横浜道に接道する。
幕末の日米修好通商条約に起因して拓かれた旧横浜道の沿道は、かつて外国人居留地に係る行政施設が置かれて繁華街としても栄えたが、その後の埋立でウォーターフロントが移動したことにより、中心市街地としての街並みを失った。ようやく近年、雑居ビルが賃貸マンションに建て替り、区画整理された宅地が増えて住宅地化の兆候が見え始めたところだが、夜景に浮び上る個々の住戸は奥行きが浅く、都市空間としては個室化が進んだ感が強い。
ところで、個人経営であっても診療所は医療拠点として地域コミュニティと住民を繋ぐ公的役割を担う。
同時に宅地化が進む場所に新規の診療所が根付く切っ掛けとしても、開放的で居心地の良い「セカンド・リビング」のような場所が必要と考えた。そしてこの空間像としては、①奥行きの深いワンルーム空間、②利用頻度の高い子供や高齢者に柔軟な木質化された空間、③社会基盤施設として地域の歴史・文化の痕跡を留めた空間、であることの3点を設計の端緒とした。
まず、①に対しては、機能的に個室化が求められる診察室やX線室、調剤所を1階北側にまとめ、南側に2層の待合空間を設けた。待合空間の2階は、子供が利用する図書コーナーや遊び場を保護者用のソファやカウンターが囲う平面とし、間仕切壁の高さを梁下に抑えることで、屋根垂木の連なりを一望できる様にした。
②に対してはまず、外壁を木造耐火構造とし、火災時の倒壊を防ぐ目的で、壁上端を鋼材でハチマキ状に繋いだ鞘(サヤ)となる外殻を形成し、内部を防火上の制限から切り離した。その上で内部にもう一重、木造の梁を回し、垂木や柱も現しとした。
③に対しては、手摺や木製ルーバーの間仕切り、ファサードの木塀などにおいて、かつて宿場町の沿道景観を形成した木格子の援用を試みた。同様に三和土や土壁などの素材利用もその延長上にある。
待合空間に照明が点ると、日中でもファサードのガラス越しに屋根垂木の連なりが浮かび上がる。
前面道路とレベルを合わせたことで、正面の登り坂と地続きの奥行きの深いワンルーム空間である。医療拠点として根付くと同時に、地域コミュニティの人々が集まる場所になって欲しい。
(野口修)
■建築概要
題名:横浜Y医院
所在地:神奈川県横浜市
主用途:診療所
建築設計:DAT/都市環境研究室 担当/野口修
施工:内田産業
構造設計:坂田涼太郎構造設計事務所 担当/坂田涼太郎、狩野祐哉
構造:木造
階数:地上2階
敷地面積:135.17㎡
建築面積:91.34㎡
延床面積:166.89㎡
設計:2020年12月~2021年4月
工事:2021年6月~2022年5月
竣工:2022年5月
写真:井上登