SHARE 辻琢磨による連載エッセイ ”川の向こう側で建築を学ぶ日々” 第1回「初めての修行」
川の向こう側で建築を学ぶ日々
今年から、「修行」を始めた。修行といっても非常勤職員という肩書だ。
週に2日、天竜川を挟んで浜松の隣に位置する磐田の渡辺隆建築設計事務所に勤めている。
一度独立してから修行するというのはあまり聞いたことがないけど、これまで403architecture [dajiba]で8年半がむしゃらにやってきた建築とはまた別の建築のつくり方に触れたいと考えた結果選んだのがこの道だ。
日々新しいことを学んでいて、とても充実している。
人によっては些細なことかもしれないが、自分にとっては大きな気付きだと思う学びがある。
その学びを少しでも多くの人に、という機会をアーキテクチャーフォトの後藤さんにいただき、今回から10回ほど連載という形で筆を進めさせてもらうことになった。
建築に関係する人もそうでない人も、少し先の未来の判断材料に、これからの働き方の参考に、あるいは少し硬い言葉を使えば、建築家の作家性の相対化の機会となれば幸いだ。
非常勤職員の理由
まず、何故独立してるのに修行なのか、それを説明していく。
理由は自分と渡辺事務所それぞれにあって、それらがうまく噛み合って実現に至った。
〈自分の立場での理由〉
・dajibaとは違ったアプローチでの建築をつくるプロセスを学びたい
・息子が生まれ、安定した収入があるととても助かる
・建築家の作家性について改めて考えたい
〈渡辺さんの立場での理由〉
・これまでのトップダウン的な建築のつくり方を少し変更しスタッフの意見も汲んだ形で進めたい、その潤滑油になってほしい
・これまでつくった建築の考え方を整理してこれからにつなげたい
・建築を職にする際の新しい働き方を社会に提示したい
上記のような双方の理由とタイミングが重なり、自分の方から2018年の暮れにお話しを持ちかけた。渡辺さんの方も快諾してくれ、2019年の春から働き始めたという経緯である。
そもそも、dajibaは全員どこかの設計事務所に勤めた経験もなく、「なんとなく仕事あるからいけるっしょ!」とノリで浜松で独立してしまったものだから、ここまでの8年半は社会のルールを知らずに突入した苦難の連続であった。
例えば見積もりって何?確定申告ってなんぞや、請求書?領収書ってどっちがどっち?みたいな一般的なところから始まり、図面の描き方も学生の時のルールに毛が生えたくらいのものだったし、建築基準法もよくわからない。とにかく実務を何も知らなかったのである。
そこで我々を助けてくれたのが渡辺さんだった。
我々は事あるごとに渡辺さんを訪ね、見積もりのとり方や法規の解釈、施主対応のコツや、屋根板金の雨仕舞の納まりについて、聞きまくった。
渡辺さんは本当に毎回快く応えてくれた。ある時は見積もり用の図面一式を貸してくれて、またある時は確認申請機関に電話で質問してくれた。また、今のdajibaの図面枠は渡辺事務所のそれが参照元になっていたりもする。
渡辺さんは、住宅から比較的大きな公共物件まで幅広いサイズと種類の建築を手掛けている。
そのまま独立した我々とは対照的に、浜松を拠点とする株式会社竹下一級建築士事務所(以下「竹下」)という中規模の組織事務所で長く勤務した経験を持つ。だから、dajibaの、事務所運営から図面の描き方まで誰にも教わらずやってきた独自のやり方と比較すると、それはもう圧倒的に「ちゃんとしている」設計事務所だと僕には感じられる。
そんな関係でかれこれ8年。
dajibaはさすがに小規模な部分だけ設計し続けるわけにもいかずインテリアではあるものの規模は少しずつ大きくなっていき、渡辺事務所は住宅がメインだった初期の時代から数千平米の公共建築を手掛けるまでになった。
お互いの仕事のフェーズやキャリアが変化の時を迎えていたこともあって、上記した理由が揃っていったのだろう。いやはや人事はタイミングである。
言葉にするのは簡単だが、実際、すでにある程度メディアに作品やテキストを発表したり、作家としての色が付いている自分のような存在を非常勤職員という特殊な形で抱えるということは、大きな度量が所長とスタッフに必要になるような判断だったに違いない。
それでも実現できたのは、渡辺さんと自分の、渡辺事務所とdajibaの8年間続いてきた関係があったからこそ、というか、その関係にそのまま名前がついた結果が今の非常勤職員という形だとも言えるのではないか。
自分もこのような働き方ができる事務所を探していたというわけではなく、渡辺さんとならこのような働き方ができるのではという、関係ありきの選択肢だった。
どんな仕事をしているか
具体的な仕事の条件や内容を紹介していこう。
基本的には週に1-2回、9時から18時までの8時間勤務、残業はほぼなし。
