五十嵐淳建築設計事務所による、北海道の「House in Hokkaido」。本州から移り住む施主の為の住居。“ローカリティ”への応答と“普遍性”の獲得を目指し、多様な視点と働きかけに応えられる“おおらかな”空間を志向。時間の経過で“室名らしきもの”が移り変わる建築を造る 外観、西側道路より見る。 photo©佐々木育弥
五十嵐淳建築設計事務所による、北海道の「House in Hokkaido」。本州から移り住む施主の為の住居。“ローカリティ”への応答と“普遍性”の獲得を目指し、多様な視点と働きかけに応えられる“おおらかな”空間を志向。時間の経過で“室名らしきもの”が移り変わる建築を造る 外観、南西側道路より見る。 photo©佐々木育弥
五十嵐淳建築設計事務所による、北海道の「House in Hokkaido」。本州から移り住む施主の為の住居。“ローカリティ”への応答と“普遍性”の獲得を目指し、多様な視点と働きかけに応えられる“おおらかな”空間を志向。時間の経過で“室名らしきもの”が移り変わる建築を造る 1階、「広間1」から物置側を見る。 photo©佐々木育弥
五十嵐淳建築設計事務所による、北海道の「House in Hokkaido」。本州から移り住む施主の為の住居。“ローカリティ”への応答と“普遍性”の獲得を目指し、多様な視点と働きかけに応えられる“おおらかな”空間を志向。時間の経過で“室名らしきもの”が移り変わる建築を造る 1階、「広間1」から「外の広間1」を見る。 photo©佐々木育弥
五十嵐淳建築設計事務所 が設計した、北海道の「House in Hokkaido」です。
本州から移り住む施主の為の住居です。建築家は、“ローカリティ”への応答と“普遍性”の獲得を目指し、多様な視点と働きかけに応えられる“おおらかな”空間を志向しました。そして、時間の経過で“室名らしきもの”が移り変わる建築を造りました。
私が「矩形の森」(2000年)以来ずっと設計のキッカケとしてきた「風除室」という空間があるのだが、そこにも多様なそれぞれの暮らしが溢れ出ていたことを憶えている。
「風除室」を考えていた時に、安田登さんの著書『日本人の身体』を知り、「境界はラインではない」の項を再読することが多いのだが、そこには境界は「線」ではなくもっとおおらかな空間で、「そこらへん一帯」のことで、物理的な空間も質量も持っている、れっきとした場所が「界隈」であり、分けることを主眼とはしていなくて、境界を共有することを前提とした「あわいの空間」であり「縁側」や「軒下」を真っ先に思い出すと書かれている。
そしてこの「あわいの空間」は居住者など内部空間に関係する人と、庭師などの外からの人では呼び名も視点も働きかけも変わる、自他の境界をおおらかに、そして曖昧にしている空間であると。「風除室」は中間領域とかバッファーゾーンなど色々な呼び方をすることができるが、主題の視点を何処に据えるかにより空間の働きも呼び名も変わる。
今回の建築が位置する街は、北海道の地方の昭和60年ころの状態のまま彷徨っているような感覚になる場所であった。
そこに本州から移住する夫婦のための住居を考える。コロナ禍以降、リモートで仕事が可能になり、バックカントリーなどのアウトドアアクティビティを楽しみつつも、デジタルな最新技術も楽しむ現代的な慣習の暮らしと、ローカリティを解きつつも普遍性を獲得したいと考えた。
住居は暮らしの延長に現れるもので、その形式が暮らしの在り方や風土と結び合いつつも、暮らしが変わることに、おおらかに応答できる空間をつくりたいと考えたとき、敷地全体が「そこらへん一帯」となるような居場所にしたいと考えた。「風除室」の場合、視点が中からの人、外からの人、となるが、そうではない敷地全体が多様な視点と働きかけに応答できる曖昧な場所であるおおらかな空間を目指した。
建蔽率を超えて空間をつくり、一部の屋根をくり抜き面積を調整したが、約250㎡のおおらかな「そこらへん一帯」のワンルーム空間が生まれた。この空間では視点や働きかけによって室名らしきものが出現するが、時間の経過や慣習の変化によって都度、視点や働きかけも変化し室名らしきものも移ろい変わる。
この空間は現代的に言えばプログラミングを書き換えることが可能な空間であるとも言えるし、建築が必ず向き合う様々なローカリティに応答しながら解きつつも獲得した、普遍性のある空間とも言えるのではないだろうか。