小笹泉+奥村直子 / IN STUDIOが設計した、千葉・袖ケ浦市の「準安定の家」です。
開発と未開発が混ざる地域での計画です。建築家は、未来の“不確かな環境”を前提とし、“仮定”を集積させた上で“平衡”を重視する設計を志向しました。また、庭・生活・架構などの様々な要素を調整して“変化”を許容できる建築を造りました。
不確かな環境があった。
1997年の東京湾アクアライン開通以来、袖ケ浦は東京都心まで1時間で繋がる首都圏となった。1968年に線引きされた市街化調整区域は、住宅需要に圧されて少しづつ宅地開発が許可されていて、畑や藪と住宅地がせめぎ合う前線に敷地がある。お施主さんが土地を入手したのは藪が切り開かれて宅地造成されている途中の2022年だった。設計をしている間に造成が終わって真新しい宅地が姿を見せ、ポツポツと住宅が建ち始めた。
特徴を求めて敷地のまわりを観察する。南には畑、西には道路。畑の向こうには藪と鉄塔と開発宅地が見える。西の道路は十数区画の開発宅地の行き止まりで、建ちつつある住宅には様々な立面が張り付いている。宅地の区画は200㎡以上で、塀はなく、隣棟間隔が広い。隣の市街化区域には同じような開発宅地が多い。この辺りは農家住宅・畑・藪が多くあって、いずれも囲いは無く、見た目には境界が分からない。開発と未開発が混ざっている感じと、起伏のある地平が広がっている感じがある。
不確かな環境において住む手がかりとなる庭をつくる。
十分広い敷地に対して建物を計画すると、半分くらいは庭になる。市街化調整区域にある南の畑はいつ宅地開発されるか分からないが、それでも畑と庭は連続すべき。西の道路の向かいにはどんな住宅が建つか分からないが、隣家は一定のセットバックをするだろうし、道路は行き止まりなので静かな空地なので、道路と庭は連続すべき。そのような憶測をもとに、庭は南西にセットする。
周辺環境を信頼して連続と開放を求めれば、周辺環境が変化したときに手詰まりとなる。一方で周辺環境に不信を抱いて敷地内に自閉するのではこの地域の良さを享受できない。変化するかもしれない周辺環境にどっちつかずの態度で接するのが適当と考えて、畑と道路のどちらにも顔を向けられる庭の位置にした。たとえ畑が宅地になったとしても、あるいは道路の向かいに予想外の家が建ったとしても、それなりの住環境を保てるだろう。
環境と庭を手がかりに間取りをつくる。
環境と庭に対して一方向の開放としては長年の居住で飽きてしまうし、周辺環境が変化したときに手詰まりとなるので、庭と建物の境界を雁行させたり辺を斜行させる。室内に複数の方向への開放、手前と奥、中心と周辺の差ができるように変形を加えていく。周辺環境と庭の都合で外形が定まってくる。
このあたりで木造の制約を意識し始めている。我慢が少ない生活空間にするには2.7mスパンあれば足りる。一方で、材積が抑えられた秩序のある架構を目指すとなると、桁と棟を2.7m間隔に置き、その平行線上に柱を置くのが良さそうだと勘づく。外形の都合と生活の都合と木造架構の都合が平衡して間取りが決まる。外形と生活と木造架構が互いに無理を強いていない状態を、一旦の平衡状態とする。