SHARE noiz・豊田啓介と日埜直彦による、最近の建築学生に対する実感から始まった”建築を見ることや知ることの重要性”に関する対話
(※2018年8月30日の日埜のツイートを追加しました。)
noiz・豊田啓介と日埜直彦による、最近の建築学生に対する実感から始まった”建築を見ることや知ることの重要性”に関する対話がtwitterで行われていました。公式埋め込み機能でご紹介します。
しかし最近大学でレクチャーしてて思うのは、建築の学生ほんと本読んでも見てもないし、実際の建物も見てないのねという。シャイで応えてないんじゃなくて、ほんとにいわゆる名作椅子とかほとんど知らないよね。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2018年8月28日
これは本当そうだよね。建築がどんなものであり得るか体験したことなくて建築を云々しても群盲象をなんちゃらで、結局抽象的だったり荒唐無稽になったりする。モノと可能性の両側にちゃんと着地してその間を考えるには見なきゃ話が始まらん。 https://t.co/t3Xzl2Xzub
— 日埜直彦 (@naohikohino) 2018年8月28日
あーだこーだ言うときに、それはあそこのあの感じに近い、近いけどここは違う、というような具体度は絶対要る。単に建築見るんじゃなくて懐刀どんだけ持ってるかの勝負。建築の歴史長いんだから、懐刀になるものたくさんある。
— 日埜直彦 (@naohikohino) 2018年8月28日
そうなんですよね。ちょっと自分の経験と価値の世界に閉じすぎててそこに疑問が無さすぎる傾向あるというか。建築って他人の圧倒的なリアルをデザインする仕事だから、他人のリアルに興味がなくて、そこを見る・体験することを積み重ねない事にはどうしようもない面は他業態に比べてどうしても高い。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2018年8月28日
他の人のリアルに引っ張られ過ぎちゃうのも個性や新しい価値を殺してしまう可能性はあるんだけど、さすがに自己完結では価値を持ち得ない業態だから、他人に興味がない他者の視点と解像度が持てないのは実務は難しいよなあとは感じること多いです。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2018年8月28日
まずは、自分が素朴に思ってるのとは全然違う建築がある、という驚きの経験があって、それがきっかけになって見に行くようになるんでしょうけど、その最初のステップの手前で止まってしまうとキツい。
— 日埜直彦 (@naohikohino) 2018年8月28日
そうですよね、その先に今見えてるものより圧倒的に広い可能性が広く深くあるという気づきへの最初のインセンティブ。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2018年8月28日
※2018年8月30日のツイートを追加。
もともと豊田さんは建築物のことだけでなく、書物や椅子などについても言われてたわけだけど、本については学生の問題というよりは、むしろ今建築家ないし設計者がわりと手近な議論をベースとして設計をし、また説明をするから、それを越えるものを知ることを求める圧力?を感じてないのではないかな。
— 日埜直彦 (@naohikohino) 2018年8月30日
つまりこれは不勉強とかそういう話じゃなくて、実際に今傾向的にそういう視野における設計が多いことの単純な反映なんじゃないか。
— 日埜直彦 (@naohikohino) 2018年8月30日
少なくとも僕は、学生の頃はなんだか建築家が随分ややこしいこと言ってるのを読んで、そういうこともわかっておかなきゃならんのか、というプレッシャーをごく自然に感じたものね。いろいろ分かってくると、その議論の必然性に微妙なものを感じたこともあるけど。でも、そういうのたぶん今ないでしょ。
— 日埜直彦 (@naohikohino) 2018年8月30日
そう考えてみると、要するに現状は過去のある状況の反作用であるようにも思えるし、また同時に、別の方向に向いたある種の積極的な方向転換の結果であるようにも思える。ポストクリティックな状況については今出てるGA JAPANでの話でもすこし触れたけど、それは欠如というわけでもない。
— 日埜直彦 (@naohikohino) 2018年8月30日
でも、その手近なことを「解像度」高く見ること、に向かうアプローチってのは、体系的なものになりづらいから、分かるひとは分かるし、分かんないひとはほんとに分かんないんだよね。そこに繊細なものを読んで分かるひとがさらに触発される部分はあるけど。さぁどこまで伝わるものなのか。
— 日埜直彦 (@naohikohino) 2018年8月30日
そしてまた、他方で、そのややこしい話が建築の本当のどうしようもないややこしさに、ちゃんと結びつかなかったこともやはり問題だったんだろう。それを一刀両断に切断したのがレムだったわけだけど、でも彼が汲みとり損ねたものもあったと思う。
— 日埜直彦 (@naohikohino) 2018年8月30日