SHARE 辻琢磨による連載エッセイ “‘自邸’を動かす” 第1回「少しずつ建てる、広々と住まう、ゆっくり考える」
アーキテクチャーフォト編集長の後藤連平さんから断続的にやっている自邸の改修が面白そうなので連載を書いてみませんか、と言われたのは渡辺事務所修行記(川の向こう側で建築を学ぶ日々)の連載が終盤に差し掛かったころだった。
小さな、部分的な改変が面白いので、部分に着目して一回ずつを構成していくのはどうか、という編集長の意図がまずあった。前回も感じたが、連載を数年に渡って書かせてもらうというのはとても得難い経験で、その時その時自分が考えていることをそのまま書くと、振り返って見た時に、こういう反応があったとか、自分の思考もこうだったんだとか、切り口やテーマが連続するからこそ見えてくる時間軸上の差異が分かりやすい。
今回、テーマは自邸の改修である。
前回のように他者の活動をレポートする、というよりもっと直接に自分の当事者性が現れるだろう。自らがクライアントであるというプライベートな条件だからこそ、この連載を通して、私性を超えてその社会的意義や建築の可能性を見出だせるような学びを自分にも期待している。
その学びに、時間と興味のある方は今回も数年間、お付き合いいただければと思います。
少しずつ建てる、広々と住まう、ゆっくり考える
住み始めて5年
この家に住み始めて5年が経つ。
浜松市北部の郊外住宅地に建つ我が家は、もともと私の祖父が建てた築45年の木造二階建てである。私も小学校卒業までは両親、姉と妹とともにこの家に住んでいた。
その後、中学校に上がると同時に両親がローンを組んで車で15分の場所に建てた新居に引越した。そこから、この家には15年間ほど祖父母が二人で住んでいた。2015年ごろから祖父母ともに体調を崩し施設に入居してからは、いわゆる空き家となっていて、それが孫として心苦しく、様々な要件が重なり2017年から私が住み継ぐことになった。
現在は妻と息子の三人で暮らしている。
本サイトでの渡辺事務所での修行記の最終回でも少し触れたが、この住宅の元設計は(私が2022年3月まで非常勤職員として籍を置かせてもらった渡辺隆氏が独立前に勤めていた)竹下一級建築設計事務所に依る。青焼きの図面には端正な矩計図もある。父親に聞くと天竜川の上流の、元々祖父の実家がある山から資材を運んで親戚も集まって建てたのだという。
農協に勤めた祖父は、畑も釣りも旅行もゲートボールもラジオ体操も工作もやる文字通りの百姓。簡単な大工仕事はお手のものだったようだ。祖父は2022年5月に他界してしまったが、彼の痕跡は家の至るところに今も見つけることができる。
周辺は半世紀前に農地が宅地開発された住宅地で、現在は約20世帯の単位で自治会の班が構成されている。私自身も一昨年に班長を勤め、祖父からのバトンを自治会でも受け継いだ。
土地は約90坪で、その北側半分が建屋、南側半分が庭になっていて、私が再び住み始めるまでにカーポートや物干し用の屋根、ベランダ、倉庫、バルコニー、祖母用の個室等、数回に渡って比較的小規模で簡易な増築がなされていた。これらの工事履歴については、建築畑の視点で見ると色々と気になる部分もあるので、部分的な改修の中で適切な変更を積み上げるべく複合的に検討を進めている。
私が再び住み始めた時点で8DKの部屋があり、家族3人で住むには広すぎたし、後々増築された箇所はほとんどが家の下屋にあたる外周や庭に施され、軽量鉄骨やポリカーボネートの耐久性の低いものが多かった。家の本来の姿かたちや設計意図を呼び戻すべく、まずはそれらをとにかく減築しあるいは、大量の祖父母の持ち物も然るべきタイミングで取捨選択の機会を設け、明らかに不要なモノは数回に分けて処分した。このようにして、家の印象を元設計の意図に戻すことが、私が住み始めてからの一つの大きなミッションであった。
