SHARE 辻琢磨による連載エッセイ “川の向こう側で建築を学ぶ日々” 第9回「ボスが独りで下す決断の切れ味」
ボスが独りで下す決断の切れ味
渡辺さんのところで働き始めて、2年半が経った。
8回のエッセイで、渡辺事務所で僕が学んできたことを中心にテキストを書いてきて、少なくない反響があった。先日は東京のアトリエ事務所のスタッフの知人から、事務所内で寺田さんの番頭回を何度も読んでいますという声ももらい、SNS以外の場でも、特に実務の現場で読まれているんだということを非常に喜ばしく思った。今回も一層気を引き締めて書かねばなるまい。
とはいえ、これまで比較的に真面目な内容が多かったので、本稿は閑話休題として渡辺事務所の福利厚生の中でも実に特徴的な研修キャンプについて書いてみたい。
研修キャンプとは、いわゆる社員旅行のことで、渡辺事務所では年に一回皆でキャンプにいくという行事がある。これまでは2014年から2019年まで6年間は毎年4月に新潟県三条市SnowPeak本社キャンプ場「SnowPeak Headquarters」に二泊三日で滞在するというものだった。新潟へは片道車で7-8時間…現地ではマラソン大会!という体育会系のイベントである。
なぜ研修キャンプかというのは2013年にさかのぼる。現渡辺事務所は当時渡辺さんの自邸として使われていて、事務所機能は地下室の小部屋だった。それを、渡辺さんが自邸機能を別の場所に引っ越しして、このイワタノイエ全体を事務所として使えるようになった。それに伴い広大になったスペースに置く家具をスノーピークのアウトドア製品に統一(現在は様々なメーカーが混在)したことがきっかけだったそうだ。
豊かな自然に囲まれたイワタノイエはビル用サッシで風景が大きく縁取られ、外が非常に近い。その空気に合い、年に一度の大忘年会(通称ワタフェス)ではすべての家具を片付けられる、ということでアウトドア製品が導入された。この什器のアウトドア機能を最大限引き出すために考案されたのが研修キャンプなのである。
渡辺さん自身はもともとキャンパーだったわけではなく、これがきっかけでキャンプに目覚めたようで、スタッフ3人もそれぞれにマイテントを持っていて、今ではちょっとしたキャンプ集団になっている。
僕はと言えば、入社した2019年は予定が合わずに参加できず、2020年はコロナ禍で遠出を自粛しイワタノイエの隣でキャンプをし(これがきっかけで新潟縛りが崩れた)、開催時期も秋に変更され、今年初めてキャンプに参加することができた(これを機に僕もマイテントを購入した)。
渡辺事務所(渡辺さん)は僕が入社したことも影響してか、案の作り方も、マネジメントに関しても、少しずつトップダウン体制を脱却しボトムアップ化を図ろうとしているので、今年のキャンプサイトや当日のスケジュールの決定もスタッフに委ねられた。
例えば、建築の提案を考える時の案出しという作業があるのだが、僕が入社する前はこの案出しは渡辺さんがほぼすべて自分で行い、方針を決めてからスタッフに作業を振っていた、いわゆるトップダウン型の業務体制だったのだが、入社後はプロジェクトによっては皆で案出しすることも増え、あるいは納まりや素材を決める際にも渡辺さんと担当スタッフで決めるだけではなく、スタッフ同士での話い合いが増えたり、徐々にボトムアップ的な要素も増えて来ている。
トップダウンとボトムアップというのは、組織体制のあり方の両極で、前者は社長がすべてを事前に方針を決断し、従業員はそれに従い行動する組織。後者は社長はそんなに前に出ず、従業員一人一人の判断と個性がまず先にあって、結果的にその判断の束が社の方針を決めるような組織。
後者の方が現代的で聞こえは良いが、効率を考えるとなかなかそうも言ってられない(情報技術の発達に伴うコミュニケーションコストの削減によってボトムアップ型組織も巷で随分前から話題になっているという側面もある)。一人が決断した判断の方が基本的には早くて強いからである。
しかしトップダウン型の欠点もある。ボス(渡辺さん)が一人しかいないということだ。それぞれの判断でスタッフが動いて自走してくれた方が当然渡辺さんの負担も下がるし、組織の成熟に伴い、渡辺さんもボトムアップにシフトしようとしているのだと思う。
