本記事は学生国際コンペ「AYDA2021」を主催する「日本ペイント」と建築ウェブメディア「architecturephoto®」のコラボレーションによる特別連載企画です。今年の「AYDA」日本地区のテーマは「音色、空間、運動」。このテーマにちなみ、現在活躍中の建築家に作例を交えながら色彩と空間の関係について語ってもらうインタビューを行いました。昨年、全4回にわたり公開された色彩に関するエッセイに続き、本年は建築家の青木淳と芦沢啓治の色彩に関する思考に迫ります。作品を発表する度に新鮮な驚きを与えてくれる二人。その色彩に関する眼差しを読者と共有したいと思います。
第5回・前編では、青木淳が建築本体と外装を設計し2021年1月に竣工した「ルイ・ヴィトン 銀座並木通り店」について語ります。あたかも風にたゆたう水面のようにきらめく3次曲面ガラスをカーテンウォール全面に張り巡らしたこの建物は、“水の柱”がテーマだとのこと。果たしてどのような構想とプロセスを経て実現したのでしょうか。お忙しい中、貴重なお話をうかがいました。
*このインタビューは感染症予防の対策に配慮しながら実施・収録されました。
銀座らしさを中世に求める
――「ルイ・ヴィトン 銀座並木通り店(以下、銀座並木通り店)」は、青木さんご自身が設計し2004年に竣工した同店舗の建て替えです。今回、敷地周辺がかつて海に囲まれていたことから“水の柱”をテーマにしたとうかがっていますが、そこに至る経緯はどのようなものだったのでしょう。
以下の写真はクリックで拡大します
青木:ルイ・ヴィトンのプロジェクトには、これまでもかなり長い時間がかかっています。というのも、我々が最初に用意した案がすんなり実現することはなくて、「もう少し違う案も考えてほしい」とリクエストされて別の案を考えるという連続なんです。
しかも、あるところまで進んで試しに1m角ぐらいのサンプルを制作しても「やっぱりまずいかな」ということでまた考え直すとか。それを何回も繰り返しながら少しずつ進めた結果、実施案にたどり着くわけです。
いつもその街ならでありながら、同時にルイ・ヴィトンらしさをもつことが求められるのですが、「銀座並木通り店」の場合も、銀座という場所性を活かすことを考えました。
ただ、銀座らしい建築といってもなかなか難しい。というのも、いろいろなストーリーが銀座にはありますから。
たとえば明治から大正にかけての銀座はレンガ街でした。開国以来、横浜の港から東京に向かう列車の終着駅が新橋で、そこから東京まで行く途中にあるのが銀座ですから、いわば海外の文化が直接入ってくる場所でした。
昭和初期には資生堂がロゴや店舗にアール・デコのデザインを取り入れます。アール・デコが日本で受容されたのは、おそらく江戸小紋のような繰り返しのパターンが既にあったことから親しみやすかったのでしょう。「ルイ・ヴィトン 松屋銀座店(以下、松屋銀座店)」(2013年)では、そのストーリーをデザインに取り入れました。
そして、時代を中世までさかのぼれば、日本橋から銀座にかけては江戸前島といって、海に囲まれた半島でした。
江戸時代に周りが埋め立てられますが、墨田川河口に造成された佃島に漁村がつくられ、江戸城に献上するために白魚漁が行われたといいますから、水はきれいだったに違いありません。
そこで、「銀座並木通り店」では水と海と街にちなんだテーマを連想したというわけです。
変わり続けるブランドイメージ
――青木さんとしては、歴史的なつながりと同時に、ルイ・ヴィトンというブランドの建物として見てもらいたいわけですよね。
青木:もちろんそうですね。並木通りという道は中央通りに比べると道幅が狭く、言い方を変えればヒューマンスケールで、特に最初の「銀座並木通り店」が竣工した2004年頃は老舗感のある建物が並び、銀座の中でも高級なイメージがありました。
そこで前の時は、外壁は伝統を感じさせる石がいいだろうと直感すると同時に、“軽さ”という相反するイメージもあわせて表現しようと、GRC(ガラス繊維補強セメント)に白いアラバスターを象嵌したパネルを用いました。つまり一種のテラゾーです。
ルイ・ヴィトン側の担当者からは「テラゾーは言ってみれば石のまがいものなのでヨーロッパではネガティブにとらえられる可能性がある」と心配されましたが、当時社長だったイヴ・カルセルさんの自邸の水まわりに使われたテラゾーがすごくきれいだというのでゴーサインが出たのを覚えています。
それから20年近くが経ち、並木通りはだいぶ雰囲気が変わりました。ブランドの店舗がずいぶん増え、並木通り特有の雰囲気が消えてしまいましたね。