SHARE 白井晟一が1959年に完成させた世田谷の住宅「アトリエNo.7(旧増田夫妻のアトリエ)」をレポート。白井の孫で建築家の白井原太の修復・改修によって、原形を保ったまま現代の居住性も獲得した建築は、新しい住まい手を待つ
白井晟一が1959年に完成させた世田谷の住宅「増田夫妻のアトリエ」が現存しており、また保存修復がなされた状態であると聞き、様々なご縁の中で実際に伺うことが叶った。
本記事では、実際に訪れた建築の様子や印象と、実際に保存修復と改修を手掛けた建築家の白井原太が目指したものを紹介する。また本建築は、新たな住み手を待っており、その情報も末尾に掲載する。加えて、改修にあたり本建築は「アトリエNo.7」と名称を新たにしている。それは、白井が手掛けた7番目のアトリエ兼住宅であることに起因するとのこと。本レポートでも「アトリエNo.7(旧増田夫妻のアトリエ)」の名称で紹介する。
白井晟一と言えば、「ノアビル」(1974年)や「親和銀行本店第3期 電算事務センター」(1975年)、「石水館」(1981年)などの、規模が大きく特徴的な素材づかいの建築を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。事実、筆者もその一人であった。特に「石水館」は、地元に建つ建築という事もあり、建築を学び始めた学生時代より何度も通った経験があった。特に印象的だったのは石という素材をふんだんに使われていることと、また単純に合理性で計り知れない、思考や思想が背景にあることを想起させるデザインである。デザインが社会的なものであり、問題解決を目指すものと考えていた当時の筆者にとっては、白井の建築は得体のしれない奥深さを感じさせるものであった。
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今回訪問する機会を得た「アトリエNo.7(旧増田夫妻のアトリエ)」は、1959年に完成した木造住宅である。案内をしてくれた白井原太によれば、白井建築の歴史を、初期・中期・後期に分けるとすれば、中期に属する作品なのだそうだ。つまり、白井がコンクリートを使用しより規模の大きな建築も手掛けだす時代につくられた木造住宅ということである。
確かに、その外観を眺めてみると、以前の白井晟一が手掛けてきた住宅とは趣が異なる。木の柱が外観でも象徴的に使われていることから、一目で木造建築であると分かるが、和の要素が極力排除されているように感じる。太い柱は横架材や、破風・鼻隠しと共にフレームをつくっている。それは抽象的な建築表現を目指しているようにも見える(余談だが、このフレームの色彩は当時撮影された8mmフィルムを見つけ出し、オリジナルの色が判明したそうだ)。
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内部を見てみると、1階に約40m2の居間兼食堂と工房がワンルーム的につながっており、工房の上部は吹き抜けている。2階には畳の敷かれた寝室がありその広さは約15m2である。吹き抜けにはその天井高さと同じ寸法の開口部が設けられており、約60年前の住宅とは思えない開放感があり現代的だ。また北側にも窓が設けられており、アトリエとして使われる際には、南側窓は鎧戸によって光を制限して、北側からの安定した光を入れていたとのことだ。天井にはガマゴザが使用されているのも特徴的だ。また平面の中央付近に設けられた8寸角の柱は、梁のサイズよりも少し大きく設計されており、柱がただ単純に構造的に考えられていたのではなく、この空間に必要なヴォリュームや象徴的に意味を担うように考えられているようにも見えた。これは後々まで続く白井建築の特徴ではないだろうか。
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階段を登った場所に位置する二階の和室の設計も興味深い。天井は中心性を表現するようなデザインとなっており、吹き抜けと面する側の柱も中心に据えられている。そして吹き抜けと面する付書院が少しずれて配置されている。この絶妙なバランス感にも非凡さを感じさせてくれる。また、バルコニーに面する窓の中桟は床レベルに近い位置に配されているのだが、これはバルコニーの手摺高さと一致するようにデザインされることで、畳に座った時に、中桟と手摺が重なることで、外の風景が美しく見えるようになっている。このような細やかなデザインにも驚かされる。
ここまで、「アトリエNo.7(旧増田夫妻のアトリエ)」の設計に注目してみてきたが、この建築のもうひとつの特徴は、建築家の白井原太よって行われた、「保存修復」と「現代に求められる住まいへのアップデート」の両立である。白井原太は、白井晟一の孫であり、10歳まで共に生活し、その後建築設計の道へ進み建築家となった人物である。訪問時に、白井原太が本建築を修復改修するまでのエピソードや、改修にあたっての想いを色々と語ってくれた。
白井原太は、生前の増田夫妻とも親交があったのだという。そしてこの住宅が如何に増田夫妻に愛されていたかも語ってくれた。ご夫妻は「こんな素敵な家を設計してくださってありがとう、と毎日手をあわせているのよ」と語っていたそうである。
住宅内部を見て回っていると、印象的なデザインの壁面照明が配置されていることに気づいたのだが、これは増田夫妻が自身で取り付けた照明なのだそうだ。完全に竣工当時のオリジナルに戻すのではなく、このような照明を残したうえで保存するという選択にも、住宅が住み継がれていき、そこに歴史を積み重ねていくという視点でも好感を持った。
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また保存修復と改修に当たっては、床暖房の設置や断熱材の追加や、玄関スペースの追加、水廻りの取り換えなど、現代の住まいに求められる配慮がなされた。約60年前につくられた住宅であるから、今のライフスタイルと異なるのはもちろんであり、それを現代的にアップデートすることで、現代の住み手が無理なく暮らせるようにするということは、住み継がれるという視点においても重要なことだと感じた。もちろんであるが、これらの変更が加えられた部分においても、その判断には白井晟一が、どのような素材を用い、どのような思想で設計していたかという視点で行われている。例えば、1階の床材は、当時使われたアピトン材から栗材に変更されているのだが、白井晟一が他の建築においても栗材を使用していたという調査から選択されたものである。そのような配慮が建物全体にわたって行われてる。
本建築を見ながらの白井原太との対話の中で印象的だったのは、この「アトリエNo.7(旧増田夫妻のアトリエ)」に新たな住み手が見つかり、住宅として使われ続けることによって、保存されることを強く願っているという姿勢であった。近年、建築家による住宅が用途を変えて保存されるケースをしばしば見る。プライベートであった住宅がパブリックになることによって、多くの人々がアクセスできることは、素晴らしいことである。しかし筆者はそれだけが歴史的な建築の保存方法ではないように思う。歴史を持った建築が、正当に評価され、新たな住み手に受け継がれ、更にそこに新しい歴史が付け加えられていく。歴史的建築として時が止まったものとして扱うのではなく、実際に住まわれ続けることで、建築が生き続ける道もあると思うのだ。
そのような事例が増えていくことで、建築家の設計した建物の捉えられ方は変わっていくのだろうし、建築家の仕事の社会の中での捉えられ方も変わっていくのではないだろうか。
そんな未来を切り開く可能性がこの住宅「アトリエNo.7(旧増田夫妻のアトリエ)」にはあると思えた。
■「アトリエNo.7(旧増田夫妻のアトリエ)」の購入に関するお問い合わせ先
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