僕が入社することになった一つの理由がこのボトムアップ化にあったように思う。なぜなら僕は403architecture [dajiba]でパートナーとひたすら議論して建築をつくってきたから、対等な議論の作法のようなものをなんとなく心得ているように渡辺さんは感じたのだろう。その議論で建築をつくる、という部分を渡辺事務所にも持ち込みたかったのではないかと推察している。
さて話をキャンプに戻そう。
キャンプサイトの候補もいくつかあったのだが、距離やアクセス、現地の設備を考慮し、今年は長野県飯田市のキャンプサイト(いなかの風キャンプ場)に決まった。それこそボトムアップで、スタッフ皆で議論しながら決定した。
行程は二泊三日で、渡辺さんの発案で行きは電車班と車班に分かれて、僕は大学業務があったので初日の夜から参加した。
初日に着くと、既に僕の分まで含めテントが張ってあって(さすがキャンプ集団)、焚き火を囲んで皆静かに話し込んでいたところに合流。
キャンプのメインコンテンツの一つでもある料理は当番制で、特に初日と二日目の夜の料理は事前に担当とメニューを決め、前日までに磐田で周到に買い出しが行われ、万全の体制で当日を迎えていた。僕の担当は二日目の夜で、スタッフの一人である増田くんと組むことに。思えば前年の事務所キャンプでも増田くんと組み、増田くんがその才能を開花させ(笑)、豚骨を血抜きして24時間煮込んでつくられた、今でも所内で語り継がれている醤油とんこつラーメンをつくった経験があったので、二人で話してメニューは醤油ラーメンにしていた。増田くんとは昨年の醤油とんこつラーメン以来、ラーメンの絆が出来上がっていたので、今年も二人で息巻いてメニューを決め、増田くんが今回も周到に準備してくれていたのだった。増田くん有難う。
無事初日を終え、二日目は事前に決めていた山登りである。狙いは中央アルプスと日本アルプスの間にそびえる標高1445mの陣馬形山。山頂に登れば東に日本で二番目に高い北岳を従えた南アルプスを、西に中央アルプスを眺めることができる。観光ガイドをみると往復3時間とあったので、9時に出発し12時に帰ってきて、昼は少しまったりして、夕方から料理(醤油ラーメン)をつくるというスケジューリングである。
陣馬形山の中腹からスタートし、山道を歩く。歩く。歩く。
空気が澄んで気持ちが良く最初の足取りは皆軽い。先頭が寺田さんになったり自分になったりしながら、1時間経ち、2時間経ち、しかし山頂に着く気配が全然ない。中盤ですれ違ったプロ仕様の山登りの人の下り道の足取りの軽さに一同絶望し、10回目くらいの”あれまだですか”を心の中で叫んだくらいでようやく山頂についた。この時、既に12時である。
あれ、これはスケジューリングがダダ崩れでは?と思いながらも、増田くんと熱く時間を共有できる数少ない料理に向けて、何度か「ピントはラーメンに合わせよう」と声掛けを続けていた。
山頂で東に南アルプスを、西に中央アルプスを臨み、さて下山である。
上りより下りの方が楽、という物理学は理解していたものの、下りも十分に大変である。
途中から山登りで起こることすべてが人生の比喩に見えてくる脳内現象が発生し、
「パーティの先頭は常に代わる」
「下り道だと楽だと思い込んでいても下りは下りで別のキツさがある」
「頂上までの距離が分からないときつい」
「往路は2回目だから経験済みなのではなく、往路としては初体験」
「山頂は一瞬」
などつらつらと思いながらとにかく歩みを進めた。
そんなこんなで何度か心折れそうになりながらもようやく全員で最初のスタート地点に戻ることができたのは、15時だった。見積もりの倍かかっている。
皆ヘトヘトになっていたので、キャンプサイトに帰る前に、温泉に行こうという流れにスタッフでなり、一行は温泉に向かった。飯田はソースカツ丼が有名で、道中何度か美味しそうなソースカツ丼屋が目に入り、この後醤油ラーメンづくり…という気持ちが若干頭の隅に浮かんでいたことは誰にも言わなかった。
そして、至極の露天風呂から上がったのが17時。
