SHARE 工藤浩平+小黒日香理 / 工藤浩平建築設計事務所による「プラス薬局みさと店」と、実際にこの建築を訪問した6組の建築家たちによる感想
工藤浩平+小黒日香理 / 工藤浩平建築設計事務所が設計した、群馬・高崎市の「プラス薬局みさと店」と、実際にこの建築を訪問した6組の建築家たち(西澤徹夫・宮内義孝・榮家志保・澤田航・森純平・竹内吉彦)による感想を掲載します。
病院を含む医療・福祉系の施設はクロス、塩ビシートといった清潔感があるとされている設えがあたりまえの世界のなかに、外のようなラフであっけらかんとした空間をつくったり、薬局建築では無駄なものとされがちな大きな気積のある空間をどうつくるかという課題があった。結果、モノをとても合理的に経済的につくることでなし得たが、振り返るとそれは偽りの合理性、または免罪符に近いかもしれないと思ったりもした。地元ゼネコンに1.5倍の金額を提示されたとき、カタチを出すということは装飾的な一部なのかもしれないとも思ったし、透明な空間がいい環境をつくれているのかということにも私たちを立ち返らせてくれた。そういった思いを自分たちの中で払拭したいという気持ちで、必死にエンジニアリングやコストコントロールを行い、つくり手側に介入もしていった。その手続きは「私たちの」空間をつくりたいエゴなのかもしれないという迷いもあったが、立ち上がったモノの強さを目の当たりにして、そんなちっぽけな心配は消えていった。
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■実際にこの建築を訪問した6組の建築家たちによる感想。
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西澤徹夫 / 西澤徹夫建築事務所による感想
プラス薬局みさと店についての雑感「透明性、そのあとに」
建築が石やレンガや土の壁の厚みを次第にゼロにしていき、やがて透明になって、建築の内部が外部を獲得したときには、建築にとって外部は危険なものではなくなっていたし、その多様さを受け入れる準備が整いつつあった。そして茫漠とした世界の道標となる芸術や、自らの身体や認知を拡張することができるテクノロジーの発展や、システムの内部を透明にするべく要請してきた民主主義もこれに並走してきた(もちろん、それらによってもっと不透明な部分が返って増殖してきたという一面もあるが)。ぼくたちはこうして、公の場に身が晒されることによってそこでの振る舞いを学びながら、清潔で明るくいきいきとした生活が実現され、不確かながらも世界がもっと良くなることをいくらか信じてきた。
いま、ぼくたちは新しいタイプの外部=ウィルスが、身体や身近な空間=内部へ侵略してくるかもしれないという恐怖に苛まれている。そんななか、スーパーでは相変わらずレジ待ちの客が前後間隔なしに並び、駅の出口からは人々が吐き出されてきている状況が露わにするのは、ぼくたちを規則正しく並ばせ、密閉し、目的ごとにソートし、強制的になにかと関係付ける、建築や都市が平時には見せなかった暴力的な側面だ。建築や都市はそう簡単にこのシステムを手放そうとはしないだろうから、ぼくたちの方で生活や仕事のスタイルを柔軟にアジャストしていかなければならない。これはもうモラルの問題などではなく、空間の権力に疑いもなく従順であるならば、運悪く死んでしまうかも知れない、ということに対するサバイバル能力の問題なのだ。だからぼくたちは、監視や封鎖といった強権を受け入れ、自らの自由を少しばかり手放すことでこの状況を乗り越えることを望むのでなければ、建築が見せるこの暴力的な側面を、いつも勘定に入れておかなければならなくなったし、そうつくらなければならなくなった。 やっと手に入れた透明性を、したたかに使いこなすこと。
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宮内義孝 / B1Dによる感想
郊外の住宅地の一角、特別養護老人ホーム・こども園・児童センターといった、公共性が高く堅牢で「立派な施設」に囲まれ、それらと対峙する神殿のような構えを与えられた薬局。
近づいてみると、その佇まいは構えとは裏腹に、「立派でない居場所」になるためにできることぜんぶやってみました、と涼しげ。
涼しげなんだけれども、さらにじっくり観察すると、建築・構造・設備それぞれが十分に挑戦的に噛み合い、組み立てられていることがわかってくる。そのうち、力みが過ぎてちょっとプルプルしてるようにも見えてくる。
とすれば、添えられた「OK2」家具たちは、その力みの照れ隠し(隠しきれてない)なんじゃないか。
頼もしく在ることと、頼りたくなること、どちらもあきらめないという強い意志に裏打ちされた、魅力的な建築だ。