祖父母が蓄積してきた生活の「減量」とともに、私達家族が住み始めてからの「現代化」の影響も徐々に派生して、玄関戸の框を入れ替えたり、祖母の部屋を減築して洗濯物干しスペースにしたり、洋間の天井と床を抜いたり、水回りを移設したり、少しずつ空間に手を入れながら現在に至っている。今後は、事務所として使用している二階へ外から直接出入りできる外階段の増築や、まだ本格的に手を入れていない台所や倉庫まわりに手を入れていく予定だ。
これまでは全体を俯瞰するような計画を敷かず、断続的で連鎖的、部分的な改修を積み上げてきたが、手を入れ続けることでこの家全体に関わる計画的、構造的、環境的な骨格もようやく見えてきており、それに基づいて耐震補強や環境性能の向上策も講じていくつもりだ。ただ、この連載ではあくまでも部分に着目して話を進めていきたいと考えている。
さて、私がこの家に少しずつ空間に手を入れているのには大きく4つの理由がある。以下順に紹介していくがその前に大事な前提を書いておく。以下の理由はどれも、今の社会のいわゆるマジョリティの価値観とは別の選択肢としての側面があると考えているが、そのマジョリティの価値観自体を否定するつもりはない。自分もその恩恵を受けて生きてきたからである。
ただ、そのマジョリティの価値観を長期的に評価した時に、少なくともその価値観が作られた戦後高度経済成長期と、人口が減り始めた現在の状況は明らかに違い、私達の価値観をシフトさせていく、新たな選択肢を提示していく必要もあるのではないか、という使命感も筆を走らせるモチベーションになっていることも事実だ。
理由1、住宅ローンに依存しない家づくりも試してみたい
先述したが私の両親は住宅ローンを組んで新築を建てた。マイホームである。建築学を勉強していると、すでに現実となり始めている人口減少社会において、高度経済成長期の住宅産業を推し進めた住宅ローンや新築至上主義がほとんど崩れて久しい感触がごく自然とインストールされるが、地方都市の郊外では依然としてガンガン宅地開発が進む状況が少なからずある。
空き家も増えているが、宅地開発も増えているという矛盾が確実に目の前に広がっている。我が家の所属する隣保では独居の高齢者の家や空き家も出てきているが、同時にすぐ近所の工場の跡地に一瞬で宅地が出来上がったし、実際どんどん売れている。自分自身も住宅ローンで建った新築の一軒家で育ったこともあるので、まずこの住宅ローンをめぐる現状について簡単にではあるが調べてみた。
そもそも、住宅ローンは国の住宅政策と深く結びついており、公的な貸付制度としては1950年の住宅金融公庫設立に端を発する。住宅を国民がたくさん買うという住宅政策を、国が戦後復興のための経済政策の柱の一つに据えたということだ。
日本では経済政策としての住宅政策が、
・持ち家政策(戦後の地代家賃統制令)*1
・住宅ローン控除による税制優遇
・住宅金融公庫(1950年に住宅金融公庫が設立、2003年に住宅金融公庫は独立行政法人化し、住宅金融支援機構[証券化による住宅ローン“フラット35”の受け皿]となった。)
・家父長制の衰退と雇用の流動化に伴う核家族化
・スクラップアンドビルドによる建て替え促進
といった政策と価値観の変化*2を下支えにして、戦後まもなく見事にオーバードライブした。
住宅の平均寿命である25年*3をこの経済の歯車の一回転とすると、住宅不足の戦後から動かした一回転目の歯車によって、早くも1968年に全国の住宅数が世帯総数を上回り*4、そこから現在までの50年でさらに二回転していることになる。容易には止められない経済の歯車の中で価値観の多様化も手伝い、工務店やハウスメーカーだけでなくアトリエ系の建築設計事務所が住宅をこれだけ手掛ける状況も日本に生まれた。
さらに言えば、2000年以降のストック活用の流れの中で、新築だけでなく中古住宅ローンやリフォームローンも増加している*5という現状が、ひとまずある。