(スタッフ同士は皆露天に入っていろいろ「あー疲れた〜」とか「この後ラーメンだね〜」とか話していたのだけど、正直言うとこのまま帰ってラーメンつくってたら食べ始めるの21時くらいで、その時にはまた超寒くなっているだろうし結構アレがアレだなと思っていた…)
それで、渡辺さんは風呂場では一人で入っていて先に上がっていた。僕も輪から先に抜けて着替えを済ませ、ロビーで待っている渡辺さんにのところにいき、「いや〜気持ちよかったっすね〜!」と声をかけようとしたら、携帯を見て少しうつむいていた渡辺さんがグッと顔を上げ、比較的真面目な表情で、
「辻くん。この後、皆でソースカツ丼屋に行こう」
と僕に告げた。
僕は、ラーメン…つくらなくていいのか!と思いながらも、「おぉ最高っすね!」と相づちを打ち、遅れてでてきた増田くんに告げると増田くんも「た、助かりましたね」とホッとした表情を見せていた。
トップダウン脱却を図ってきた渡辺さんが、この夜のボトムアップで決めた自主料理をソースカツ丼屋に変更するという重要な判断を風呂上がりに誰にも相談せず、独りトップダウンで下したのである。
一方で、渡辺さんは「新潟時代だったらむしろこの後何が何でもキャンプに拘ってラーメンを作っていた」とも話していたので、その考え方が柔軟になってきているからこそスケジューリングが土壇場で変更されたという側面もあるのが、この判断の滋味深いところ。僕はこの判断を告げられた時、ボトムアップ派の僕は「自分だったら絶対皆に相談しちゃうな」と感じていたので、この出来事は強く印象に残っている。
実際、この時は皆疲労困憊でもう17時だったし、あーだこーだ皆で風呂上がりに議論する余力も時間もなかったし、でも皆準備は周到にしていたこともあったので渡辺さんに「この後ソースカツ丼食べに行きませんか」と提言する選択肢はなかった。結果的に渡辺さんにしかこの判断は出来なかったし、この判断でスタッフ全員が安堵し救われた。トップダウンの力を感じざるを得ない瞬間だった。
途中合流だった僕は買い出しの準備は任せていたので、食材はきっちり把握していなかったのだが、その後帰って食材をみると増田くんが丁寧に千切りにしてジップロックに詰められていた青ネギを発見し、渡辺さんはこの増田くんの青ネギの準備も知った上であの劇的な判断を下したのか!と二度驚いた。
僕はこの青ネギと、具材用の煮卵とチャーシューを無駄にするまいと、翌日の朝食のサラダを和風に仕立てることで増田くんの準備を成仏させたのだった。
いかがだっただろうか。昨今はボトムアップ型の組織づくりやまちづくりが確実にメディアを賑わせていて、トップダウンのワンマン社長というのはいささか時代遅れに感じるかもしれない。確かにボトムアップでスタッフ一人ひとりの個性が組織に反映されることは手放しで喜べるし、渡辺事務所もスタッフの主体性を伸ばすべく鋭意皆が奮闘中だ。
しかし実際には、判断のための時間は有限で、「すべて」を議論してボトムアップで決めていくわけにはいかず、なにより、ボスが独りで下す決断の切れ味は鋭い。だからこそ、トップダウンの判断も(少なくとも渡辺事務所では。いや、個人名を冠したどのアトリエ事務所にとってもボスの判断は生命線だ。)依然としてとりわけ重要なのだ。
このように、何気ない研修旅行の一幕からも、僕は多くを学んでいる。
次回はいよいよ最終回、僕の勤務もあと3ヶ月である。この3年で学んだことを、なるべくそのまま皆さんにお伝えできればと考えている。ご期待ください。
辻琢磨
1986年静岡県生まれ。2008年横浜国立大学建設学科建築学コース卒業。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY¬GSA修了。2011年403architecture [dajiba]設立。2017年辻琢磨建築企画事務所設立。
現在、名古屋造形大学特任講師、東北大学非常勤講師、渡辺隆建築設計事務所非常勤職員。2014年「富塚の天井」にて第30回吉岡賞受賞※。2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館にて審査員特別表彰※。
※403architecture [dajiba]
■連載エッセイ“川の向こう側で建築を学ぶ日々”