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榮家志保 / EIKA studioによる感想
調剤薬局というと、病院とセットに存在していて、処方箋を片手に、通っている病院のすぐ近くの薬局にとりあえず行く、そんなイメージだ。そんなとりあえず駆け込む場所であるにも関わらず、かけてくれる言葉や差し出されるメモ書きなどから、いつも予想を越えて安心した気持ちになる。身体も心も張り詰めていたのだなと、気がつく場所である。
今回訪れた薬局は、堂々と独立して佇んでいる。正方形の平面、等間隔にセットバックしながら迫り上がる天井、枠や庇の見付を抑えたガラススクリーンの立面。徹底してシステム的に解かれた計画とディテールには緊張感があり、ツンと自律した印象だ。設計者は四周すべてを正面とした、と話していた。それは四周すべてが人を迎える顔である、というより、寺のお堂やモスクの霊廟のように、周囲のどこへも分け隔てない顔で独立している、というような佇まいに感じられた。
そんなこの小さなお堂のような薬局は、敷地に対して少し歪んで建っている。隣の施設の駐車場からも地続きで、いつの間にかそのテリトリーに足を踏み入れている。建築自体には隙がない印象だが、建築のその周りについては隙だらけだ。一度近づくと、その透明感の中にある光の心地よさや、四周に作られた様々な居場所にすっぽりはまって居座ってしまう。外に出ると、ガラスに空の色が映り込んで周囲に馴染んでいることに気がつく。そういった建築がもつ自律した強さとどこか人を惹き寄せる隙の作り方は、設計者の策略だろうか。
病院は症状によって通う場所は変わるけれど、調剤薬局は近所の一番のお気に入りのところで良いのかもしれない。薬を受け取りながら、引っかかっていた小さいけど切実な相談をする。それは日常よりも少し別世界の方が踏み出しやすい。気高く美しく、近寄ると振り返ってくれる近所のお姉さんのような、そんな薬局ならば、きっと通ってしまう。
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澤田航 / Sawada Hashimuraによる感想
幾何学として自律性の高い建築を訪れると、
時に建築自体とそのプログラムの間に乖離を感じることがある。
この建築もプランこそ薬局として巧みに解かれてはいるが、
もし薬局でなくなって何か別のプログラムになったとしても成立するだろう。
設計者は自律性の高い形式自体は寸法の統一などの経済的な合理化から生まれてきたと説明していたが(確かに予算や工期を聞くと実現できたのが不思議なくらいだが)、
結果生まれた形式は薬局としての合理的な選択というよりは、
人が集まれる「堂」としてのあり方を求めた結果のように思える。
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森純平 / !?による感想
ポカリ
幸いなことに今のところあまりお世話になったことはないが、病室のベッドで寂しいときに拠り所になるのは、きっとナースステーションの存在だろう。事態に対処できる専門家が居るというのも一つの要因ではあろうが、いつでも明かりが灯っていること、そこで働くひとの気配を感じられることが、行動を限定された生活の中で大きな支えになってくれる。
掛かりつけの診療所でもらった処方箋を持って、街に出て。少し見渡したところにある薬局の、不思議な安心感にも通ずるところがある。普段は気にもとめないのに、辛い時はさり気なく様子を見てくれている親の優しさみたいなものを感じる。起きたら枕元にあるポカリ。週一で通う(今現在においては、通っていたとメモしておく)松戸のオフィスは元々ホテルだった建物の4階に位置する。窓のない階段を上り、赤い絨毯の敷き詰められた廊下を通り、扉の鍵を開けて、照明を灯し、窓を開けて風を通す。
日々、街に展開するプロジェクトにおいて、滞在して制作を続けるアーティストの背中を見せられないことが、もどかしくもあり、けれど街を俯瞰できる距離もまたおもしろくもあり。この薬局のように路面にあったなら、どんな展開が起こり得たかと想像したりもする。依頼を受けた時、建築家の彼は世代を作りたいんだと言った(かっこいい)。
少しの間、寝かせていたこのテキストに手を加えながら、いつの間にか外は見たこともない局面を迎えている。ぼくたちは「あの時を生きたひとたち」として世代の単位を超えた、もう少し大きな時代の一体感の中にある。
火を灯したランタンのように。街に開かれた優しい拠り所。寝起きのポカリ。
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竹内吉彦 / 青木淳建築計画事務所による感想
①「鏡もち形式」
プラスチックで模作された鏡もちのように、積層されたような外見に反して、中では層ごとの分割がない一体空間となっている。
