長谷川豪が、AAスクールで2017年6月に行ったレクチャー「空間体験における振幅」の動画
アイレス・マテウスが、ポルトガルの16世紀の教会を、コインブラ大学の施設に改修

アイレス・マテウスが、ポルトガルの16世紀の教会を、コインブラ大学の施設に改修したそうです

アイレス・マテウスが、ポルトガルの16世紀の教会を、コインブラ大学の施設に改修したそうです。江インク先に写真が13枚掲載されています。

RCRが、元エル・ブリのシェフのアルベルト・アドリアの為に設計した、バルセロナのレストランの写真

RCRが、元エル・ブリのシェフのアルベルト・アドリアの為に設計した、バルセロナのレストランの写真が、dezeenに掲載されています

RCR・アーキテクツが、元エル・ブリのシェフのアルベルト・アドリアの為に設計した、バルセロナのレストランの写真が8枚、dezeenに掲載されています。

第3回「これからの建築士賞」の入賞作品と、藤原徹平・山崎亮ら審査員による講評が公開

第3回「これからの建築士賞」の入賞作品と、藤原徹平・山崎亮ら審査員による講評が公開されています(PDF)

第3回「これからの建築士賞」の入賞作品と、藤原徹平・山崎亮ら審査員による講評が公開されています。このアワードは東京建築士会が主催するものです。過去の結果などはこちらのページからどうぞ
アワードのコンセプトは以下。

「建築士」は日本の都市と建築にかかわる重要な職能資格であり、設計監理、施工、行政、教育、まちづくり、発注者など幅広い業務に携わりながら、未来につながる社会の実現のため努力してきました。近年では防災、環境、高齢化と人口減少、歴史文化の喪失など多くの課題の中で、その専門的な知見を生かしながら、魅力的な社会、街並み、建築空間の実現を目指して活動しています。

なかでも最近は他の建築関係の会とも連携し、それぞれの地域をベースにした協働も盛んになってきており、これらの新たな活動が大きな波となって地域社会の未来に力となる事も期待されています。多様な分野における建築士ならではの新しい動きに光を当て、顕彰し、支援するとともに広く世の中に伝えようとするのが「これからの建築士賞」の目的です。

トラフによる、埼玉の、二つのずれて配置された直方体ヴォリュームの上に、切妻のヴォリュームが積み重ねられた「栗橋の住宅」の写真

トラフのウェブサイトに、埼玉の、二つのずれて配置された直方体ヴォリュームの上に、切妻のヴォリュームが積み重ねられた「栗橋の住宅」の写真が掲載されています

トラフのウェブサイトに、埼玉の、二つのずれて配置された直方体ヴォリュームの上に、切妻のヴォリュームが積み重ねられた「栗橋の住宅」の写真が22枚掲載されています。

埼玉の郊外に建つ、夫婦と子ども2人のための、木造2階建ての住宅。東西に細長い敷地の南側には農地が広がり、北側には大きな銀杏や桜の木を挟んで、施主の両親の家が並ぶ。設計開始当初、施主からはアウトドアリュックのイメージ写真が与えられ、機能性と意匠性を併せ持つような家が求められた。

生活のための主室を、地面とは切り離して2階に設けるという要望を手がかりに、リビング、寝室、アトリエという3つの矩形のボリュームに分け、それらを積み上げるような構成とした。
家族全員の主な生活場所となるリビングのボリュームは、寝室棟とアトリエ棟の上に、橋のように架け渡して両者をつなぎ、周囲の樹木や農地の風景を望める見晴らしの良い場所とした。また、文字通り橋のようなトラス構造とすることで、無柱の室内と、無柱のピロティ空間をその下に実現した。3つのボリュームは、ピロティの開放感とその奥の樹木との関係や、外部からのアクセスなどから、敷地に対して角度を振りながら配置し、上下階でもずらす構成にした。ずれによって生じる2階のテラスからは周囲の開けた環境を一望できる。1階のピロティは、駐車スペースや子どもの遊び場となる開かれた場所であると同時に、裏をつくらず、両親の家との間を行き来できる通り道にもなっている。内装においては、デザイナーである施主自らが選んだ壁紙やタイル、石材などで壁面をコラージュしていった。外観においては逆に、家型という形式を際立たせるために真っ白い外装材を選択した。これは、隣の両親の家との家族関係を象徴するものでもある。

この郊外住宅の典型とも言える2階建てのボリュームを解体して、余白を与えながら再構成することで、家の内側から周囲の環境に開いていくような、豊かな生活空間となることを目指した。

宮脇檀が1983年に完成させた埼玉・川口の住宅「中山邸」の見学会が開催 [2017/8/26]

宮脇檀が1983年に完成させた埼玉・川口の住宅「中山邸」の見学会が開催されます

宮脇檀が1983年に完成させた埼玉・川口の住宅「中山邸」の見学会が開催されます。開催日は2017年8月26日。詳細はリンク先でどうぞ。

この度、所有者および元宮脇檀建築研究室の皆様のご厚意により、「中山邸」(宮脇檀設計/1983年)の最後の見学会を行うことになりました。(「中山邸」は今年9月に解体が予定されています。)
建築家・椎名英三氏(元宮脇檀建築研究室所員)をお招きして、邸内でミニレクチャーも開催いたします。
皆様のご参加をお待ちしております。