時給は2,100円なので大体月12~4万円の固定給を雇用関係を結んで受け取っている。契約はひとまず3年間。
夜は子守があるので確実に早く上がれるのはありがたいし、「被」雇用者として貰う安定収入はミルク代として家計を助けている。
出社したらまず大きな声で皆に挨拶し、少し渡辺さんと世間話をする。
事務所に入って驚いたのは渡辺さんのコミュニケーションの量の多さだ。平均すると30分に一回はスタッフに声をかけていると思う。dajibaではスタッフには用がある時しかほぼ声をかけないので、このコミュニケーションの量の多さは衝撃だった。
談笑が終わるとコーヒーを入れて、業務を始める。
業務は一つ担当プロジェクトを持つというわけではなく、その都度その都度やることを確認して本当にいろんなことをやる。図面描き(まずは新しいcadソフトを覚えるところから)や積算業務、新規プロジェクトの案出し、現場定例への出席、定期調査、過去案件の定期点検、買い出し、社用車のガソリン入れ、賞の審査用のプレゼンボードづくり、本棚の整理、などなど幅広い業務を少しずつやらせてもらっている。
この進め方は渡辺さんが竹下にいた時の経験が大きいという。
個人が担当を持たずに組織が群として設計するということだ。また、立場的には一番下っ端になるので、電話も取る(1コール目で取る、口角は上げ気味、「もしもし」ははっきり)し、来客対応(メーカーの人がひっきりなしに訪ねてくる、これも衝撃だった)、お茶汲み(トレイに載せてコースターと別々で出すこと)、掃除まで。
dajibaではスタッフに「やらせている」ことを渡辺事務所では自分も担う。異なる立場を行き来することでdajibaのスタッフの気持ちもわかるし、ボスとしての渡辺さんの気持ちもわかる。
まぁ設計事務所に勤めている人からすれば当たり前のことばかりかもしれないが、上に挙げたような些細な出来事から僕はいちいち感動し学ぶ。
例えば、メーカーの人がひっきりなしに訪れるなんてことはdajibaでは起こらない。
dajibaではリノベーションが多いから、例えばアルミサッシを1枚入れただけではメーカーにとっての旨味はあまりないし、そもそもメーカー品をそこまで多用してこなかった(一般的な設計事務所の仕事と比較すると改修が多いので必然的に新品を扱うケースが減る)。対して新築の公共案件ではそれが10倍にも20倍にもなるからメーカーにとっては使ってもらえれば大きい利益が保証される。
すると事務所には様々なメーカーの新製品の情報やカタログが自然と集まってくる。
高度経済成長期を経て住宅産業が立ち上がった結果、設計行為はメーカー品をカタログから選び組み合わせるようになってしまったという見方もあるかもしれないが、設計行為とはそもそも何かを組み合わせることではなかったかという気もするし、やはり最新のテクノロジーに対して鋭敏な感覚を持っておくことは建築家にとって重要な才覚だと思う。
生きた教材としての自邸で働く
働く場所は、もともと渡辺さんが自邸として設計し使っていた「イワタノイエ」だ。
東名インターのすぐ近くで、のどかな茶畑に囲まれた穏やかな場所に立地し、敷地形状に合わせて変形したH型の平面が特徴的な伸びやかな建築で、リビングがHの真ん中、4本の腕にそれぞれ子供部屋・水回り・和室・キッチンが当てられている。
住宅として使われていた時のリビングは打ち合わせスペースに、子供部屋にはスタッフのデスクが並び、キッチンには渡辺さんのデスク、和室は本棚がありリラックススペースになっている。
この建築を渡辺さんは独立の約3年前、竹下在籍時に設計している。
「当時組織設計事務所ではできなかった攻めた納まりや構成、素材選定に取り組んだ」とのこと。
例えばビル用サッシは構造柱からアウトセットして納め枠を消したり、壁が斜めに入るので建具の平面形も斜めにしてピタッとハマるようになっていたり、キッチンはステンレスのカウンターが立ち上がり換気扇まで連続した構成(ダクトは吊戸棚内に隠蔽)で、風呂場はガラスの間仕切りとピボットヒンジのガラス建具、外装材の見切りはフラットバーでミニマムに、収納の持ち手や造作も細部まで設計し切っている。
所謂建築家の納まりてんこ盛りの住宅だ。
木造のスケールだが傾斜地の土留を兼ねて地階はRC、開口スパンが大きいため一階はS造である。
このあたりの判断も組織設計事務所で大きな建築をつくってきた渡辺さんだからこその選択に思える。
要するに生きた建築作品の中で建築を考えているわけだから、それだけでも日々発見がある。
大きな開口にすっきりと切り取られる風景の伸びやかさや、収納の丁番の種類や建具の上端をテーパーにカットすることで持ち手を兼ねる納まり、手すりのピッチと強度の関係、構成の強さが10年経って環境に馴染んできていること。
反対にうまく行かない部分も見えてくる。