‐ ボリュームがオフセットしながら積層されたような外形
‐ 積層されたボリュームと階床との率直な対応関係の解消
という特徴は、妹島さんの大阪芸術大学や西沢さんの大八木邸とも共通している。
この「鏡もち形式」には、床面積が広いこととは別方向の、大きな気積をもつことの贅沢さがある。
同時にその鏡もち型の断面形状は、大きいボリュームと小さいボリュームの正反対の良いところを両取りにする。②平面と断面の共犯
この薬局の平面計画は、鏡もち型の断面計画との共犯関係にある。
外周部の小さなボリュームには、外来者に開かれた空間がまわっている。
中心部の大きなボリュームの下には、従業員室を一回り小さい箱として入れ子状に置かれている。
その箱の上部には、階床を設けずに空虚だけが残され周囲に開放されている。
薬局には機能と空間の両方の意味で余白が与えられている。③空虚な触媒
この共犯で得た空虚が、触媒のように作用を促している。
スパンの短かい華奢な柱梁は、空虚の中をまっすぐ縦横に連続して貫いていくことで、一本の材のようにより細く長いプロポーションを現わし、構造というには不穏な軽やかさが空虚の中に取り残されている。
架構と協調された高窓は、空虚を隔てその向こうの方から外光を取り込むことで、窓枠の存在は遠退き、光の存在だけがより前景に留められる。
不陸を残した艶やかな床は、光に満ちた空虚をハイライトとして映しこむことで、てらてらとした水面のような柔らかさが浮き上がっている。④寸前のナマ
構成しているものは、柱、梁、窓、床といった名で呼びうるものだけど、その名で呼びうる寸前のところで儚げに取り留められている。
かたちとはたらきの間の紐づけをほどいて、既視の関係がグラつくような不安定さへ着地させようとしているように見える。
じっくりと火を通した肉とは対極の、生焼け寸前のナマの状態を留めようとするのと似ている。見かけは最小限の手続きに見えても、その裏付けを得るための力業が隠されている。
エンジニアリング上の省コストと省工期への対応が、デザイン上の足枷となるのではなく、むしろ確信犯的にデザインを展開させる下支えとして暗躍している。前作も含めてSANAA的言語の影響を感じるけど、その力業に支えられたナマめかしさは、そこからハミ出しているように見える。
それがどんな発展を見せていくのか、関心をもって眺めていきたいと思う。
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以下、この建築を設計した工藤浩平と小黒日香理によるテキストです。
今回、このようなプログラムの薬局をつくることになったきっかけについて触れながら、できた空間やモノについて説明できればと思っている。
薬局について
この仕事の依頼を受けたとき、薬局の社会状況がいま変わりつつあることをクライアントから伺った。その背景を簡単に説明したい。
病院は長い間、「医」と「薬」の両方を担ってきた。 医師による薬の過剰投与を防ぐため、このうち 「薬」 を切り離し、調剤薬局という業態が生まれた (1956年から医薬分業がはじまる)。 現在は医薬分業率 70% となり、調剤薬局は全国で約 5 万 8000 店舗という規模に達し、病院はもちろんコンビニエンスストアさえもしのぐ数となっている。
医療を支えるインフラとしてこの国に根づいた一方で、病院の前に乱立し、処方箋を受け取り、薬を渡すだけの一義的なサービス内容のものが多く目立つ。またマツキヨに始まるドラッグストアの普及により、そのコンビニ性は強くなり、私たちから見ると調剤薬局なのか店舗なのか、区別がつかないくらい身近で専門性の低いものも増えていった。薬局建築はその流れに追随するようにイオンの中に併設されたり、単独でも30m2〜40m2ほどで調剤薬局を作ることができるため、パッケージ商品のように各所に画一的に作られてきた。
そこで国は増えすぎてしまった薬局に対して、昨年新しい政策をつくった。2025年( 団塊の世代 が 75 歳以上になり医療費・ 介護費の急増が懸念される年)に向けて「門前薬局」を削減させ、「かかりつけ薬局」を増やし、地域に密着した健康情報の拠点とすることを打ち出したのである。それは患者が自分にあった医者や病院を選ぶように、薬剤師や薬局も、サービスに応じて選ぶ時代が始まることで、多くなりすぎた薬局の削減を目標としている。
今回のクライアントはこの状況下で、患者と薬剤師が信頼関係を築き、日常の健康管理から専門的なサポートまでを医療のチームの一員として参画していくことで生き残りを考えている。それは薬局が医療の一端を本当の意味で担うことだと感じた。その始まりとして、クライアントは群馬の車の所持率が多いという地域性からドライブスルーを取り入れたり、「健康プラス教室」という定期的な健康教室を開催していたり、管理栄養士との協働による健康相談を行ったりという試みを続けている。
