篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい外観、北側の交差点より見る。 photo©architecturephoto
篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」 photo©architecturephoto
篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」、鉄筋コンクリートの柱と梁を見上げる。 photo©architecturephoto
篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい2階、北東側の「寝室」 photo©architecturephoto
篠原一男が設計した「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポートします。
篠原が掲げた四つの様式のうち、“第三の様式”の作品のひとつとして知られています。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築です。また、詩人の鈴木志郎康とその家族の住まいでもありました。
※キャプション内の室名は「」で囲んだものは篠原の図面上の表記を参考にしています
篠原一男が設計した「上原曲り道の住宅」が公開されているという情報を得て、関係者に連絡を取り取材での訪問が叶った。
本記事では、当日撮影した写真を中心として、本建築をレポートしていく。
この建築は、篠原の設計で1978年に東京都内で竣工した鉄筋コンクリート造の住宅である。建築の規模は、地下1階・地上3階、延床面積215.06㎡*1。地下1階に書斎と映写室など、1階にリビングダイニングとキッチンなど、2階に子ども部屋と水廻りなど、3階に夫婦の寝室という構成となっている。(※図面上の表記ではなく一般的な室名として記載。また、実際には家族の成長と共に各部屋の使われ方が変わったようだ)
*1、JA『93, KAZUO SHINOHARA』(新建築社)、p.142
また、篠原建築としての位置付けとしては「第三の様式」に属する作品である。ご存知の通り、篠原は自身の作品を第一の様式から第四の様式に分類し、それぞれ異なる主題を定めて設計に取り組んでいた建築家だ。この第三の様式に属する最初の作品には、詩人の谷川俊太郎の別荘「谷川さんの住宅」(1974年)がある。この建築は、土のままの「広間」に木の架構が直立する姿が印象的で、その写真は建築を学ぶなかで、誰もが一度は見たことがあるのではないだろうか。
以下の写真はクリックで拡大します

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい外観、北東側の道路より見る。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい外観、北側の交差点より見る。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい外観、北西側の道路より見る。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい外観、北西側の道路から見上げる。 photo©architecturephoto
その4年後に完成した本建築「上原曲り道の住宅」も、1階の「広間」(リビングダイニング)に、剥き出しの鉄筋コンクリートの柱が存在していることで広くしられた建築である。訪問に際し、この建築を予習しておこうと様々な作品集を見返したのだが、この「広間」と外観以外の写真が掲載されていない。例えば、篠原の代表的な作品集であるTOTO出版刊行の『篠原一男』でも、写真は広間と外観の計4カットしか掲載されていない。
もちろん図面は掲載されているので、そこから空間を読み取ろうとしたのだが、第一の様式や第二の様式と比較しても空間の複雑性が高まっており、想像がしがたい建築であると思った。また、モノクロの写真が採用されており素材感や色彩の使用も想像しがたい。
更には、竣工後に、クライアントのもとには、多くの取材や見学の希望が寄せられたのだが、その殆どを断っていたのだという。その理由には、篠原が鈴木夫妻に「ものが入ると作品ではなくなる」と語っていたこともあったからだと言う。「上原曲り道の住宅」は、著名でありながらも知られざる部分が多数ある篠原建築だと言える。
また先に触れた、篠原の様式については、建築家の坂牛卓が著書『建築家・篠原一男のモダニズム』において丁寧に解説しており、非常に参考になった。本書籍に寄れば、「上原曲り道の住宅」が属する第三の様式で篠原が目指したものは「裸形(らぎょう)」であり、その実現のために「ずれ」を大事にしたのだという。そして坂牛は、この「ずれ」を「主題の統一性が欠如した事物の結合の状態のことである」と説明する。そして「建物のさまざまな要素の意味を剝奪し、相互の関係性さえも意図的につくらないことを狙っていた」としている。
更に、この「ずれ」を実現するのに重要であったものが、「上原曲り道の住宅」でも見られる特徴的な「柱」の操作だと記している。第三の様式に属する建築の約半数で用いられている「柱」を主空間に据える設計手法には3つの特徴があり、(柱が)隅ではなく中央にあること、頬杖や梁の結合・彩色などで視覚的に強調すること、二本たっていること、だと著している。*2
*2、坂牛卓『建築家・篠原一男のモダニズム』(慶応義塾大学出版会)、p185-188, p204-207
以下の写真はクリックで拡大します

