SHARE スイスの設計事務所 ミラー&マランタのクイントゥス・ミラーの講演会「建築は記憶である」の、伊藤達信によるレポート
スイスの設計事務所 ミラー&マランタのクイントゥス・ミラーの講演会「建築は記憶である」の、伊藤達信によるレポートを掲載します。京都工芸繊維大学 KYOTO Design Labの主催で2017年2月17日に行われたものです。
伊藤はメンドリジオ建築アカデミーで彼に師事し、インターンとしても事務所に勤務した人物で、アーキテクチャーフォトが2010年に行ったミラー&マランタの特集においても、そのほとんどを手掛けてくれています。
photos©京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab
クイントゥス・ミラーレクチャー@KYOTO design lab レポート
先日、京都工芸繊維大KYOTO Design Labで開催された、私にとってメンドリジオ建築アカデミーでの恩師であり、また同時にインターン時代のボスでもあるクイントゥス・ミラー氏のレクチャーを聴いてきました。
今回は彼にとって日本で初めてのレクチャーであり、少し緊張した面持ちを見せつつも、かなり気合が入っていました。本人は終わってから詰め込みすぎたと反省していましたが、とても充実した内容だったと思います。
タイトルは「建築は記憶である」というもので、常日頃から彼が強調している言葉です。まず、彼自身の建築に対する考え方及びアプローチという抽象的な部分についての話からスタートしました。その中で彼が特に強調したのは、建築は必ずある環境の中において建つものであり、敷地や社会的な状況を含めたコンテクストに応じて設計する必要があるということです。現代のメディアにおける建築の取り上げられ方は、一過性のイベントと化してしまっており、スターアーキテクトがその土地のコンテクストを無視して自らのサイン代わりのような建築を世界中に建てている事例が多く見られます。しかし、建てるということは本来、文化的なランドスケープに介入するということを意味し、建物は何世紀にも渡ってその土地に影響を与えうるということを意識しておく必要があり、建築家はそういう意味で大きな責任を負っているのだと主張していました。
ミラー氏は、記憶というものをとても大切にしています。人々は生きていく過程において共通の記憶を自分たちの中に形成し、やがてそれは生活の一部となり、何かをする際には必ずそれらの記憶に依っていると彼は言っていました。このことから見てとれるのは、人が日々生活する中で培われている経験を重視する態度であり、むやみに今までにないものを目指すのではなく、長い歴史の中で蓄積されてきたものを尊重してうまく生かそうとする姿勢です。
ここで、彼がよく取り上げるふたりの建築家の比較について話がありました。ル・コルビュジェは著書『建築に向かって』において、船や飛行機、車と比較して建築を「住む機械」として捉え、モダニズムにおける決定的な変化をもたらしました。一方で、オーストリアの建築家、ルイス・ヴェルツェンバッハが設計したインスブルックにある住宅は、モダニズムを志向しながらも純粋にフォローしてはおらず、一見したところ少しおかしなところがあります。しかし、それはよくよく見てみると彼の生まれ育った街の伝統的な建築の影響であり、彼の身体的な記憶が教義的な部分を超えてそのような建築を生み出したのだとも言えます。フィリップ・ジョンソンはそれを評価せず、彼が企画した「インターナショナル・スタイル」展にも選びませんでしたが、ミラー氏にとって建築はユニバーサルに一般化して捉えられるものではなく、それぞれの時代における思想自体は共有しつつも、ヴェルツェンバッハの住宅に見られるような、場所や人間と結びつかずにはいられずどうしても滲み出てしまう要素に魅かれているのだと思います。
類似性と新奇性の中でどのようにバランスをとるか、あるいは周辺にある既存の建物に対してどのような距離感をつくり出すのか。その答えはもちろんひとつではなく、さまざまな要素が絡み合う中でそれらを調停していくことでどこかに着地点を見つけていくことができるのだと思います。彼は「調律」という言葉を好んで使いますが、それは新しいものを加えるというよりも今あるものをきちんと整えることによって、その場所をより良いものにしようという意識から来ているのだと思います。建築において当たり前だと思われていることを一旦受け入れた上で、それらをどう更新することができるのか。他と違うことをよしとするだけでなく、同じであることの価値を見出すのもひとつの見方なのかもしれません。あえて極端なものを選び取らずに与えられた状況との関係性を重視している彼の姿勢は、一見してわかりやすいものではないかもしれないけれども、そのスタンスによってより重層的な空間をつくり出すことを可能にしているのだと思います。
その後、個々のプロジェクトの説明に移っていきました。多くはすでに以前このサイトに掲載された特集内で記事になっているのでそれらを参照していただくとして、私にとっても初見だったプロジェクトについて触れたいと思います。
ひとつめは、最近竣工したベルリンのオフィスです。
