SHARE 【特別寄稿】西澤徹夫による、3つのトム・サックス展のレビュー「Tom Sachs」
西澤徹夫が執筆した、3つのトム・サックス展のレビュー「Tom Sachs」を掲載します。
現在、東京オペラシティアートギャラリー(会期:~2019/6/23)・小山登美夫ギャラリー(会期:~2019/5/25)・KOMAGOME 1-14cas(会期:~2019/5/14)の3か所でアーティストのトム・サックス展が開催されています。
Tom Sachs
ニューヨーク出身のトム・サックスによる日本初個展が、東京オペラシティアートギャラリーの『ティー・セレモニー』、小山登美夫ギャラリーの『Smutshow』、KOMAGOME 1-14casの『Indoctrination Center』の3か所で同時開催されている。NASAをモチーフにした架空の宇宙船打ち上げ計画「Space Program: Mars」のあと、宇宙空間での長期滞在に必要な精神活動としてテーマに選ばれたのが茶道である。「古い伝統の真の発展を目指す」というイサム・ノグチの姿勢に着想を得て2016年にノグチ美術館で開催された「Tom Sachs:Tea Ceremony」を土台として、茶の湯の起源である日本での作家待望の展覧会となる。
『ティー・セレモニー』ではまず「NASA Folding Chairs」に座ってガイダンス「Tea Ceremony」を見たあと、イサム・ノグチの彫刻のダンボール製模刻から始まって、NASAが決して作りそうにないハンドメイドの茶碗「Alabaster Cream」、バリケードとトタンでつくられた待合「Waiting Arbor」、箒の柄でつくられた中門「Chumon」「Tadao Ando Wall」、綿棒とトイレットペーパーの芯などでつくられた盆栽「Bonsai」、水屋「Mizuya」、茶室「Tea House」などが続く。『Smutshow』では『ティー・セレモニー』の一部をなす、マキタのモーターでつくられた茶筅やパナソニック製ポットなどの茶道具、茶室「Tea House」の模型、香道にまつわる作品などが、そして『Indoctrination Center』では「TEN BULLETS」、「HOW TO SWEEP」、「LOVE LETTER TO PLYWOOD」などのトム・サックススタジオの規則・規定(コード)についての映像作品と、展覧会用移動工具棚「Journeyman」が展示される。
これらの作品はすべてプライウッド、電動工具、工業用素材、日用品の組み合わせやカスタマイズとしてつくられている。つまり茶室に求められるような、気品ある貧しさを暗示する身近なものを使った見立てや組み合わせが、周到な配慮によって、丁寧に、不完全さを残しながらハンドメイドされているのだ。そしてこのことは、自然や生活、余暇、芸術、技術を区別なく楽しむアメリカのD.I.Y文化に接続しているということができる。トム・サックスは、日常のむさ苦しさの中でただ一服の茶を飲むということだけのために注意深く膨大な準備を行う茶の湯のさまざまな儀式を、来るべき宇宙時代に、あるいはこのいかにもアメリカ的なグローバル資本主義の中における精神活動としてのD.I.Yに重ねてみせる。アメリカナイズドされた茶道具と茶室に置き換えていく過程で、茶道におけるジェスチャーを読み替えながら、自らつくることの楽しさ、エリート主義のナルシシズムを越えていく手立てを提示する。
茶を点てる際の儀式はガイダンス「Tea Ceremony」で見たとおり厳密な手順によって執り行われるが、これらの作品群をつくることそのものにも厳密な手順=コードがあることを示すのが『Indoctrination Center』の展示である。独断的な決定や主観的な発案の禁止、時間厳守すること、丁寧な仕事をすること、荷物を送る際の確認の仕方、それらに違反した場合の罰金額などの十ヵ条「TEN BULLETS」、スタジオで使用する色と塗料の指定「COLOR」、掃除の仕方の解説「HOW TO SWEEP」、運動・食事・メンタルの状態を調整するジムメソッド(火星計画に立ち向かうクルーのためにつくられたという設定)「SPACE CAMP」、プライウッドの性質と加工の仕方の解説「LOVE LETTER TO PLYWOOD」、そしてそれらを持ち出せる形で具現化した「Journeyman」。「TEN BULLETS」の冒頭で「クリエイティビティは敵だ」と述べている通り、スタジオではいかなる独創的な仕事の進め方も許されず、すでに機能している既存のコードの範囲内で発明や開発を行うことが厳守される。つまり「古い伝統の真の発展を目指す」ためにはスタジオ内で徐々に整備されてきたコードの正確な運用の繰り返しが必須なのであり、この繰り返しのなかにこそ、既存の価値観を少しづつ、しかし確実に変えていく力があることが体現されているのだ。スタジオでの制作とティー・セレモニーの「コード運用の厳密さ」が連続することによって、つくることとつくられるものの間の垣根は取り払われていく。そしてトム・サックス個人と集団制作の関係も渾然としていく。だからスタジオスタッフの誰もが使う「Journeyman」には、すべてに名前がつけられた道具と工具が整然と配置(Knolling)され、その配置関係のなかにスタジオで共有される作業の効率的なジェスチャーが潜んでいることが見えてくる。病的なまでにオブジェクトの配置が決定されるのは、「Journeyman」の工具も初風炉「Shoburo」の茶道具も同じだ。トム・サックスの世界では、これらは道具でもあり、作品でもあり、提案でもあり、発展の途中でもあるのだ。つくられるものは決して作業の結果なのではない。つくられるものがそれだけで何かを語るようにつくられているのでもない。つくることのプロセスを内包しながらそれが常になにかの途上であるかのような佇まいをみせる。事実、「Journeyman」の工具は常に最善の配置が日々探求されているのだ。
「茶人の第一の必要条件は、掃き方、拭き方、洗い方の知識で、拭き、はたきをかけるには技術がいる(One of the first requisites of a tea-master is the knowledge of HOW TO SWEEP,clean,and wash,for there is an art in cleaning and dusting.)(茶の本:桶谷秀昭訳)(大文字筆者)」と岡倉天心は言った。しかしトム・サックスは決して茶人になりたいわけではないだろう。アウトプットされるものに作家の内発的な創造性やオリジナリティを求めることからは一旦距離を置いて、あるいはそれらに対する先入観を捨てて、コードの厳密な運用を自らに課す過程で浮かび上がるのは、回りくどく、面倒で、愛すべきオブジェクトたちと、つくることとつくられるものがひとつづきに放つ独特の手触りのようなものだ。トム・サックスがいまある世界を模倣しながらすこしづつ世界を置き換えていこうとする態度のなかに、あるいはその方法の手触りのなかに茶気(=風雅の気味、ちゃめっけ)を感じたならば、あなたはいつでも自らの環境を少しづつ、でも確実に変えていく(=D.I.Y.)ためのインストラクションとして、この展覧会を見ることができるはずだ。
■展覧会情報