村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第3回「かたちと寸法」
「今、なに考えて建築つくってる?」は、建築家の村山徹と杉山幸一郎によるリレー形式のエッセイ連載です。彼ら自身が、切実に向き合っている問題や、実践者だからこその気づきや思考を読者の皆さんと共有したいと思い企画されました。この企画のはじまりや趣旨については第0回「イントロダクション」 にて紹介しています。今まさに建築人生の真っただ中にいる二人の紡ぐ言葉を通して、改めてこの時代に建築に取り組むという事を再考して頂ければ幸いです。
(アーキテクチャーフォト編集部)
第3回 かたちと寸法
text:村山徹
第1回目を書いてからもう半年が過ぎてしまいました。その間にヨーロッパでは戦争が始まり、異常な円安、物価上昇と、なんとも先行きが不安になる世の中になっています。ウッドショックが徐々に解消されて来たと思った矢先に、あらゆる建築部材の値上げが重なってよりコストが厳しいタームに突入。特注で建築をつくることが本当に難しく、ほとんど無理ゲーをやらされている感覚です。
これまでの予算では、そもそも“普通”の住宅(変な表現ですが)も建てることが難しい。
前回書いたコスト感覚を大きく修正しなくてはいけない状況になっている上に、まだ現在のコスト感覚に誰もが追いつけていない状況から、いくつかネジを飛ばした建築が生まれそうな、いや、生み出さないといけない時代に突入しそうな気がしてなりません(笑)。
さて、今回は「かたちと寸法」について書いていきます。
「かたち」と言うと、これもまた昨今の日本ではあまり積極的に話をしない傾向にありました。言葉にすると恣意的で独りよがりに感じられ、少し嫌らしく思われるような空気感があったように思います。ですが、最近では『新建築住宅特集』でもかたちの特集が組まれるように、かたちをつくることに積極的な若い世代も出て来ています。
僕は、建築をつくることは、かたちをつくりフィジカルな世界にモノを創出することであると思っています。同時に、それは決して避けることができないことだとも思います。というのも、実務をはじめてから実際に自分が設計した建築がこの世界に表出した時、良くも悪くもその建築が与える影響の大きさにおののいた経験から、建築家の責任の大きさと受け入れられるカタチをつくることの大切さに気付かされたからです。ということで、ここでは我々ムトカの作品を題材に、どうやってそのかたちに行き着いたのか?を話していきたいと思います。
また、これまでの作品でなぜそのかたちなのか?という問いにうまく応えていなかったということもあります。かたちと言っても色々な意味合いがありますので、ここで言うかたちは、恣意的であるかもしれないがある種の独自性を獲得している(と思われる)かたちとします。
さらに、もう一方で考えたいのは、図面に現れる二次元的なかたちについてです。僕自身、建築には、実際の空間(三次元)、図面上の空間(二次元)があると考えています。実際に建った建築を体験できるに越したことはないのですが、ほとんどの建築は実際に体験することは難しい。だからこそ図面上から想像できる建築も大切だと考えていますし、さらには、二次元的なかたちから三次元的なかたちへの一歩通行ではなく、常にお互いを行き来し続け最後までどちらもアップデートし続けた先にあるかたちを追求しているとも言えます。ということで、この2つのかたちについて考えていきたいと思います。
小さい建築と寸法
さて、杉山さんのサステイナブルと正しさ、興味深く拝読しました。特にコンパクトにつくることは僕も常日頃考えていることだったので、まずはここから繋げていこうと思います。ひとえにコンパクトと言ってもスイスでのそれと日本でのそれは違いますね。日本でコンパクト言えば、増沢洵さんの最小限住居などの「小さい」建築が思い浮かびます。「小さい」建築は、エレメントと身体が近接した関係にあり、また一望して全体性が把握できるという特徴があります。そして僕が「小さい」と聞いて思い出すのは、竹原義ニさんの「101番目の家」と青木淳さんの「c」です。
竹原さんの自邸である「101番目の家」は、実際に体験したことのある住宅のなかでも一二を争うほど好きな住宅です。内と外、木とコンクリート、建築家と大工など、建築を取り巻く要素が一対一で存在し、その拮抗した関係性が150m2の空間を満たしています。地上2階、地下1階建てで建築面積も65m2あるので一見すると一般的な住宅の大きさに感じますが、内部と外部がともに75m2、つまり家族が住む内部空間としては75m2しかありません。
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村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第3回「かたちと寸法」 竹原義二による「101番目の家」のファサード photo©村山徹
村山徹と杉山幸一郎による連載エッセイ ”今、なに考えて建築つくってる?” 第3回「かたちと寸法」 竹原義二による「101番目の家」の各階平面図、断面図 『新建築住宅特集 2002年12月号 』P.130より
トイレも外に野ざらしに便器が置いてあるところもあり、図面上の部屋名「内1〜6、外1〜6」がないとどこが内で外なのかも判別しにくくなっています。家具を置いて空間を仕切るような大きな部屋はなく、すべてが細長く廊下や縁側のような室しかないことも特徴的です。また、天井も低く抑えられ、2階と地下に行く法規上の階段は外階段しかありません。縦動線で内部を通って移動できるのは地下1階と1階をつなぐ幅400mmの梯子のみ。すべてがコンパクトに収められています。
この住宅を体験すると小さいがゆえに内外、素材、明暗などの関係性が目眩く切り替わり、空間の回遊性も相まったどこまでも続いていく空間体験が、実際の床面積以上の広がりと高揚する感覚を与えてくれます。また、ファサードの低く抑えられた縁甲板型枠の打ち放しコンクリートの基壇部に広葉樹の柱壁が立ち並ぶ構成は、ルイス・カーンのフィッシャー邸のプロポーションがレファレンスされており、強く美しいファサードが街並みに溶け込むように佇んでいます。