さて、このような住宅政策を支え続ける住宅ローンが根強く信用されている背景には具体的にはどのようなメリットがあるのか、以下箇条書きで挙げてみる。
・借り主は住宅ローン控除が受けられる
・借り主は今手元に現金がなくても高い買い物ができ、家や土地を所有することができる
・ローン債権が証券化され投資に回ることで経済が刺激される
あたりが考えられ、実際現実的に考えた時にそれぞれの利点に合点はいく。
「夢のマイホーム」という響きはもはや懐かしさすら感じられるが、しかし未だ私達の価値観に根付いているようだ*6。重ね重ねではあるが、今後もこの仕組みでたくさんの建築が建てられていくのだろうし、今を支えるこうした価値観で建てられている建築自体を否定するつもりは毛頭ない。むしろ金利の仕組みを実感するために自分自身も今後の工事で借り入れを検討する可能性もここでは否定しない。
理由2、成熟社会が生んだ余剰に向き合いたい
私の両親は共働きで二人共給料を会社からもらっている賃労働者である。ローン自体は最近完済したようだが、ユニットバスやトイレ、キッチンなどの設備は築20年で更新のタイミングを迎えた。私は三人兄弟なので、両親の新居はそれぞれの個室と和室、LDKで構成される5LDKで、新築当時は自分だけの空間を持てたことがとても嬉しかった記憶を思い出せる。一方で今は妹と両親の三人暮らしとなり、私と姉の部屋だった場所は物置き部屋になっている。
このように部屋が余るのは、家の理想像からすると不自然に映るかもしれないが、家を買う現実の仕組みからすると自然な成り行きとして理解できる。家を買う時はその時点での家族全員分の個室を設えるが、実際には子世帯は成長、独立し彼らの家を買い、もともとの子供部屋が使われなくなり、その部屋をどうにかしない限り余りは増え続けるからである。もう少し踏み込むと、時間が経てば家における生活や要望、居住者は変わっていくが、家を買う「時」は「一瞬」であるという判断の時間のズレに原因があるということかもしれない。
もし仮に私が今の祖父の家を継がずに賃貸物件にでも住み続けていたら、私の親しい家族が関係する住居の中で、私の両親の家の2部屋、祖父の家の10部屋、母方の祖母の家の6部屋の、合計3物件に跨る18部屋もの部屋が居室として使われることなく物置き部屋として余り続けていたことになる。そして、このような状況は私の家族固有の問題ではなく、これを読むほとんどの人が深く頷ける状況ではないだろうか。
高度経済成長時代が終わり、21世紀は成熟社会を迎え、フードロスやゴミ問題、空き家問題に代表されるように様々なものが余り始めている。余っている空間はうまく使っていけば豊かさに転化できるはずなのでそれ自体が存在することを批判するつもりは無いのだが、居室として作っておきながらその後を何も想定することなく、なし崩し的に倉庫になってしまうような部屋が大量に存在する、という社会は果たして本当にうまく回っているのだろうか。
確かに先述の通り、住宅ローンの仕組みも手伝って住宅産業はうまく軌道に乗り、それに紐付いて家電や保険、車などあらゆる商品が売れ、結果的に経済が上向きになったことで私達もその経済的な豊かさの恩恵を受けてきたという自覚は私にもある。ただ、自分としてはもう少し積極的にこの余剰や余剰が生まれる社会の仕組みと向き合いたいのだ。
しかし当時の両親にローンを組んで新築を建てる他にマイホームの選択肢があったかと言えば少なくとも彼らの中には存在していなかったのだろう。まだ祖父母も健在だったし。一方でもし彼らの家を買うタイミングが20年ズレていたら、両親がこの祖父の家に住んでいたのかもしれない。その時、彼らはローンを組まずにただ相続すれば良いわけだ。しかし多分、住むとなったら数千万円をかけてリノベーションしていたようにも想像できるので、問題は持ち家を継ぐか新たに新築するかどうかというよりも、一度に数千万円を使うという家の買い方のような気もしてくる。