この敷地は川に面していて、そのことからヴェネツィアのヴィラ群を参照しています。地上階は階高が高めにとられていること、そして階層によってファサードが微妙に変化していることからその影響は見てとることができます。また一方でベルリンという都市に対する応答としては、少し粗野な部分も含んだベルリンらしいプロポーションを採用しており、それは60年代のスイス建築にも通ずる荒々しさを持っています。ファサードは南面と北面でのディテールが少し異なっていて、それは川に面している側と通りに面している側との違いから来ています。彼がこれだけファサードにこだわるのは、ファサードは都市と建築の境界面であり、何よりもまずその建築が都市に対してどういった態度をとっているのか示すいちばんの要素であるからです。実際に設計する上でも、ファサードとボリュームについてはかなり入念に検討するのですが、それは建築というのは都市におけるひとつの粒子であるという認識があるからだと思います。
ふたつめはスイスのルッツェルンにて進行中のグレッチャーガーテン美術館の増築です。
敷地内にはかなり大きな崖があり、そこから地層の断面を見ることができます。地層からは何千年もの時間の蓄積を感じることができ、またその傾きからは地盤の動きも理解することができます。このプロジェクトにおいて彼は、地層の傾斜角を参照しながら、その角度に基づいた構造を用い、洞窟のようだけれども同時に人の手が介在している、自然と建築の間にあるようなものをつくりたいと説明していました。ここでは時間的な射程がこれまでと比べてもより長くなっており、またランドスケープに対してよりダイレクトに働きかけています。通常彼は進行中のプロジェクトを紹介することは極めて少ないのですが、このプロジェクトはかなり気に入っているようで、ひときわ熱心に説明していました。これまでとは違う一面を垣間見せていて、竣工がとても楽しみです。
プロジェクトの解説全体として個人的に印象的だったのは、彼が見ようとしている時間軸の長さで、参照として提示される事例が当たり前のように100年以上前のものもあり、また竣工後のイメージとしても数十年後を想定しています。敷地に対する分析においても、空間的なものだけでなく歴史的なことも重要視していて、時間に対する認識の違いを痛感させられました。そしてもうひとつ感じたのは、あくまでも「建てる」ということに対しての強いこだわりで、自分たちが考えたことをきちんとディテールにまで落とし込んで説明しようとしていることでした。アイデアやコンセプトはもちろん重要ですが、それらはディテールにまで落とし込まれてはじめて成立するのであり、図面や形態だけではなし得ません。そのため、常に具体的にどのような納まりになるのか想定しながら設計を進めていると強調していました。
レクチャーの最後は、「建築とは料理のようなものであり、レシピは方向性を与えるだけで、いい建築がつくれるかどうかはどれだけ情熱を注げるかにかかっている」という言葉で締めくくられました。常にロジカルでありながらも、建築に対する愛に溢れる彼らしい言葉だと思います。
ミラー氏だけでなく日本にやって来た外国人の多くが驚いていましたが、京都という日本の中でももっとも歴史的とされる都市でさえ、どんどん古い建物はなくなり、スプロールが進んでしまっているのが現状です。もちろんすべてスイスに倣うべきだという話ではありません。日本ならではの自由さや伸びやかさはあるし、あるいはスイスならではの窮屈さももちろんあるでしょう。ただ、現代の日本に住むある数の建築に携わる人間にとって、彼らの設計及び環境が魅力的に映るのも確かです。これまで日本では、つくっては壊すことをずっと続けてきました。しかし今後の日本の置かれた状況を考えてみると、もう少し長期的な視野に立ち、文化的な持続性を求めてもいい頃のようにも思います。100年という時間軸が果たして建築にとって長いのか短いのか。ひとつの世代のためだけではなく、建築の寿命を今よりも長く考えてみることは、いろんな発見をもたらしてくれる可能性があるのではないでしょうか。
■伊藤達信プロフィール
ギャラリスト
スペース大原主宰
1982年岐阜県多治見市生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、同SFC研究所(坂茂研究室)を経てスイス・イタリア語圏にある建築大学Accademia di architettura di Mendrisioへ留学し、スイス・ドイツ語圏にある建築事務所Miller&Marantaにて勤務後帰国。東日本大震災を機に意を決して地元に帰る。現在はやきものを中心として扱う工芸のギャラリー、スペース大原を主宰する他、商店街活性化プロジェクト「タジミル」に関わるなど、この土地ならではの活動を幅広く展開している。
・スペース大原
岐阜県多治見市にある工芸のギャラリー。2003年スタート。地場産業であるやきものを中心にガラス・木工なども扱う。築100年を超える古民家を改修した展示空間は、展覧会時には戸がすべて開け放たれ、庭との一体感を楽しむことができる特徴的なものである。
www.spaceohara.com