エントランス上部には天窓がありその水切りと外壁のクリアランスが少なすぎて雨水が外壁に垂れてしまい木材が腐食していたり、下地の不陸がクロスのひび割れを誘発していたり。
構成を優先させて犠牲にしたメンテンスコストについては、渡辺さんとよく話をする。
というのも、渡辺さんはそのようなメンテナンスコストに対して大変意識的な建築家だからだ。
渡辺事務所では大きな公共建築だけではなく、小規模な耐震改修や定期調査といった小規模な公共工事も入札で請け負っている。
その中での定期調査では例えば竣工後30年経った公共施設の状態をチェックするわけだが、そういう時は否が応でもうまく行っていない部分が目につく(そもそも定期調査はそういう業務だ)。
そこでの学びを渡辺さん自身が消化したからか、設備機器が更新しやすい位置にあったり落ち葉が雨樋に詰まらないように計画することが判断の優先順位においては上位にある。
そうした態度が近年の代表作である豊岡中央交流センターや磐田卓球場ラリーナに結実していくわけなのだが、具体的な建築についてはまた次回以降で紹介したい。
他にも、些細な下働きから学んでいることや、事務所の経営術や設計料についての考え方、公共案件からの学び、工務店やゼネコンとの付き合い方、身だしなみ、作家像の更新など、お伝えしたいトピックは本当にたくさんあるので、逐一報告するようなノリでこれから筆を取っていきたい。
車を買う
そういえば、つい先日、車を買った。フォルクスワーゲンのPOLO(3年落ちの中古だけどほぼ新車)にした。その車で自宅と渡辺事務所を往復するのだけど、道程の半分以上が天竜川沿いの信号のない堤防で、雄大な景色を眺めながら出社する朝の時間は最高だ。
渡辺さんもワーゲンにずっと乗っていることが影響したからなのかもしれないが、POLOはエンジン音が心地よく、室内のインテリアや細やかなディテールも早速とても気に入っている。
振り返ると、学生時代から資本主義は敵だと学んできた(少なくとも僕はそう感じている)。
「地域社会圏」をテーマに掲げたY-GSA山本理顕スタジオでは、核家族を前提にした社会システムが住宅産業を生み、車は1人で使うことが多いのに5人を前提に計画されそのサイズが道路の幅を決めるから、例えばモビリティが代わり一人用の車が出たら都市も変わるんだみたいなことを聞かされてきたので、車をしっかり買うなんてことはその資本主義システムに加担しているとも言える。
実際、dajibaでの8年半は地域社会圏という社会理念の実践だったように思える。いろんなストックを個を超えて共有し、街と一緒に生きる、都市そのものが生活だったように感じるし、そういう部分は今も確かに続いている。
その暮らし方や働き方はそれ自体新しく、自分の誇りでもあり、そして新しいが故に既存の社会とのギャップを感じ続けたある種の苦難だったようにも思う。
一方で車を自分で買って、川沿いを走るのは快楽的だ。
その快楽には、自分がこの社会の中で被雇用者として安定して働き、その安定を利用したローンによって車を買ったという、この社会にとってはマジョリティに位置づけられるような経験も影響していると思う。
両者は矛盾しているようにみえるが、確かに同時に成立している。
自分にとってはごくごく自然と成立している。
例えば大学院を卒業していきなり修行していたら、こういう感覚は得られなかったと思う。
独自にがむしゃらに建築や都市、社会と対峙してきた経験を踏まえて修行するからこそ、些細なことからも根本的な学びを実感でき、異なる価値観の自然な併存も可能になっている。
最初に断っておくが、この経験や感触は比較的特殊なものだから再現性は低い(そもそも渡辺さんと自分の関係が極めて特殊だから)。
しかし、この感触を誰かに伝えようとすることはできる。その先に新しい建築や建築人としての生き方、建築事務所のこれからの姿を読者の皆さんが独自に切り開いていけるきっかけになるように書いてみます、楽しみにしていてください。
辻琢磨
1986年静岡県生まれ。2008年横浜国立大学建設学科建築学コース卒業。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了。2010年 Urban Nouveau*勤務。2011年メディアプロジェクト・アンテナ企画運営。2011年403architecture [dajiba]設立。2017年辻琢磨建築企画事務所設立。
現在、滋賀県立大学、大阪市立大学非常勤講師、渡辺隆建築設計事務所非常勤職員。2014年「富塚の天井」にて第30回吉岡賞受賞※。2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館にて審査員特別表彰※。
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