もちろん、私自身もこれまでそのような形でお施主さんに工事資金を工面していただいたプロジェクトに向き合って設計してきたし、そういった予算立てでしかできない工事や設計の存在意義も実感している。いずれにしても、施主も設計者も施工者もそうした将来の時間まで引き受けた上で住宅設計を考えるべきだということは今後も増えるであろう余剰と向き合う上で必要な倫理観だろう。
理由1と理由2は私の中では強く関係しているので、言いたいことをまとめて書いてみる。数十年のローンを組んで土地を買い、数千万円レベルの工事を一回きりの要望とタイミングで行うという選択肢だけではなくて、実家を継いだり、不動産価格の安い地方都市に移住してイニシャルコストを抑えながら、数十万とか数百万レベルの工事を数十年かけて断続的に行うことで、その都度その都度の生活や要望に即した空間を実現し続けるという選択肢も社会全体で今以上に考えていくべきではないか。そうすれば居室だと思って計画した子供部屋がなし崩し的に倉庫として遊んでしまうような事態は起こり得ないのではないかというのが私の意見であり、少しずつ家に手を入れている理由の一つである。
しかしながら、今の建設産業や住宅産業をめぐる社会制度や業界システムは、数千万円を一度に動かすことを前提とする価値観で今もぐるぐる回っている。例えば、数十万円の小さな工事を請け負う施工者や設計者は、仮に10%の諸経費や設計料が粗利だとして、数万円しか懐に入らないということになってしまう。これではさすがに経済が成り立っていかない。私の家の断続的な改修も自邸だからできていることかもしれないが、そうした断続的な改修をクライアントワークとして今後は整備していきたいと個人的には考えている。
理由3、動きそのものを建築として捉えたい
かねて私は、動きそのものを建築として捉えたいと考え仕事をしてきた。一つの場所に素材を集めて固定させることを建築と捉えるのではなく、ある場所からある場所へ動くことや、空間の変化、動きそのものを建築と呼ぶことで生まれる発想や創造性があるのではないか、というモチベーションである。
本当にざっくり言えば、近代以降の建築は、新築の(工業化に依る)、竣工時点での(写真映えに依る)、希少性(商品化に依る)がその価値とされてきた。しかし施主にとっては竣工後が家の始まりであり、その竣工後の価値を掬いきれていない状況が従来の建築界には少なからずあると私は認識している。一方で成熟社会の要請も相まって、昨今は新築と同等に改修が、竣工と同等にプロセスや運営管理が建築界にとって重要なイシューとなってきた。こうした流れの中で、この連載では、新築・竣工時点での建築の価値は保留して、断続的な変化それ自体を建築の価値に押し上げることを試みてみたい。
建築を構成する一つの要素が、今までそこにあった場所から、次にどの場所へ向かうのか、あるいはどの場所からやって来たのか、あるいはどの程度動き得るのか。動く対象は建築部材や家財道具だけでなく、プログラム(用途)や間取り、人の記憶、光、空気、熱、人間、動物(例えばペット)、虫(例えば害虫)といった様々な要素が含まれる。
それらの「動き」を設計するためには、時間概念を本格的に建築に取り込む必要がある。いや、時間そのものを建築と呼んでみるくらいの思考の展開が必要であるように感じている。
この時、これまで建築の評価軸を担ってきた空間のスケールについても一旦脇に置いておきたい。空間として建築を理解するか、時間として建築を理解するかで、建築の捉え方がこれまでとは全く別のものに感じられるからである。例えば、物理的に大きなスタジアムというときの空間と、そのスタジアムを構成する資材がどこからやってきてどこに向かうのかというときの移動の時間は全く別の尺度であり、時間を相手に設計を考えるということは後者に依り、抽象化する時の切り取り方も空間と時間とでは全く異なる。空間を切り取るなら例えば図面が効果を発揮する。縮尺が1/100か1/50かで読み取れる要素は変わるが、時間については例えば工事中の1秒を切り取るのであれば資材は動いていないように見えるし、1年を切り取るのであればゆっくりと移動しているように見えるだろう。