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい地下1階、玄関 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい地下1階、地下1階から1階への階段(手摺は後に追加されたとのこと) photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、左:「広間」、右:階段室 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」、鉄筋コンクリートの柱と梁を見上げる。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」、鉄筋コンクリートの柱と梁を見上げる。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」、鉄筋コンクリートの柱と梁を見上げる。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」、鉄筋コンクリートの柱と梁を見上げる。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」から開口部越しに中庭を見る。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、中庭 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、中庭、上部を見上げる。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、キッチン photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」、開口部越しに階段室を見る。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階、「広間」、階段室側を見る。 photo©architecturephoto
また、建築がつくられた背景にも触れたいと思う。この住宅のクライアントは、詩人であり映像作家でもあった鈴木志郎康(1935年-2022年)とその家族である。今回の訪問時に案内をしてくれたのは、その子息である鈴木野々歩。志郎康の次男であり映像作家として活動している。野々歩が生まれたのは、竣工の2年後とのこと。生まれた時から大人になるまでこの家で育った。そんな暮らしの中の思い出と共に、この住宅を案内してくれた。また、志郎康は、詩人の谷川俊太郎や、漫画家のつげ義春など、創作分野の交友関係も広く、この家はそのような人たちが集まるサロン的な役割も果たしていたそうだ。
また、志郎康は映像作家であったということもあり、この建築が完成するまでの現場の様子をフィルムに収録していたのだそう。家の片づけの際に発見されたという、その動画の一部を実際に見せてもらったのだが、基礎の段階から工事の様子がカラーで収められており、この建築の成立ちを知る貴重な資料だと感じた。この映像は、野々歩によって収録された現況の映像と組み合わせられ、作品として発表される構想もあるとのこと。
そして、現在、この家には住人はおらず、家具などもなくがらんどうの状態。この建築の未来について尋ねると、使い方を考えつつ、鈴木志郎康のこれまでの活動を伝えるべく作品の上映会などを行っているとのこと。長く家族が住んだ家から生活道具がなくなり、篠原の言う「作品」に戻った状態と言えるかもしれない。
野々歩の語る「上原曲り道の住宅」の思い出も興味深かった。自身にとってこの住宅はずっと「普通の家」という認識だったのだそうだ。先に書いたように、竣工から2年後に生まれた野々歩にとっては作品ではなく自身の愛着のある住まいであったのだろう。また、鈴木夫妻が篠原と打合せをする際に語った要望なども教えてくれた。「銭湯みたいな部屋が欲しい」「色のついた部屋が欲しい」など。そのような背景を聞きながら、この建築を見て回ることが出来たことも非常に興味深かい経験であった。
以下の写真はクリックで拡大します

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい1階から2階への階段(手摺は後に追加されたとのこと) photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい2階、廊下、1階への階段を見下ろす。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい2階、北東側の「寝室」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい2階、北東側の「寝室」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい2階、北東側の「寝室」、開口部から外部を見る。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい2階、浴室 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい2階、南西側の「寝室」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい2階、南西側の「寝室」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい2階から3階への階段(手摺は後に追加されたとのこと) photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい3階、廊下、2階への階段を見下ろす。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい3階、「寝室」(当初は濃い青で塗装されていたが、後に白く塗り替えられたとのこと) photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい3階、「寝室」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい3階、「寝室」 photo©architecturephoto
最後になるが「上原曲り道の住宅」の空間体験についても綴っておきたいと思う。やはり印象的なのは、1階の「広間」と名付けられた空間である。三層分吹き抜けた(住宅としては)大空間の中に、45cm角の鉄筋コンクリートの柱が2本とそれに付随する梁が力強く存在しており、住まいと考えると異質であると言わざる負えない。しかし、広間の横には天井高の抑えられたスペースが存在したり、中庭に面する窓から外部を感じられたりして、こういう言い方はおかしいのだが、「暮らすための空間」である感覚は確かにあった。
そして、建築のコアとも言える1階の広間以外の空間、特に2階、3階の個室や水廻りの空間が、“敢えて”残余空間に“押し込まれたかのような”構成になっていることも印象的であった。ここで先に書いた、第三の様式で重視された「ずれ」という概念を思い出さざるを得なかった。
体験として語るならば、メインとなる「広間」と「その他の空間」の設計や整理の仕方にギャップをつくることによって、其々の空間の特徴を際立たせる効果が生まれているように思った。広間をよりメイン空間として感じさせて、その他の空間をよりサブ空間として感じさせるような。そのような差異をつくる空間構成は、住宅のスペースを公と私を分ける役割も担い、来客が多かった志郎康のライフスタイルに応えていたのではないかと想像した。
以下の写真はクリックで拡大します

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい地下1階、玄関から「地下室」側を見る。 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい地下1階、「地下室」(本棚は施主があとから追加したもの) photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい地下1階、「地下室」 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい地下1階、映写室 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい地下1階、旧車庫 photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい地下1階、トイレ photo©architecturephoto

篠原一男による「上原曲り道の住宅」(1978年) をレポート。“第三の様式”の作品のひとつとして知られる。篠原が重要視した“ずれ”を強調する、鉄筋コンクリートの柱が広間にそびえる建築。詩人の鈴木志郎康とその家族の住まい地下1階、書庫 photo©architecturephoto
本建築公開の反響は大きく、見学の窓口となっていた不動産会社には連絡が殺到したそうで、初期に連絡した人たちに見学の機会は限られてしまったのだと言う。今後の見学会等の開催に関しては未定とのことだが、関係する皆が保存と継承に積極的な姿勢を持っているようであった。これからの動向に関しても、アーキテクチャーフォトでも随時フォローしていき、サイト上で伝えていきたいと考えている。
(文章:アーキテクチャーフォト編集部)