
メンドリジオでの学びとSchenk Hattoriでの近作
2008年に大学を卒業した後、イタリア国境にほど近いスイスのメンドリジオという田舎街に留学しました。
当初は3年程で帰るつもりでいましたが、気がつくとちょうど10年ヨーロッパで生活をしていました。その間にベルギーで事務所を始めたこともあり、日本に帰国してからも頻繁にあちらに行く生活が続いていたのですが、去年はコロナ禍の影響で再三渡航が中止となり、本当に久しぶりに1年中日本国内に居る年となりました。
こんな状況で当時のことを回想すると、割と最近のことだったはずなのに、なんだか随分昔の出来事だったような気がしてきます。そういうわけで、今回のエッセイでは、薄れゆく記憶が完全に消える前に僕が通っていたメンドリジオ建築アカデミーについて、そしてコロナ禍で進めていたプロジェクトについて書きたいと思います。
アトリエ・サージソン
僕がメンドリジオに留学を決めた理由はごくシンプルで、様々な国の第一線で活躍している建築家が何人もこの学校で教鞭を執っていたからです。「ここしかない」と思いポートフォリオを送り、周囲の助力もあり無事入学が認められました。メンドリジオはイタリア語圏に位置するので、授業は当然イタリア語で行われます。ちんぷんかんぷんな講義はほどほどに、文字通り四六時中アトリエ(※日本でいう設計製図課題)での作業に没頭する毎日を送りました。
そこまで集中出来たのは、メンドリジオが何の娯楽もない田舎街だったことや、家族のサポートを受けて留学させて貰っている気負いなどもあったとは思いますが、何よりも、本当に設計課題が面白かったからだと回想します。アトリエは選択制で、各アトリエ課題はそれぞれ建築家である教授の個性を思い切り反映した内容になっており、アトリエが変われば考え方も、アウトプットの形式も、評価の基準もまるで変わります。なので、毎学期新鮮な気持ちで取り組むことが出来るのです。
教授の個性は様々ですが、ヴァレリオ・オルジャッティの言う「アイデア」や、クイントス・ミラーの言う「参照」「メモリー」などについては、既に様々なメディアでも言及されている話なので、ここではサージソン・ベイツを共同主宰するジョナタン・サージソンについて少し説明します。
ロンドンとチューリッヒを拠点に活動している設計事務所サージソン・ベイツは、作品集も多く出版され、最近ではヨーロッパを中心に数々の巨大コンペで勝利しています。しかしその割には日本で取り上げられる頻度は少なく知名度も今ひとつのように感じます。思うにその理由は、彼らの作品が一見すると「地味」だから。