403architecture [dajiba]の辻琢磨による特別寄稿「広がる空間の先に」を掲載します
広がる空間の先に
text=辻琢磨
建築を学び、実践する私たちが今この時代に社会や世界、都市について考えることは、私たちが生きるための豊かさにつながるという希望が、建築学の中に含まれていると僕は考えています。
生産人口が減り、高齢者人口が増えることは、一見すると後ろ向きに見えるかもしれません。しかし、後ろ向きも前向きも、解釈すれば如何様にも変化し得るので、今僕が言葉にしたいのは、「空間的な事実」です。日本に限っていえば、人口が減ることで起きる「空間的な事実」の最たるものは、国土面積を人口で割った時の一人当たりの空間が増えるということです。どういうことかというと、私たちはこれから広がり続ける空間を(都市密度を持続させるのであれ、間引くのであれ)運営していくことになるという事実です。
例えば僕は出身地でもある静岡県浜松市に活動の拠点を置いていて、事務所と10kmほど離れた、元々家族7人で住んでいた場所に一人で住んでいます。7LDK庭付きの日本家屋に一人で暮らしていると、家の建具をすべて外して大きなワンルームにしたり、広い庭に面した庇の下で地面に脚をつけて洗濯物を干したり、大人数の来客を泊めたり、都心の1LDKの50㎡では絶対にできないような許容力を、空間の広さ、空間的な余裕が可能にしていることに気づきます。
翻って専門家としての自分はこれまで建築を通して、高齢化が進み、人口が縮退していく社会において建築学に求められることを自然と知識として吸収してきました。結論めいたことを言うのであれば、このような建築学に求められている社会のこれからと、上記したような建築に携わる人「自身」の生活のこれからとが、重なり合うベン図※1のように、どこかで一致させることを試みるべきなのではないかと僕は考えています。専門家として自分が社会に向き合うのは当然のことですが、同時に、自分が社会の一部であることを意識した時に、果して自分はどこに住まうべきか、その街はどうあるべきか、どこで仕事をするべきか、どのように親の資産を運用するのか、親の介護はどうするのか、子育てはどこでするのか、といった問いを、建築学に携わる者として考える倫理観が今必要とされています。そしてその倫理観はそのまま、今を生きる他者と関わりを持つ時の共有言語になるのです。何故ならば、私たちは今、人口が減少し、空間が(相対的に)広がるという、文明がもたらした問いを、日本で、建築の立場から共有しているからです。