さて、空間に対する良し悪しの判断があるように、建築に流れる時間の判断にも良し悪しがあるはずである。
その私個人の評価基準(自邸の改修を進める際の判断基準)についても荒削りなのは承知で記しておきたい。
端的に言えば、自邸では、劇的な変化よりもなめらかな変化を評価している。変化それ自体を建築として捉える時、急激な変化や対立は、先述した新築・竣工時点・希少性をその主な価値としてきた「建築」にとっては比較的好ましいものだが、クライアントにとってそのような大きな変化は過去と切り離されることも多く、慣れと記憶でつくられる「生活」概念との相性は芳しくない。*7少し踏み込んで言えば、西欧由来の建築家の職能の考え方は施主と設計者を明確に分離するため、この価値観で考える限り、生活(施主)と作品性(設計者)は潜在的に対立を抱えていると私は考えている(施主が自分自身である今回はその対立を回避しつつ時間を相手にする実験的な側面がある)。
重要なので違う表現でもまとめてみる。そもそも劇的な変化には、現状に満足していないという動機が含まれているが、私としては、建築や生活に関わるのであればなるべく現在を肯定してほしい。しかしながら生活に理想と現実のギャップはつきもので、人も自然も常に変化しており、その変化には対応したいし、むしろ来るべき変化の契機にもつなげたい。だからなめらかに空間を変化させたいということである。
以上のような理由から、例えば植物の成長や昆虫の羽化を早回しで見た時のようにゆっくり連続して流れる時間のような「なめらかな変化」を良しとして設計している。
理由4、広々と住まいながら丁寧に場所を考えたい
改めて、私達家族は、住みながらこの家の改修を続けている。
これを可能にする条件が一つある。
「広い」ということだ。
例えばどこかの部屋が工事中でもその他に部屋がたくさんあるので生活は成り立つし、庭が広いし巨大ホームセンターも車で10分の位置にあるので資材も簡単に手に入り、且つ畳一枚の大きさ程度の合板くらいであれば自家用車で直接運び込むことも容易だ。資材や工具を広げる場所や資材をストックしておけるスペースも簡単に用意することができる。理由2でも触れたが、少なくとも私にとっては、こうした地方都市ならではの広さ(空間の余裕)をふんだんに使うことで初めて住みながらつくったりこわしたり、ということができるようになった。
住みながらゆっくり設計する時の感触は独特だ。さぁ設計するぞ!と限られた時間で場所を判断するのではない。生活しながら絶えず時間が流れていく中でなんとなく違和感を覚えることや気づくことができる設計者や祖父の意図がある。図面やスケッチを描いて考える、というよりただただ生活していく中でなんとなく脳内に蓄積されていく違和感や勘のようなものが、しきい値を超えると勝手にイメージになって現れるというような感覚である。
さりげないモノの配置や、日々の動線、窓から見える景色や隣人との関係性、子供の年齢や鍵や照明の破損、庭の植物の成長、言葉にするとさして重要ではないように聞こえるかもしれない生活の欠片は、何十日何百日何千日と積み重なることで信じるに足る建築のコンテンクストに昇華されるのである。
例えば、我が家の南半分は庭でその南西の一角は立派な築山が鎮座しているのだが、住み始める前はその正面に洗濯物を干すための簡易な軽量鉄骨の屋根がかけられ、築山の正面で洗濯物を干せるようになっていた。当初は庭を見ながら洗濯を干せるなんてじいちゃんもなかなか粋な設計だななんて思っていたのだが、そもそもは庭の正面には縁側(入り側)が、その奥には家で最も格式の高い客間が配置されており、当然設計者は庭の位置を考慮した上でこの客間から庭がよく見えるように設計したということが暮らしながら徐々にわかってきた。
