辻琢磨による連載エッセイ “川の向こう側で建築を学ぶ日々” 第8回「公共建築という学びのフィールド」
公共建築という学びのフィールド
text:辻琢磨
7回目 では、渡辺事務所が多く手掛ける公共建築の設計業務の受注の仕組みの一つである設計入札について、基礎的な知識も含めて可能な限りわかりやすく説明しようと試みた。今回は、その仕組みを用いて、渡辺さんが何を考え、何を目指しているのか、具体的に紹介していきたい。
そもそも渡辺さんは、前職の竹下一級建築士事務所から独立を決めたときには、設計入札や公共建築に取り組んでいこうとは考えていなかったそうだ。知り合いの設備設計事務所から磐田市で設計入札に参加したらどうだと誘われたのがきっかけで、自身の竹下時代の経験も活かせそうだということで公共建築の世界に足を踏み入れたとのこと。
最初は定期調査や市立中学校の耐震改修などを設計入札で受注し、入札参加の実質的な条件である売上と行政からの信頼を積み上げていった。建築プロジェクトとしても、2014年に北部地域包括支援センター を、2016年にコミュティ消防センターという小規模な建築で実績を積み、同年に豊岡中央交流センター を、2018年に磐田卓球場ラリーナ を竣工させるに至った。
最近でも、コンペで増築工事の設計業務を受注した磐田市総合病院内の処置室だけの小さな改修や駐輪場の基本設計業務を設計入札で受注したり、市内の図書館の定期調査業務を受注したりして、継続的に公共建築の設計・調査業務が事務所に入っているような状態をキープしている。
なぜ公共建築?
なぜ渡辺さんはこのように継続的に公共建築に携わるのか。単刀直入に聞いてみた。
理由は大きく分けて2つ。一つは、行政団体というのは一番信用できるクライアントであるという点。もう一つは、公共建築の設計業務に含まれる教育価値への期待である。
前者については、なんとなくはおわかりになるだろう。県や市といった行政組織は、まずつぶれることはない(射程を数百年単位に伸ばせば話は別だ)。設計料も十分確保されているケースが多く、正当なプロセスを踏みさえすれば安心して仕事に集中できる。指定された期日に確実に振込みもある。
一方、例えば入札参加業者としても事前に暴力団との関わりのないことや納税をきちんとしていること、経営状況が良好なことを行政に対して示さなければならず、自分自身がクリーンであることの証明にもなる。
要望も担当者によって差はあれど、民間のように時に施主の顔を見ながら設計するというわけではなく、あくまでも公正な税金の使い方だけが求められ、その中で最低限の要望を踏まえて意匠を設計することができる。基本的な条件(例えば設計入札への参加基準)をクリアしさえすればクライアントとして十分に安定した関係を見込めるし、意匠性を凝らすことも可能だ。
後者については、ここまでのエッセイでも度々言及してきたように、とにかく建築設計実務の学びの機会としてこのうえないということである。前回紹介した積算業務に代表されるような公共建築のともすれば面倒なプロセスは、私自身も含め面倒だと思っている方が少し不自然なのかもしれない。渡辺さんに言わせると公共建築の設計は建築設計において必要な業務がすべて含まれている「基本形」なのだ。
民間が普通で、公共が大変、という構図ではなく、公共が一般的な基本形で民間はよりシンプルなプロセス、というか民間の設計業務は公共での設計業務の一部を簡略化したものだという認識で渡辺さんは公共と民間の違いを捉えている(民間でも公共同様のプロセスを踏むプロジェクトももちろん存在するということは同時に強調しておきたい)。
つまり、公共建築の設計や監理業務を一通り経験すれば、悟空の重たい道着みたいなもので(例えがやや古くてすみません)、その後の民間の仕事は非常にスムーズに感じられる可能性が高いということだ。この教育効果は、特に若い世代の建築関係者にとって大きなものになる。渡辺さんとしてはこの公共事業の設計プロセスが、ほぼ一級建築士試験の内容(特に施工分野)と重なっているということも大きな価値だそうで、公共案件に触れることで知識に実感を持って国家試験に取り組むこともできるようになる。