陶芸と建築のコラボレーションをテーマとした、スペース大原での「松永圭太×橋本健史 展」の会場写真です。403architecture [dajiba]の橋本と陶芸家の松永が協働で作品を制作しています。スペース大原は、岐阜県多治見市のギャラリーで、この展覧会の会期は2021年6月20日まで。また2021年6月13日からは作品がオンラインでも販売されます。
松永圭太によるコメントの一部
今回の橋本さんとの企画は約2年前に決まり、他分野ながらお互いのものづくりの方法を理解することから始まりました。
・建築は小さく書いた図面が大きな建物となって立ち上がる。やきものは焼くと小さくなる。
・建築は地面にしっかり張り付いた形が安心する。やきものは重力に逆らった形を目指しいるものが多い。
このように、お互いものづくりの始まりには何かきっかけが必要で、建築とやきものの共通点、相違点を探しました。
陶芸家の私からすると、橋本さんが膨らまそうとするやきものの着眼点は新鮮で、たまにそれは私が見たくないところだったりもしました。
例えば、やきものはどうしても焼成で歪んでしまったり、想像しえないアクシデントが起こる点などです。
もちろん、やきものはそのような現象を土味や景色と捉え、作品の価値を高めたりもしますが、橋本さんは私にわざとアクシデントを起こすような制作方法を要求しているように感じることもありました。
橋本健史によるコメントの一部
松永さんとは今回のプロジェクトのために、長い時間をかけて対話をする機会を得ました。松永さんは建築を学ばれてから陶芸の道に進まれたこともあって、やりとりする言葉の多くを驚くほどスムーズに共有することができましたが、そのなかで度々気になったのは「造形」という言葉に独特の重みのようなものを感じたことです。その理由が多少なりとも腑に落ちたのは、陶器は焼成時に90%ほどに縮むということを知ったときです。つまり、松永さんは焼く前の土に触れているときは、「原寸よりも拡大した世界」で考え続けているわけです。何分の一かに縮小したものに触れ続けているのでは絶対にわからない、私からすれば縮尺のむこう側とでもいう領域に常に触れているからこそ、そこにしかない精度があり、ゆえに「造形」に独特なニュアンスが含まれるのではないかと。
※写真のキャプションは「スペース大原」の提供によるものです。
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松永圭太によるコメント
今回の橋本さんとの企画は約2年前に決まり、他分野ながらお互いのものづくりの方法を理解することから始まりました。
・建築は小さく書いた図面が大きな建物となって立ち上がる。やきものは焼くと小さくなる。
・建築は地面にしっかり張り付いた形が安心する。やきものは重力に逆らった形を目指しいるものが多い。
このように、お互いものづくりの始まりには何かきっかけが必要で、建築とやきものの共通点、相違点を探しました。
陶芸家の私からすると、橋本さんが膨らまそうとするやきものの着眼点は新鮮で、たまにそれは私が見たくないところだったりもしました。例えば、やきものはどうしても焼成で歪んでしまったり、想像しえないアクシデントが起こる点などです。
もちろん、やきものはそのような現象を土味や景色と捉え、作品の価値を高めたりもしますが、橋本さんは私にわざとアクシデントを起こすような制作方法を要求しているように感じることもありました。
403architecture [dajiba]の建築には一見ネガティブと思える与条件をポジティブにひっくり返すようなものが多くあります。その作業には大変な労力を必要としながらも、反転した際に感じられるユーモアやセンスに私も魅了されました。
今回、橋本さんとコラボレーションさせて頂く過程で403architecture [dajiba]のものづくりを体験させてもらうことが出来ました。やきもののネガティブなネタ探しは、反転の快感を見越した制作の一環だと気付き、新たなものづくりをすることが共に出来たように思います。
橋本健史によるコメント
私がもともと建築に興味を持ったのは、建物や建築家にではなく「図面」に対してでした。絵画のように解釈で満たされておらず、数式のように余地なきものでもない、具体と抽象とのあいだにあるその存在感に、強く惹かれたことを覚えています。図面であれ模型であれ、私が普段から接し、いじくり回しているものは1/100だとか1/30だとかいったスケールをもったものです。ある意味では建築設計とは、スケールの技術です。様々な尺度を移動しながら、原寸でも現物でもないものを通して思考することです(そういう意味で今回取り上げられた「頭陀寺の壁」は、あえてその例外にどこまで迫れるかに挑んだものです)。
松永さんとは今回のプロジェクトのために、長い時間をかけて対話をする機会を得ました。松永さんは建築を学ばれてから陶芸の道に進まれたこともあって、やりとりする言葉の多くを驚くほどスムーズに共有することができましたが、そのなかで度々気になったのは「造形」という言葉に独特の重みのようなものを感じたことです。その理由が多少なりとも腑に落ちたのは、陶器は焼成時に90%ほどに縮むということを知ったときです。つまり、松永さんは焼く前の土に触れているときは、「原寸よりも拡大した世界」で考え続けているわけです。何分の一かに縮小したものに触れ続けているのでは絶対にわからない、私からすれば縮尺のむこう側とでもいう領域に常に触れているからこそ、そこにしかない精度があり、ゆえに「造形」に独特なニュアンスが含まれるのではないかと。
私が今回提案したのは、解体現場で出た石膏ボードの破断面を積層し、陶器の石膏型の代替とすることです。建設・廃棄のプロセスと陶芸のプロセスを交差させることで生まれるテクスチャーの提案であり、茶碗への造形は松永さんに委ねられています。実際に焼き上がったものを見たときに、石膏ボードの厚さである12.5mmという建築設計を行う人間なら染み付いている寸法が、わずかに縮小しているのに心がざわつきました。「釉薬」として用いられた図面※のシートは焼成時とは違って低温で定着させているため、1/20のスケールを保ったまま、しかしテクスチャーと造形に引っ張られて歪んでいます。原寸を境目とした縮尺のこちら側とむこう側が同時にあることで、松永さんの作品が持つ生々しさ、時間軸のようなものに、今回のコラボレーションでしかなしえなかった揺らぎがあれば幸いです。
※「頭陀寺の壁」の図面。木材を原寸・現物で判断してつくったのち「事後的」に描いたもの。
■展覧会概要
名称:松永圭太×橋本健史 展
会期:2021年6月5 (土)~6月20日 (日) 13:00-18:00 会期中無休
会場:スペース大原 507-0073 岐阜県多治見市小泉町3−3
オンラインストアでの販売:6/13(日)18:00〜
https://spaceohara.theshop.jp/
お問い合わせ先:info@spaceohara.com