
SHARE 【ap編集長の建築探索】vol.022 篠原一男「上原曲り道の住宅」

「ap編集長の建築探索」は、23年の歴史ある建築ウェブメディア「アーキテクチャーフォト」の編集長である後藤連平が、訪問した建築を紹介する連載シリーズです。論考のようなかっちりとした形式ではなく、現地で感じた雰囲気や空気感が伝わるような“ライブ感”のある文体で綴ります。読者の皆様も自身が建築を体験するように読んでいただければ幸いです。
篠原一男「上原曲り道の住宅」
篠原一男が1978年に完成させた、東京都内の「上原曲り道の住宅」を訪問した。
雑誌に掲載された見学申込の記載を見つけて、いち早く連絡したことと、アーキテクチャーフォトとしての取材も兼ねてお願いしたこともあり、実際の訪問が叶った。
篠原一男は、建築界において言わずと知れた巨匠であり、世界的にも評価が定まっている建築家だ。しかし、住宅建築を主戦場としていたこともあり、実際に訪問することができる作品の数は多くない。
今回の見学は、この家で育った映像作家の鈴木野々歩さんの許可を得て実現されたものであった。野々歩さんの父は、詩人であり映像作家であった鈴木志郎康さん。そして、この住宅の施主である。志郎康さんと奥さまが亡くなられ、住まい手がいなくなり空となった状態で、その活動を世に知ってもらう意味も込めて、この住宅が公開されるに至ったのだそう。
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今回の見学は、野々歩さんに暮らしの思い出や、志郎康さんが、篠原にどのような要望を出していたのかを聞きながら見て回るというもので、そのような意味でも貴重な機会だった、、、!この経験は、作品としての建築と、住まいとしての建築の両方の視点からこの住宅を見るようなものだったと思う。
それは、どのような建築であっても、作品の側面と住まいの側面があるのだという、当たり前のことを強く感じさせた。
野々歩さんが、この「広間」(篠原の図面にはこの表記がある)で、「天井近くの壁にボールをぶつけて遊んでいたこと」や、「3階の寝室の壁の色を途中で塗り替えたこと」、「トイレで読書する志郎康さんの為に篠原が小さな棚を設計してくれたこと」、「銭湯のような部屋が欲しいと要望を出したこと」などを語ってくれた。
今までは、作品集や雑誌の中でしか見たことがなかった建築の違った側面に触れられた瞬間だった、、、!
そのような、知られざるエピソードにも触れることが出来たのだけれど、そもそもこの「上原曲り道の住宅」の外観と広間以外の空間は、おそらくほぼこれまでに公開されていない。訪問前に様々な書籍で予習をしていたのだけれど、TOTO出版から刊行されている篠原の代表的作品集でも、写真4カットと図面しか掲載されていないのである。そんなこともあり、二階や三階の個室や、一階のキッチンや中庭も、知られざる空間だと言えるだろう。このように、建築自体も知られざる部分を多々秘めている。
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そして、実際にこの建築を訪問して感じたことは色々あるのだけれど、強く感じたのは、設計した篠原一男が、ひとつの住宅を「メディア上の建築」と「実空間としての建築」の二つの視点で設計していたのではないかということ。
実空間が全て、体験が全てと思って作られた建築というわけではないというか。
作品集の中ではこの建築の写真の情報は限りなく絞られていて、数枚の写真と図面から色々と想像するしかない。しかし、図面が本当に謎めいているというか、読み込んでいても見飽きることがなく、眺めているとずっと「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」という思索が続いていってしまう感覚がある。
当たり前の前提として、現代において建築の図面は、建築物という実体を建てる為のツールであるということが主だ。しかし、篠原の図面を見ていると、建てるためのものであると同時に、その構成や幾何学によって、自身の思想や世界観を伝える為の役割も担っているのだと思えてくる。
