SHARE 【特集:“山”と“谷”を楽しむ建築家の人生】岸和郎によるレビュー「ブルネレスキとの再会」
アーキテクチャーフォトではユウブックスから出版されたインタビュー集『“山”と“谷”を楽しむ建築家の人生(amazon)』を特集します。
それにあたり、岸和郎さん(WARO KISHI + K.ASSOCIATES ARCHITECTS)、三井祐介さん(日建設計)、富永大毅さん(TATTA ※旧富永大毅建築都市計画事務所)、橋本健史さん(403architecture [dajiba])にレビューを依頼しました。
異なる世代・立場・経験をもつレビュアーから生まれる言葉によって、本書に対する新たな見え方が明らかになると思います。
その視点を読者の皆様と共有したいと思います。
(アーキテクチャーフォト編集部)
ブルネレスキとの再会
のっけから恐縮だけど、僕は昔から「伝記」というやつが嫌いだった。
特に偉人伝、キュリー夫人とか野口英世の伝記など、全く興味がなかった。
自分が知りたいのはその人がいかに苦労したとか、どんな人だったかではなくて、何をやったのか、その人が成した事実がどれだけ重要なのか、ということだけにしか興味のない人だったから。
だから大学は文化系ではなく理科系、しかも最も非人間的に思えた工学部の電気工学科に入学した。
のちに建築学科に学士入学するのだが、そのきっかけは友人の部屋でル・コルビュジェの作品を見たことだった。その時もル・コルビュジェその人には全く興味がなかった。
建築学科に変わってから大学院は建築史研究室に所属したのだが、そのときの修士論文は土浦亀城の住宅の形態分析、それもコーリン・ロウとピーター・アイゼンマンの方法論で分析したもので、この時も土浦亀城の人間としての背景の記述は意図的に排除するというような、ほとんど人間嫌いを表明するような代物だった。
だから私は本当はこの書籍の書評を受けるべき人間ではないと思う。でも、じゃあ、なぜこの書評を引き受けたのか。その理由を書いてみる。
建築という「モノ」にしか注目せず、それを設計した人物、「ヒト」については興味の外という建築家人生が40年になろうとしている現在、2016年に京都大学を退職し自由になる時間が増えた時、まず決めたのは自分が建築家になろうと決心した原点を再確認しようということだった。
電気から建築学科に変わるきっかけをつくってくれたのはル・コルビュジェだったが、建築家としてやっていこうと決心するきっかけを与えてくれたのは、ブルネレスキの設計、フィレンツェにある孤児養育院だった。
これからどうやって生きて行こうかと考えていた30歳代の初め、建築史研究室でいつも眺めていたルネサンスの建築、まずはそこを訪ねながら考えようと決心して1985年に訪れたフィレンツェ。
そこで自分の眼を開いてくれたのがその孤児養育院だった。
時は過ぎて2016年。フィレンツェを改めて訪ねた。
もちろん大好きなブルネレスキの建築は全部見よう、それに1985年には怖くて避けていたミケランジェロもちゃんと見ようと思っていた。
ブルネレスキはその秩序感のもとになる幾何学、これが現実の建築ではどんな矛盾を引き起こすか、サン・スピリト教会は改めて教えてくれた。
だけど驚きはミケランジェロの方だった。ラウレンティアーナ図書館、1985年に見た時には単に凄いとしか見えなかった空間が今度は違って見えた。
もちろん凄いのだけれど、でも同時にあの階段の上からミケランジェロが「こんにちは。よく来たね。」と言ってくれているように思えたのだ。
ラウレンティアーナでミケランジェロが考えたことを今なら自分でも理解できる、そう思えた。
その時考えたのは、どうもこの世には建築の神様が存在するらしい、40年ほど真面目に建築をやってきたご褒美に、ミケランジェロさんが顔を見せてくれたんじゃないか、というようなことだった。
昔と違って、2016年の今はフィレンツェで過ごす時間が充分にある。
そのうちの1日くらい、建築ばかり見ているのではなくてゆっくりウフィッツィ美術館で過ごそうと考えた。
そのウフィッツィでの1日で気付いたこと。どうも自分はボッティチェリ、それもどちらかといえば象徴的な「ヴィーナスの誕生」ではなく、みんながいろんな方向を向いた「プリマヴェーラ」が好きらしいし、それにフィリッポ・リッピの描く「聖母子と天使」が好きらしいと気付いたのだ。