空間について
今回、ドライブスルーや健康教室や健康相談に加えて、漢方のサービスやキッズスペースやライブラリーなどが求められた。また前述した背景から、処方箋がない時でも気軽に地域の人に利用してもらいたい、より所となるような場所にしたいという要望があった。
調剤機能もフラットにして構成することも考えたが、患者さんのプライバシーや調剤の安全性を考えると現実的でなく、調剤機能を中心に置き、その周りを他のプログラムが囲う形式は自然に見出すことができた。訪れた人たちが気軽に自由に使える空間について考えると、素直に、広がりを持ちつつパーソナルな空間をもった場所にしたいと思った。また、そういった場所性をまちの中で思い起こしてみると、教会や神社のような空間ではないかと思った。視認性があり、みんなでも、ひとりでも、大きなつながりを感じられるような場所、そうゆうパブリックなアーキタイプのイメージを持って設計した。
今回、強い形式性をもつ集中型平面や、大きな気積に対して細かな列柱がつくるスケール感、側廊と身廊のような関係をもった断面構成や、プロポーションを追い求めた立面、ハイサイドから明るい光が入ってくる開口部で構成された空間といった要素たちをこのイメージによって捉えることができた。もうちょっと断面が場所ごとに差があったり、ほんの少しだけスパンの伸び縮みがあったりということも考えたが、2750mmグリッドの均ーな構成のなかに、木のストラクチャーと身体的なメンバーの柱と梁が入ることでシステマチックな計画を柔らかくしてくれた、と思っている。
生について
病院を含む医療・福祉系の施設はクロス、塩ビシートといった清潔感があるとされている設えがあたりまえの世界のなかに、外のようなラフであっけらかんとした空間をつくったり、薬局建築では無駄なものとされがちな大きな気積のある空間をどうつくるかという課題があった。結果、モノをとても合理的に経済的につくることでなし得たが、振り返るとそれは偽りの合理性、または免罪符に近いかもしれないと思ったりもした。地元ゼネコンに1.5倍の金額を提示されたとき、カタチを出すということは装飾的な一部なのかもしれないとも思ったし、透明な空間がいい環境をつくれているのかということにも私たちを立ち返らせてくれた。そういった思いを自分たちの中で払拭したいという気持ちで、必死にエンジニアリングやコストコントロールを行い、つくり手側に介入もしていった。その手続きは「私たちの」空間をつくりたいエゴなのかもしれないという迷いもあったが、立ち上がったモノの強さを目の当たりにして、そんなちっぽけな心配は消えていった。どんな状況でも、強い空間を追い求めたいと思ったし、人間よりも大きく長い建築をつくっているのだ、という事を改めて感じた。
(工藤浩平+小黒日香理)
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□今回の記事について。
自分の作品に対する想いだけでなく、知人の建築家達との近しいコミュニティ内での感想・視点を公開することで、よりこの建築のリアルさを伝えることができるのではないかと思った。また、先の見えない建築に対してぼくらの世代がどう捉えようとしているのか、その試行錯誤も共有したかった。
この感想 も含めて、批評の対象にしてほしい。
何かを発信することのバリアが下がってきている。立証されていない仮説でも、個人のエッセイのようなパーソナルな考えでも、自由に発信できるし共感者を集めることができる。そんな時代の中で、もっとラフに建築の論評をだしてみたかった。
(工藤浩平)
■建築概要
敷地:群馬県高崎市
用途:調剤薬局
敷地面積:631.180m2
建築面積:280.562m2
延床面積:200.222m2
構造・規模:木造、1F
設計:工藤浩平、小黒日香理(工藤浩平建築設計事務所)
構造設計:シェルター、平岩構造計画(監修)
照明:飯塚千恵里
家具:ニュウファニチャーワークス
施工:住建トレーディング東京支店
写真:中村絵、竹内吉彦
種別 | 使用箇所 | 商品名(メーカー名) |
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外装・屋根 | 屋根 | |
外装・建具 | 窓 | |
内装・床 | 床 | 表面強化剤+ダイヤモンド仕上 NTクリスタルハードナー(日本特殊塗料) |
内装・壁 | 壁1 | クロス(サンゲツ) |
内装・壁 | 壁2 | ラワン合板+自然系木部用浸透型着色剤 VATON(大谷塗料) |
内装・壁 | 天井1 | クロス(サンゲツ) |
内装・壁 | 天井2 | ラワン合板+自然系木部用浸透型着色剤 VATON(大谷塗料) |
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