この住宅より更に前の篠原作品の図面を眺めているとよく分かるのだけれど、「第二の様式」から「第三の様式」に切り替わると、平面構成の特徴が、全く変わることが見て取れ、思想を伝える為に図面を重要視していたことがよく伝わってくる。(篠原は、自身の作品を「第一の様式」から「第四の様式」まで分類して発表していた。其々が異なる主題を持って設計された)
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そのようなメディア上での建築体験を経て、実空間を体験してみると、その観覚に乖離があることにも気づく。(世の中には、乖離があまりない建築もあると思う)
実際に体験する建築は三次元の空間であり、どうしてもシークエンスに意識が向いたり、広間の柱の存在感をどう知覚するかという空間観察の観点でも見学してしまう。そこで得られる感覚は、図面と写真から立ち上がってくる感覚とは異なっているし、更に言えば、先に書いたように体験を最重要視しているわけではないという実感もあった。そして、それによって、逆説的に、メディアの上に立ち上がる建築を如何に重視しているかも伝わってきた。
何か、こうやって長々と書いていると、この住宅が建築家の強力な観念のもとに作り上げられた、思想を具現化したものであるように伝わってしまうような気がするのだけれど(実際にそうではあると思うのだけれど)、実際に訪問した「上原曲り道の住宅」は、なんというか良い意味で、即物的なあっけらかんとした空間の連続であり、また個室もしっかりと用意されていたりしていて、気兼ねなく住むことが出来るだろう家であるという感覚もあった。
そういえばと思い出すと、筆者が大学で建築を学んだ2000年頃に、スイスの建築家が世界を席巻した時代があった。そして、その中にヴァレリオ・オルジアティやクリスチャン・ケレツなど篠原の影響を受けて建築をつくる建築家もいた。
住まうということを大事にする建築をつくるスイスという国で、なぜ篠原一男が受け入れられたのかと考えると、先に書いたような、「建築思想の表現」と、「住まう、暮らす」のバランスが絶妙な感覚で取れていて、その上で高度な思想表現がなされていたからではないだろうかと思った。
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最後に、この建築の象徴でもある、広間の二本の柱についても書いてみたいと思う。
野々歩さんによれば、篠原は鈴木夫妻に対して「(住宅は)ものが入ると作品ではなくなる」語っていたという。
でも、広間に身を置いて、三層の吹抜空間の中で二本の柱がそびえ立っている様子を見て、同寸の梁が空間上部を横断している様子を見て思った。どのような家具がこの空間に入ったとしても、どのような暮らしがこの空間で展開されたとしても、この柱と梁は常に変わらずに存在し続けるものとして設計されたのではないかと。
そして、篠原の発言に反してしまうが、この柱と梁がある限り何があってもこの建築は「作品」であり続けるのではないかと思った。それだけの存在感がこの構造体にはあると思った、、、!
この「上原曲り道の住宅」を体験して、筆者は「メディア上の建築」と「実空間の建築」、「建築思想の表現」と「住まう、暮らす」という思索が働いたのだけれど、見る人それぞれによって異なる建築の問いが思い浮かぶような建築であると思う。そのような意味で間違いなく名作だと言えると思った。
そして、野々歩さんを始め関係者の皆さんも、この建築の保存や継承に対して積極的な姿勢を持っているように感じた、、、!
この度は、貴重な機会をありがとうございました、、、!
(訪問日:2026年5月28日)
後藤連平(ごとう れんぺい)
アーキテクチャーフォト編集長
1979年、静岡県磐田市生まれ。2002年京都工芸繊維大学卒業、2004年同大学大学院修了。組織設計事務所と小規模設計事務所で実務を経験した後に、アーキテクチャーフォト株式会社を設立。23年にわたり建築情報の発信を続けており、現在は、建築と社会の関係を視覚化するウェブメディア「アーキテクチャーフォト」の運営をメインに活動。著書に『建築家のためのウェブ発信講義』(学芸出版社)など。