よく考えてみると自分の好きな作家はブルネレスキ、ボッティチェリ、リッピともみんな初期ルネサンスの作家で、どうも自分は初期ルネサンスが好きらしいと気付かせてくれたのはウフィッツィでの1日だった。なにしろカラバッジョは凄いけれど、自分からは遠すぎる。ミケランジェロもそうだけれど。
日本に帰ってそんな話を友人とした時、その三人ともみんな不幸な人生の終わり方をした人達ですね、趣味が一貫しているなあ、と言われる。
いい加減人生も終わり近くになって、初めて作品ではなくその「作者」について何も知らないこと、いや、知ろうともしなかったことを恥じ入った。
何しろボッティチェリがリッピの弟子だということさえも知らなかったのだから。
長い言い訳を書いてきたけれど、そんなわけでこれまでの人生では興味を持たなかった作者への関心がようやく芽生えてきたのは2016年、これまたブルネレスキ、ボッティチェリ、リッピのお陰らしい。どうも人からは30年ほど遅れを取ってしまったけれど。
でもこの三人のおかげでこの書評を受ける決心をしたのだ。ようやく「作者」の人生への興味が生まれてきたらしい。
それに毎年フィレンツェを訪ねるぞ、という決心をする、思い掛けない結末までおまけで付いてきたが。
岸和郎(きし・わろう)
建築家。1950年横浜市生まれ。1975年京都大学工学部建築学科卒業、1978年同大学院修士課程建築学専攻修了。1993年~2010年京都工芸繊維大学、2010年~2016年京都大学にて教鞭をとる。UCバークレー校、MITで客員教授を歴任。現在、京都造形芸術大学大学院教授、京都大学名誉教授、京都工芸繊維大学名誉教授。
日本橋の家で日本建築家協会新人賞、ケネス・F・ブラウン・アジア太平洋デザイン賞功労賞、日本建築学会賞を受賞。
主な著書に、「Waro Kishi recent works」(2001年、2G nexus Vol.19(Ⅲ) 、Spain)、「建築を旅する」(2003年、共立出版)、「Waro Kishi」(2005年、Electa、Italy)、「逡巡する思考」(2007年、共立出版)、「WARO KISHI 岸和郎の建築」(2016年、TOTO出版)など。
主な作品に、日本橋の家(1992)、紫野和久傳(1995)、かづらせい・寺町(2000)、深谷の家(2001)、子午線ライン船客ターミナル(2003)、ルナディミエーレ表参道ビル(2004)、ライカ銀座店(2006)、GLASHAUS/靱公園(2007) 、東京国際空港ターミナル商業ゾーン(2010)、曹洞宗佛光山喜音寺(2012)、山野井の家(2014)、京都造形芸術大学望天館(2019)など。住宅、商業ビル、寺院など幅広く手がける。
■書籍概要
『“山”と“谷”を楽しむ建築家の人生』
7人の建築家に人生で「人生で苦しかった時」「乗り越えた時」を尋ねたインタビュー集。自分の道を切り開くためのメッセージ。
ときにしたたかに、ときに子どものように純粋に建築と向き合った話は、建築の仕事を楽しむことをはるかに超えて、人生をいかに豊かで意義深いものにできるか、という広がりさえもっている。
その言葉たちは目の前にある不安を大きなワクワク感がうやむやにして、建築を目指す若者たちの背中をあっけらかんと押してくれる。
建築に臨む態度、経営思想も尋ねており、あらゆる世代の設計関係者にもお薦めできます。
【目次】
・始めに 人生を有意義なものとするために 山﨑健太郎
1、永山祐子 (永山祐子建築設計) /「やらなくていいこと探し」から道を切り開く
2、鈴野浩一(トラフ建築設計事務所) / 繋がりを大切に、熱中しながら進む
3、佐久間悠(建築再構企画) / ニーズとキャリアから戦略を立てる
4、谷尻誠(サポーズデザインオフィス) / 不安があるから、常に新しい一手を打つ
5、小堀哲夫(小堀哲夫建築設計事務所) / 探検家的スピリットで建築を探求する
6、五十嵐淳 (五十嵐淳建築設計事務所) / 琴線に触れるもの、違和感と選択
7、森田一弥(森田一弥建築設計事務所 ) / 旅と左官を通し、歴史と文化を血肉化する
・鼎談 いつの日か、マイナスもプラスに書き替わる / 山﨑健太郎・西田司・後藤連平
・“山”に登って振り返ると、“谷”だったと気づいた。/ 西田司
・後書き建築人生を切り開く開拓者たちへ / 後藤連平