SHARE ツバメアーキテクツ+澤田航による、茨城の、住宅兼歯科医院「牛久のおやこ屋根」
all photos©長谷川健太 ※一部©新建築社写真部
ツバメアーキテクツ+澤田航が設計した、茨城の、住宅兼歯科医院「牛久のおやこ屋根」です。
茨城県に建つ住宅兼歯科医院の計画である。職住一体は近代以前の社会では当然のもので、むしろ職を伴わない家を店が仕舞った家として「仕舞屋」と呼んだ。しかし、戦後の住宅供給の中で住居専用地域が整備され、住むためだけの住宅が一般的になった。産業社会の中で職場はオフィスや工場に移り、職が住から切り離されたのと同時に、職が結びつけていた住と地域も切り離された。今、暮らしと地域の関係性の再縫合を考えるならば、かつて他者が入り込む豊かな暮らしを許容していた座敷や土間、縁側や軒下などの建築要素を再評価し、住宅の中に組み込むことがひとつの方策になるだろう。
まず街並みに参加できるように、道に面して建物を配置し、東側に駐車場を寄せた。歩道に対して低い軒をつくるように高さを抑えた寄棟屋根を架け、その背後に周囲の建物と同程度の高さの切妻屋根の建物が雁行して連なる構成とした。軒下には、外の人が立ち寄れる縁側を設えた。縁側に隣接する和室は「こひつじ文庫」と呼ばれ、待合いや歯磨き教室など地域開放のイベント、休日は住宅のリビングに、その時々で使い分けられ、多様な人を迎え入れる座敷のような空間である。暮らしの観点からすると、その時々で職住両方に属すことができ、職と住と地域の結びつきを生み出す空間となる。また、1階に歯科医院、2階に住宅とそれぞれがふたつの屋根に股がるようにし、断面的な繋がりをもてる構成することで、職住が明確に分節されることを避けた。
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以下、建築家によるテキストです。
コモンズとしての住宅
茨城県に建つ住宅兼歯科医院の計画である。職住一体は近代以前の社会では当然のもので、むしろ職を伴わない家を店が仕舞った家として「仕舞屋」と呼んだ。しかし、戦後の住宅供給の中で住居専用地域が整備され、住むためだけの住宅が一般的になった。産業社会の中で職場はオフィスや工場に移り、職が住から切り離されたのと同時に、職が結びつけていた住と地域も切り離された。今、暮らしと地域の関係性の再縫合を考えるならば、かつて他者が入り込む豊かな暮らしを許容していた座敷や土間、縁側や軒下などの建築要素を再評価し、住宅の中に組み込むことがひとつの方策になるだろう。
敷地は、万博中央駅跡地に建つひたち野うしく駅の傍にある。バスの交通結節点であった名残から、駅前には巨大な駐車場と広幅の道路が残されている。現在、宅地開発が進行中だが、車の駐車が優先され、街と建物が分断された街並みが広がっている。ここに地域の拠点となる建物をつくることが、ここで暮らすことを決めた建主からの要望であった。まず街並みに参加できるように、道に面して建物を配置し、東側に駐車場を寄せた。歩道に対して低い軒をつくるように高さを抑えた寄棟屋根を架け、その背後に周囲の建物と同程度の高さの切妻屋根の建物が雁行して連なる構成とした。軒下には、外の人が立ち寄れる縁側を設えた。縁側に隣接する和室は「こひつじ文庫」と呼ばれ、待合いや歯磨き教室など地域開放のイベント、休日は住宅のリビングに、その時々で使い分けられ、多様な人を迎え入れる座敷のような空間である。暮らしの観点からすると、その時々で職住両方に属すことができ、職と住と地域の結びつきを生み出す空間となる。また、1階に歯科医院、2階に住宅とそれぞれがふたつの屋根に股がるようにし、断面的な繋がりをもてる構成することで、職住が明確に分節されることを避けた。
この計画では、職住一体によって、他者が入り込みやすい状況が生まれているが、住宅の共空間を支えてきた建築要素を再評価し現代の建物に組み込むことは、職を伴わない住宅においても有効に働く。建築に関わる人びとや、建築要素のような共有資源を考えることによって、暮らしの条件を編み直す建築を、私たちは「ソーシャル・テクトニクスの建築」と呼んでいる。こうした思考を通して、住宅が他者を受け入れる可能性に開かれていけば、住宅は住むためだけの役割を超え、地域のコモンズとして機能していくだろう。
■建築概要
設計:ツバメアーキテクツ+澤田航
構造:金箱構造設計事務所
施工:郡司建築工業所
PM:青木健
竣工:2016年9月
撮影:長谷川健太