




若林拓哉 / ウミネコアーキが設計した、神奈川の「新横浜食料品センター」です。
60年代から続く“地域の食の拠点”の“動的保存”計画です。建築家は、各々の商店が個別に認識される状況に着目し、個が並存しつつ群として全体を作る在り方を志向しました。そして、メガストラクチャーに戸建サイズの量塊が集まる建築を考案しました。店舗の場所はこちら(Google Map)。
これは、私の祖父が1967年に築いた「新横浜食料品センター」の「動的保存」プロジェクトである。
1964年、新幹線の新横浜駅が開通して間もなく、祖父は農業に加えて不動産業を始め、この地に転居する人々の受け皿をつくった。そして彼らが生活に困らないようにと、肉屋・八百屋・牛乳屋といった個人商店が集まり、その店子が2階に暮らす地域の食の拠点「新横浜食料品センター」を建てた。
そこから現在に至るまで、店舗は入れ替わりながらもその流れを脈々と受け継いできた。計画当初、老朽化のために丸ごと建替えも検討したが、既存店舗であったうなぎ屋・八百屋の営業継続を尊重し、減築→新築→店舗移転→改修と段階的に遷移するプロセスを採用した。
元々の「新横浜食料品センター」は施設名が殆ど知られておらず、“八百屋さんのあるところ”のように各々が個別で地域住民に認識されていた。またそれぞれのテナントが余白に溢れ出すように商品を広げたり、看板や植栽を出したりする姿をずっと目の当たりにしてきた。
そうした既存の在り方を発展させ、バラバラな個が並存しながら群としての全体をつくる建築を目指した。
3Fに人工地盤を規定し、計8本の500角の柱によって支持されるメガストラクチャーを依りしろに、1階は地面から、3階は人工地盤から自立し、さらに2階はその地盤から吊り構造となっている。敷地は新横浜の都市的スケールと谷戸地形である篠原町のヒューマンスケールが折り合わさる第一種住居地域。
建築もその両スケールが混在する様相を呈している。都市的なメガストラクチャーはまるで不動の樹幹のような存在として立ち上がり、周辺の木造2階建住宅サイズの小径部材によるボリューム群がそこに寄り集まる。
1階を店舗3軒、2階を店舗2軒およびメゾネット形式の店舗兼用住宅3戸の店舗部分、3階を単独住宅1戸と店舗兼用住宅の住居部分といったように混成させることで、各階で関係性を分断させず緩やかに繋げ合う。
一方で、それぞれ分離し独立した店舗や住戸が階ごとに全くバラバラな平面形で重なり合うことで、それらのあいだに路地のような隙間が生まれるだけでなく、複雑なシークエンスを構成している。
それに大きく寄与しているのが、表面積が拡張されることによって四方八方に開けることが可能になった開口部である。1階は店舗内部を抜けて南側の中庭や隣接店舗、既存棟へと回遊できる動線となっており、2階は店舗間・住戸間の隙間から周囲の風景を切り取りつつ、勝手動線としても機能する。
3階は4住戸が人工地盤の上に隙間をもって立ち並んでおり、専用バルコニーから延長された路地状につながる共用部となっている。そこに明確な仕切りはなく、入居者同士の距離感によって調停されるコモンの領域である。