そうした気づきもあり、ひとまずこの下屋を解体しようということで解体してみると、庭が客間からよく見えるようになっただけでなく、立派な丸太の桁が軒垂木を支えていてこの丸太が屋外にも露出し家の顔となっていることが明らかになった。実家を建築の対象として捉えるということ住む前はしてこなかったこともあり、この丸太桁の存在はこの下屋の解体のタイミングで初めて知った。
ちなみにこの解体によって失われた洗濯物干し場は建屋の西側に新たに作られるのだが、そこでも地面に立って庭を見ながら洗濯物を干す、という祖父の意図は実現させている。
テキストに書くと一瞬で思考が展開したかのように思えるかもしれないが、実際この洗濯物干場を解体しようと思いつくまでに1年半ほど生活しているし、丸太桁や客間の格式も解体して少し経ってから気づいたことである。
思考の展開を圧縮するのではなく、柔らかく伸ばしてゆっくり設計する。その中で自分が向き合うコンテクストには、今の生活に対する自分たちの要望だけではなく、亡き祖父や設計者、あるいは将来ここに住むかもしれない人間の意図や、周辺環境の成り立ちも含まれている。
動きとしての建築の追体験を目指す
結果的に本格的に手を入れ始めてからのおよそ4年間で、取手や棚板程度の極小のスケール(数千円)から、一室のリノベーションのスケール(数百万円)までの場所の改変が断続的に積み重なって、今も改修が続けられている。
この連載では、そのような本当に些細な空間の改変から私が気づいたことや学んだこと、意識していたことを丁寧に言葉にし、この改修に流れる「時間」を読者に追体験できるようなレベルにまで落とし込みたいと考えている。
空間のスケールとしては非常に小さな改変であり、且つ自邸という特殊でプライベートな事例であるし、仮にこれを追体験できたとして広く多くの方が読むに値するテキストになるのだろうかという不安は大いにある。
しかし同時に建築という概念を解きほぐすきっかけになるのではないかという期待も不安と同じくらいある。
従来の建築概念ではその感触を掴みきれない部分があると感じているので、追体験という形まで読者の情報処理を落とし込むことができれば「動きとしての建築」、あるいは「時間としての建築」の共有可能性を押し広げることができるのではないか、という期待だ。
というわけで、次回から具体例を紹介していきたい。どの部分から書き始めようかと思案中だ。
*1このあたりは平山洋介氏の『住宅政策のどこが問題か』(2009年、光文社)に一通りまとめられているので下記にその代表的な指摘を示す。13年前の本であるが興味のある方はご一読されたい。
〈政策につくられた価値観〉
“住宅システムは人びとをメインストリームに誘導し、社会の「流れ」を起こそうとした。 メインストリームの内/外は住宅・家族・仕事のタイプに関係し、住まいの条件に関わる制度上の「有利不利」を意味する。後述のように、家族のあり方に関連して家族/単身者、有配偶/無配偶、仕事の領域では大企業/中小企業、高賃金/低賃金、正規雇用/非正規雇用、男性/女性、住宅の所有形態については持家/借家という一連の「有利不利」がある。住宅・家族・仕事のパターンに応じて制度的に異なる対応を準備し、標準パターンを優遇する点が保守主義のシステムの特質である。”p23
〈経済政策としての住宅政策〉
“自民党政権下の官僚は経済開発を重視する運営を展開し、その枠組みのなかで中間層の家取得を推進した。ここで意図されたのは、経済成長が中間層を増やし、中間層が持家に誘導され、持家建設が経済成長をさらにする。というパターンの形成であった。”p33
〈住宅ローンの肥大化〉
