SHARE noiz・豊田啓介が、卒業設計日本一決定戦の審査を終えて、学生に向けて発信したメッセージ
noizの豊田啓介が、2017年の卒業設計日本一決定戦の審査を終えて、学生に向けて発信したメッセージです。
僕が日本一という名称をあえて避けるのは、僕自身ここで選ばれたものが日本一だとは全く思っていないこと(当然企画した人もそんな単純なことは思ってなくて、仙台発のイベントとしての吸引力、発信力などいろいろあっての名称ということは重々承知)。建築は単一の尺度で評価するにはあまりに複雑系。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2017年3月5日
建築に面白さ、価値があるのだとすれば、その圧倒的な複雑系としてのリアリティと、それでも人が意志をもってデザインできるという可能性。このコントロールも評価もしきれない不可能性にポジティブに向き合わないと、建築の本当の面白さ奥深さは引き出せない。今回はそういう意味で(続)
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2017年3月5日
単層的、自分(興味)視点を抜け出せないものが多かったというのは近年の傾向通り。既にあるものに向き合うにはそこに存在する総体に対峙すればいいかもしれないけど、この変化が急な時代、今と未来に向き合うにはまだ見ぬ価値観を分析と論理で紡ぎ出さないといけない。そういう視点が本当に足りない。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2017年3月5日
多分、建築の設計を生業にするにしろ他の業態にいくにしろ、建築出身者が価値を出せるのってそういう統合的な視野とそれを実際に扱える実践的能力。そういう統合的な視点や与件を捉えるきっかけは、普通にニュースや本を読んでれば向こうから否応なく迫ってきているのがわかるはず。それを活かそうよ。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2017年3月5日
僕からの提案は、1.もっと今大きく変わりつつある社会や技術、ビジネスや環境などの現在進行形の多元的な現実にもっと目を向ける、2.自分と他者を相対的に扱うトレーニングを日常的にする、3.その中で必要に応じて圧倒的に客観的にも理不尽なまでに主観的にもなれる自分をつくる、ということ。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2017年3月5日
その上で、卒業設計というのはとても大事な経験だとはいえ、その評価は試合開始前のウォームアップの締めが上手いか下手かくらいのもの。その結果としての評価にとらわれるのではなく、そこから得られる気付きや視点のひろがりを今後の自分に継続的に適用して自分の成長加速度を変えられるかが果実。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2017年3月5日
僕個人的には、設計というプロセスや作業のうち分析や解析とその論理的展開という部分を使っている人があまりに少なかったのが非常に残念。そういう気配を見せた人も、実際にはそういう側面にまったく意識的ではなかったりむしろ逆を行っていたり。設計は芸術や社会学であると同時に工学であり論理学。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2017年3月5日
すごくざっくり言って、建築は美学でもあり工学でもある。なぜこんなに工学的アプローチ(しかも昭和の工学ではなくて21世紀の今と未来の工学)を取る学生が少ないのか。誰も開拓していない未開の地が目の前にあるのに、なぜ閉塞感ガーとか言ってるのか。チャンネルさえ合わせれば電波は飛んでる。
— Keisuke Toyoda/豊田啓介 (@toyoda_noiz) 2017年3月5日