倉方俊輔やケン・タダシ・オオシマが企画に参加している、森美術館での建築展「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」の概要

倉方俊輔やケン・タダシ・オオシマが企画に参加している、森美術館での建築展「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」の概要が公開されています

倉方俊輔やケン・タダシ・オオシマが企画に参加している、森美術館での建築展「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」の概要が公開されています。会期は2018年4-9月だそう。

日本の伝統建築は、その文化財的価値を認められ、フランク・ロイド・ライト、ブルーノ・タウトなど、20世紀を代表する近代建築家たちに強い影響を与えました。若き日のライトは、1893年のシカゴ万博で初めて日本の伝統的空間に接し、そこに20世紀の近代建築が目指すべき空間性を発見、独自のスタイルを確立したといわれています。日本においては、伝統を再考し、新たな建築の可能性を模索してきた丹下健三、谷口吉生、隈研吾などが国際的にも高い評価を得てきました。これまで数多くの日本人建築家が、建築界のノーベル賞と称されるプリツカー賞を受賞しています。日本の現代建築がこれほどまでに国際的に注目される背景には、古代より現代に受け継がれる日本建築の遺伝子が存在し、創作において潜在的な影響を与えているからとは考えられないでしょうか。
本展は、日本の古建築と近現代の建築を比較分析し、その表現の差異や継承を貴重な資料や模型、体験型インスタレーションの展示を通して顕在化させるこれまでにない建築展です。現代建築がグローバルに均質化するいま、歴史を踏まえ、日本の建築を概観することは、独自性ある都市や建築の未来を考える絶好の機会となるでしょう。

主催:森美術館
企画:南條史生(森美術館館長)、前田尚武(森美術館建築・デザインプログラムマネジャー)、徳山拓一(森美術館アソシエイト・キュレーター)、倉方俊輔(建築史家/大阪市立大学大学院工学研究科准教授)、ケン・タダシ・オオシマ(建築史家/ワシントン大学教授)

田中裕之建築設計事務所による、兵庫・神戸の「六甲の家」


all photos©長谷川健太

田中裕之建築設計事務所による、兵庫・神戸の「六甲の家」です。

クライアントのKさんは旦那さんがグラフィックデザイナー、奥さんも誰もが知っている日用品・雑貨を売るお店で働いており、持ち物について自分たちなりの審美眼を持ち、新居に必要なものについても楽しみながら買い揃えていくという話が設計中にあった。なのでそれらがうまく映えるような自由な空間と、それらが崩れていかない適度な規律がある家にするだけで十分よい家になると思った。

場所は六甲駅からは緩やかに坂を登っていく途上に比較的小規模で、アプローチも中庭があって住戸内にも3面に窓があるようなゆったりとしたマンションで、プランとしては中央に水周り機能を置いて通風の改善をしつつ回遊性を持たせ、外壁の内部に面する壁面の襞と中央ヴォリュームの外周面に襞を作ることにした。
前者はあらかじめ決まっているような機能(キッチンやソファ)や住まい手が自由に機能を追加できるような襞として考えて計画している。
これに対して中央ヴォリュームは空間に規律を持たせるようなものにするべくドア枠や収納枠、収納用のレールを一度、機能外して等価に並べてバラバラにして、空間の中に一定のリズムを作るようにチークの線材として再配置している。

元木大輔 / Daisuke Motogi Architectureによる、東京の住宅リノベーション「中目黒の部屋」


all photos©長谷川健太

元木大輔 / Daisuke Motogi Architectureによる、東京の住宅リノベーション「中目黒の部屋」です。

(この部屋にはポケットがついている。)

部屋が汚いことで有名な安部公房は、吸い殻がいっぱいになると、その辺りの床にザーとタバコの灰を捨てていたらしい。さすがにそこまでではないのだが、僕はあまり片付けが得意ではない。事務所や学校では、もっと考え方を整理しなさい、なんて偉そうにいっているものの、出したものをすぐに片付けられないし整理整頓は正直苦手だ。

かたや、建築雑誌をパラパラとめくると、当たり前なのだけれど、きれいに整理された部屋だけが並んでいる。もちろん部屋は綺麗にしておくに越したことはないし、そうありたいのだけれど、全てがコントロールされて、演出されきっている状態にすこし窮屈な感じがすることもある。片付けられていることが前提で、生活によって溢れ出てきてしまうモノたちはノイズである、とでも言っているような窮屈さ。椅子やテーブルさえもそこにない状態が正で、食べ残したお皿や、たたんでいない洗濯物なんて、もってのほか。逆に言うと、モダニズムは、その質を片付けによって担保されているのかもしれない。

生活や人の動きをコントロールすることは不可能だし、ナンセンスなのだけれど、竣工写真を取ってから始まる、その生活のノイズ(という表現が正しいのかはわからないけれど)を、なんとかしてデザインの問題として扱うことはできないだろうか。生活が始まったあとの状態はデザイナーではなく、住む人によるもので、当然コントロールすることはできないのだけれど、共存くらいはできるかもしれない。そこで考えたのは、初めからノイズがある状態をデザインする、ということだ。あたり前なのだけれど、通常、壁には何もついていない。たまに絵や写真やカレンダーが飾られることはあるけど、ビシっと位置が決められている。そうではなくて、もうちょっと適当さを許容できるような、神経質にならないような質をもった状態を作ることはできないだろうか。

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