SHARE GENETOによる、京都・西陣の、集合住宅と宿泊施設の複建築「JURAKU RO」
GENETOが設計した、京都・西陣の、集合住宅と宿泊施設の複建築「JURAKU RO」です。
京都の西陣に建つ、集合住宅と宿泊施設が複合した建築である。建物名にも用いられているとおり敷地は、もと聚楽第の跡地とされているエリアに位置している。
一条通りに南接道で北側は、智恵光院というお寺に面しており、典型的な「うなぎの寝床」と言われる敷地形状である。
戊辰戦争では西の陣地となったことから西陣という地名がつき、一昔前までは織物業を営む町家が立ち並ぶ風景だった。現在では数件の町家は残っているものの、マンションが多く建てられ、そのどれもが景観に寄与せず景観条例を満たすことだけに終始しているファサードとなっている。
積極的に京都の街並みを作ることや通りとの関係を位置づけている建物は見当たらないのが街の現状である。そうした街並みに対して、我々が建てる集合住宅がどの様に関わっていくことが、現代における京都の風景を創っていけるのかを検討した。
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以下、建築家によるテキストです。
京都の西陣に建つ、集合住宅と宿泊施設が複合した建築である。建物名にも用いられているとおり敷地は、もと聚楽第の跡地とされているエリアに位置している。
一条通りに南接道で北側は、智恵光院というお寺に面しており、典型的な「うなぎの寝床」と言われる敷地形状である。
戊辰戦争では西の陣地となったことから西陣という地名がつき、一昔前までは織物業を営む町家が立ち並ぶ風景だった。現在では数件の町家は残っているものの、マンションが多く建てられ、そのどれもが景観に寄与せず景観条例を満たすことだけに終始しているファサードとなっている。
積極的に京都の街並みを作ることや通りとの関係を位置づけている建物は見当たらないのが街の現状である。そうした街並みに対して、我々が建てる集合住宅がどの様に関わっていくことが、現代における京都の風景を創っていけるのかを検討した。
街のオープンスペースとしての建ち方
オーナーと集合住宅のあり方を話す中で、一階には宿泊施設やカフェ、二階以上が賃貸集合住宅というプログラムを決定した。
賃貸の集合住宅がメインの用途ではあるが、一階部分には簡易宿泊所を設け不特定多数の人を受け入れられるようになっているため、エントランス空間の作り方など、集合住宅だけの建物ではない作られ方を必要とした。接道面は、軒のラインを揃える目的の景観条例を満たすべく門を作り、そして、道路から引きを取って建物を配置した。
一階は、接道面から、駐車スペース、ピロティー、カフェスペース、簡易宿泊所というように構成されている。二階から五階が、賃貸の集合住宅である。一階のカフェ部分は、賃貸住宅の住人や宿泊者、地域の人々が利用可能な空間を想定しており、ピロティー部分の半屋外空間や・芝生の駐車場が一体となり、例えば地蔵盆など街の活動を受け入れることができる。
立体的な町家空間
京町家の構成を積極的に取り入れることを考えており、廊下空間を通り土間と見立て、町家そのものを積み上げたような空間構成をしている。
一階は、暖簾をくぐると奥まで見通せる通り土間となっており、土間空間に各部屋が取り付いている。上階も同じように通り土間(廊下)により各住戸が繋がれており、更に各住戸も土間空間を持っている。
土間空間は、町家にとってかなり重要な空間の一つであり、住宅内部を土足の状態で通過し、中庭などの外部空間に繋がる。このスペースが、細長い空間に通風と採光をもたらし、住人のコミュニケーションスペースでもあるなど、様々なプログラムを許容しうる、狭い京都ならでは空間である。その空間体験を各住戸でもできるように、住戸内の土間空間は中庭に面している。
カスタマイズ賃貸住宅
各住戸は、土間空間に隣接する居室と風呂トイレ洗面が一体になった空間の3つの空間が並列された構成となっており、天井は上階のデッキがむき出しとなり、水回り空間との境はブロック塀である。収納も殆ど無い状態のいわゆるワンルーム空間である。この空間の使いこなし方を各住人が自分に合わせられるように検討した。大半の賃貸住宅のプランは、決まりきっており、生活の仕方は決まりきってしまっている。
その状況を変えようとしても、空間に手を加える事は不可能であるが、今回の計画では、オーナーへの申告と了承があれば空間をカスタマイズできる。そのように住まい方を積極的に住人が作り込めるという賃貸住宅は、今後も増えていくべきであると考える。土間空間を含めた住まい方を住人によりクリエイトすることで、これまでにないワンルーム空間のあり方を見出すきっかけを作ろうとした。
街の景観
JURAKUROの外壁は、大半が黒くなっている。黒い存在が街に立ち現れる様は、ある種異常な状況とも捉えられるかもしれないが、聚楽第そのものが黒かったという説に由来している。
戦国時代、秀吉率いる西軍の城郭は黒い外壁となっていた。現存する岡山の烏城がその例でもある。聚楽第の建っていた跡地に建てる建築として、黒の外壁をなすことは、過去のこの土地の持つ記憶に建築自体を寄り添わせることになると考えた。
■建築概要
作品名:JURAKU RO
設計:GENETO
施工:山田工務店
所在地:京都府
設計 建築:GENETO
構造:満田衛資構造計画研究所
施工:山田工務店
敷地面積:253.81m2
建築面積:146.25m2
延床面積:684.94m2
階数:地上5階 塔屋1階
構造:鉄骨造
工期:2016年10月〜2017年4月