“持家建設が進捗するにしたがい、住宅融資の市場拡大が経済成長に組み込まれる。個人向け住宅ローンの貸出残高額は一九七〇年代に増え始め、八〇年度から二〇〇一年度にかけ四五兆円から一八四兆円に増大し、その対名目GDP比は一八%から三七%に上昇した(図1−3)。住宅金融公庫の融資供給は、住宅ローン市場を拡張する原動力であった。”p36
〈スクラップアンドビルド〉
“住宅建設だけではなく、住宅滅失が増え、住まいを建て、壊し、ふたたび建て、という 「スクラップ・アンド・ビルド」のサイクルが経済成長を支えた。”p36
*2 上記『住宅政策のどこが問題か』によれば、“国は戦前まで都市部で主流を占めた賃貸住宅を戦時と終戦直後の社会不安を鎮める必要に迫られ” p21、地代家賃統制によって借家が大幅に減少し、持ち家がそれに取って代わったという側面がある。
*3 一般的には25年から30年といわれている我が国の建物の平均寿命だが、例えば小松幸夫氏は、固定資産台帳から試算した場合の近年の木造専用住宅の平均寿命は30年から50年いう考えを示しており(この参照は別件で議論していた谷繁玲央氏からの孫引きである)、我が国の建物の平均寿命の解釈には振れ幅があるといえよう。
*4『人口減少時代の住宅政策』(2015年、鹿島出版会、p17)
*5『住宅金融支援機構 フラット35 利用者調査 2021年版』によれば、中古住宅ローンの割合は2011年から2021年の10年間で12.1%から24.7%に倍増している
*6 私自身は住宅ローンという金融商品とは縁遠い人生を歩んできたので、これを機に少し現実的な予算感を把握してみようとシュミレーションをしてみた。フラット35のウェブサイト(下記URLより)でどなたでも試算可能だ。仮にフラット35を適用し、35年、金利1.52%(「住宅金融支援機構 フラット35 利用者調査 2021年版」より)、ボーナス返済10%、元利均等返済(支払額を一定に再計算する方法)、4000万円の借り入れをした時の総返済額は、5162万円である。要するに総返済額と借り入れ金額の差額1162万円が金利と証券化による利益で銀行や投資家に分配される、ということだ。その対価として私達は未来の時間を先行して買っているとも言えよう。
●ローン試算参考URL
支払い試算:https://www.flat35.com/simulation/simu_01.html#kekka
金利:https://www.simulation.jhf.go.jp/flat35/kinri/index.php/rates/top
*7 多木浩二『生きられた家』(2001年、岩波現代文庫)を引くと“俗なる家と建築家の作品のあいだには埋めがたい裂け目がある。中略、建築家がつくりだす空間は現実に生きられた時間の結果ではないし、一方、生きられた家は現在の行きつく果てをあらかじめ読みとって構成されるわけではないからである。p6”との言葉で鮮烈に両者が対峙され、さらに“家はただの構築物ではなく、生きられる空間であり、生きられる時間である。p3”という言葉で建築における時間にも触れている。この連載は、両者の間にある裂け目を引き受けた上で、作品性を家性に引き寄せたり、あるいは家性の中に作品性を見出すというよりも、家性が引き受ける時間そのものを作品性に書き換える試みでもある。
辻琢磨
1986年静岡県生まれ。2008年横浜国立大学建設学科建築学コース卒業。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY‐GSA修了。2011年403architecture [dajiba]設立。2017年辻琢磨建築企画事務所設立。
現在、名古屋造形大学特任講師、渡辺隆建築設計事務所特別顧問。2014年「富塚の天井」にて第30回吉岡賞受賞※。2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館にて審査員特別表彰※。
※403architecture [dajiba]