設計事務所を支える番頭ポジション
text:辻琢磨
番頭からの学び
前回のエッセイで、壁紙の選定や、渡されたサンプルを持ち帰る話を紹介した際、寺田さん始めスタッフの皆が渡辺さんにたくさん叱られているようなニュアンスの書き方をしてしまい、書いた後に大いに反省した。
特に寺田さんは非常に優秀な番頭で、渡辺事務所の屋台骨を支える存在なので、名誉挽回というか、今回は設計事務所の番頭というポジションについてや、寺田さんの働きぶりから学んだことについて、書いてみたい。
渡辺事務所の規模
渡辺事務所のスタッフは僕を除くと、9年目の寺田さん、5年目の増田くん、3年目の岩田くんの3人で、2000㎡を超えるプロジェクトを抱える事務所の体制としては決して大きくない組織規模といえる。つい最近も歯医者さんの建屋や比較的大きな規模の工場兼オフィスが着工し、常に設計と現場監理が動いているような状態だ。
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そんな中、この1年半の僕の印象だと所長は一日のほとんどをいろんな電話と打ち合わせで終えているので、ほとんどの実作業は(一般的に所長とはそういうものかもしれないが)、このスタッフ3人で回している。大きな物件ほど実施図面や施工図チェックの量は増えていくし、公共案件だとその提出書類も増えていくわけで、とてもじゃないけど3人で回せる仕事量ではないと僕は常々感じている。
でも、つい先日磐田市立病院研修棟が竣工し、継続的に展開するコインランドリーの新築も竣工、ヤマハマリーナ浜名湖のクラブハウスも竣工間近で、働き方改革を推し進めながらも何故だか(語弊がある笑)どんどんと建築が立ち上がっていくのだ。
渡辺さんの一つの特徴は圧倒的な電話の量で、とにかくよく電話で、施主や施工者、構造設計者、行政担当者といった人たちとコミュニケーションをとっている。シビアな話題もあればほのぼのとした話題もあり、とにかく日常的なコミュニケーションの中で様々な問題を事前に(時に事後的にも)回避しプロジェクトを円滑に進め、また同時に恒常的な推進力と大きな指針をプロジェクトに与えているように思う。
全員攻撃、全員守備
また、渡辺事務所のスタッフの特徴としてメインの担当を置かないということがある。
僕の知る限り一般的に設計事務所のスタッフは担当物件を抱え、スタートから竣工までメインでプロジェクトの面倒をみることが多いが、この独特な慣習は、前職の竹下設計からの引き継ぎだそうで、とにかく全員ですべてのプロジェクトの進行状況をなんとなく共有しつつ、先輩が後輩に事務所の経験知を伝え、プロジェクトが進んでいく。
例えば、磐田市立病院研修棟では実施設計までは増田さんが主に図面を描き、経験豊富な寺田さんが公共案件ということもあって現場監理を引き継ぎ、民間のヤマハマリーナ浜名湖クラブハウス棟では実施設計までは寺田さんがメインで図面を描き、現場監理を増田くんが病院と入れ替わりで引き継いだ。岩田くんは両方のプロジェクトでCGやサイン計画を担当している。僕も担当は持っておらず、病院でもマリーナでも現場に行かせてもらって仕上げを検討したり、ディテールを考えたりもしている。
このような、フットボールで言えば全員攻撃全員守備のような戦術は、明確な役割分担というよりも、メインで時間をかけるプロジェクトはあるものの、全員が常に事務所の状況をなんとなく共有しているというような状況を作り出している。この状況は例えば先輩から後輩へのノウハウの共有が自然と起こるし、逆に後輩から先輩への質問も生まれやすい。兎にも角にもコミュニケーションの恒常化が、プロジェクトを実現させるための渡辺事務所の一つの鍵になっているように感じている。
番頭、寺田さん
とはいえ、上記のようなマネジメント体制を敷けているのは、渡辺さんの日常的なコミュニケーション効果ももちろんだが、寺田さんの番頭としての能力(=以下番頭力)も確実に寄与している。
ここで少し番頭の寺田さんについて紹介しておこう。
磐田市出身で渡辺さんと同じ金沢工業大学を卒業後、設計事務所勤務を経て渡辺事務所に加入した。当時はまだ、今の事務所の一階は渡辺さんの家族も住む自宅として使用されていて、地下の狭い一室が事務所だったそうだ。
事務所黎明期を渡辺さんと共有し、6年前に渡辺事務所のエポックともいえる豊岡中央交流センターをほぼ一人で担当したことで、マネジメント能力が開花した。